ベラルーシ語

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ベラルーシ語Беларуская мова)は、ベラルーシ共和国公用語白ロシア語(はくろしあご)と呼ばれていたこともある。話者は700万人から800万人で、ベラルーシやポーランド東部に分布している。系統的には、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派に属し、ロシア語ウクライナ語とともに東スラヴグループを形成する。

東スラヴ語群に属しロシア語やウクライナ語に非常に近いが、ポーランド・リトアニア共和国内の地域であったことから本来は現在に比べ西スラヴ語であるポーランド語寄りの特徴を持っていた[1]。現在でもその語彙はポーランド語に非常に近く、ポーランド語話者とベラルーシ語話者は問題なく互いの意思疎通ができる。首都ミンスクを含む中央部から東西に広がる中部方言、北東方言、南東方言および西部のポレシエ方言の4つの方言が区別される。

言語名別称

  • Belarusian
  • ベロロシア語(Belorussian)
  • Bielorussian
  • Byelorussian
  • 白ロシア語、白ロシヤ語(White Russian)
  • White Ruthenian

文字

ベラルーシ語は現在キリル文字で表記される。歴史的に、ワチンカ(Łacinka)と呼ばれるラテン文字や、アラビア文字によって表記されていたこともある。

テンプレート:ベラルーシ語アルファベット テンプレート:ベラルーシ語アルファベット(ラテン文字)

歴史

リトアニア大公国で用いられていた[2]ルーシ語を、ベラルーシ語の祖語とみなすことができる。ルーシ語はスラヴ語派の諸言語のなかで、最初に聖書が印刷された言語でもある。しかし、1385年にリトアニア大公国がポーランド王国と「クレヴォの合同」と呼ばれる連合を形成した後、国家連合の進んだ15世紀後半になるとポーランド文化が本格的に流入。貴族(シュラフタ)階級の人々はポーランド語を話すようになり、ベラルーシ語は平民の言葉として残ったようだ。

ポーランド分割1772年1796年)によって、ベラルーシの地域はロシア帝国に併合された。ウクライナと異なり、ベラルーシの人達に一体性のある民族的な意識はなかった。ポーランド・リトアニア共和国では、上流階級は自分たちのことをポーランド人と考えていた[3]ためである。近年でも、ベラルーシの人達はロシアとの区別を強くは意識しない。

これは、ベラルーシ語がもっぱら農村部で話され、文化的中心であった都市で話されることが比較的まれであったことによる。たとえば、1897年のロシア帝国の国勢調査では、人口が5万人を越えるベラルーシの諸都市の住民のわずか7.3%が、ベラルーシ語が母語であると答えていた。このような状況のもとで、ベラルーシ語には田舎の教養のない人達の言葉というイメージが定着していった[注釈 1]

19世紀から20世紀初めにかけては、ベラルーシ語の主な話者であった農民は文字を知らず、また、都市ではロシア語やポーランド語、イディッシュ語などが用いられていたので、ベラルーシ語が書かれることはきわめて稀であった。しかし、細々とながらベラルーシ語を普及させようとする運動もあった。

1918年3月25日、ベラルーシ共和国の独立が宣言されベラルーシ語はその公用語とされた。それからまもなく、1918年から1919年にかけて、ソヴィエト政府がベラルーシ地域を制圧しベラルーシ・ソヴィエト社会主義共和国を建設。1920年代には、全ソヴィエト連邦での「民族化」政策により、ベラルーシ化、民族文化の復興が進んだ。行政・司法がベラルーシ語で機能するようになり、多くのベラルーシ語の本が出版された。また、標準語の制定について活発な議論が行われ、正字法や文法面で整理しようとした(このときのベラルーシ語の体系は「タラシケヴィツァ」と言う)[1]

しかし、1930年代に入るとスターリンの言語政策により情勢は一変する。1933年の正書法改革では、ベラルーシ語の表記法が、明らかにロシア語を真似たものに換えられた。この新しい体系を、当時のベラルーシ共和国政府の呼称にちなんで「ナルコモフカ」と言う[1]。現在に至るまで一般に用いられるベラルーシ語はこのナルコモフカをもとにしているため、本来のベラルーシ語に比べロシア語の影響を受けたものとなっている。

1938年、全ソヴィエト連邦の学校で、ロシア語が必須科目となる。1958年の教育制度改革では、親が子供の何語で教育を受けるのかを選ぶことができるようになった。それによって、多くの人達が子供をロシア語学校に入学させるようになり、ベラルーシ語学校の数は減少した。

1980年代後半のペレストロイカを機に、ベラルーシ語に対する関心が高まった。1990年には、ベラルーシ語がベラルーシ・ソヴィエト社会主義共和国の唯一の公用語とされ、再びベラルーシ化が進んだ。1990年1月26日に承認された「言語法」では、2000年までにあらゆる行政文書・公的文書をベラルーシ語で書くことが義務づけられた。

しかし1994年ルカシェンコ大統領に選出されると、ベラルーシ語の普及運動は完全に停止した。そして1995年には国民投票が行われ、ロシア語にベラルーシ語と同じ地位が与えられることが決定された。2005年現在、これまでにない規模でロシア語化が推し進められており、ベラルーシ語に対する政府の支援はまったくない。

また、ロシア語化政策の影響から、「トラシャンカ」と呼ばれるロシア語とベラルーシ語が混ざった言葉が蔓延している[4]

方言

方言

  北東部の方言
  中部の方言
  南西部の方言
  ポリーシャの訛(ウクライナ語の訛の一つ)。ポリーシャ語。ポリーシャ方言ともよばれる。

  1903年におけるベラルーシ語の話者の居住地域
  1967年におけるベラルーシ語・ロシア語の境界線
  1980年におけるベラルーシ語・ウクライナ語の境界線

あいさつなど

  • дзень добры (dzen' dobry) - こんにちは
  • як (jak) - どう、どのように
  • як маесься? (jak majessija?) - 元気?
  • добрай раніцы (dobraj ranicy) - おはよう
  • дабранач (dabranach) - おやすみ
  • дзякуй (dzjakuj) - ありがとう
  • калі ласка (kali laska) - ...てください
  • спадар / спадарыня (spadar / spadarynja) - …さん(男性/女性)
  • добра (dobra) - 良い
  • кепска / дрэнна (kjepska / drenna) - 悪い
  • выдатна (vydatna) - 素晴らしい
  • цудоўна (cudowna) - 素晴らしい
  • дзе (dzje) - どこ?
  • адкуль (adkul') - どこから?
  • чаму (chamu) - どうして?
  • я разумею (ja razumjeju) - 私は分かる。
  • нічога не разумею (nichoha nie razumjeju) - 私は何も分からない。

脚注

注釈

出典

参考文献

  • カセカンプ, アンドレス 『バルト三国の歴史——エストニア・ラトヴィア・リトアニア 石器時代から現代まで』 小森宏美、重松尚訳、明石書店〈世界歴史叢書〉、2014年。ISBN 9784750339870。
  • 服部倫卓 『不思議の国ベラルーシ——ナショナリズムから遠く離れて』 岩波書店、2004年。ISBN 9784000246231。

関連項目

外部リンク