ヴィッテンベルク

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Wittenberg

ドイツ中東部、ザクセン・アンハルト州の都市。1949~90年は旧東ドイツに属した。フレーミング丘陵の南端、エルベ川右岸の標高63メートルにある。人口4万9000(2000)。鉱工業の中心地で鉄道の結節点。機械、化学、食品加工、ゴムなどの工業が行われ、窒素工場がある。水運に恵まれ、中世には穀物、ぶどう酒、木材、鉄、魚の積み換え権とザクセン領内の塩の専売権をもっていた。16世紀宗教改革の中心地であり、ルター都市ともよばれる。

歴史

1180年に史料に初出するが、都市として認められたのは1293年のことである。1422年までアスカニア家領に属したが、1423年ザクセン選帝侯家のウェッティン家領に属することになった。1485年以後は選帝侯家のエルンスト系ウェッティン家の居城所在地となった。フリードリヒ賢公は1502年そこに大学を建設し、その大学の神学部教授ルターによる宗教改革運動開始後は、宗教改革の中心地として一躍脚光を浴びた。1517年にルターが「九十五か条の論題」をその扉に貼付(ちょうふ)したと伝えられる城付属の教会やその他多くの宗教改革の記念碑的な建築物はいまも残るが、当時の人口は約2400人にすぎなかった。1547年アルベルト系ウェッティン家に割譲されて、選帝侯の居城の所在地としての地位を失い、1815年にはプロイセン領となり、1817年大学はハレに移されて、ハレ大学に統合され、ハレ・ウィッテンベルク大学となった。

世界遺産の登録

城付属の教会を含む建造物群は、同州アイスレーベンに残るルターの生家などとともに1996年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「アイスレーベンとウィッテンベルクにあるルターの記念建造物群」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。

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