三島村

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三島村(みしまむら)は、薩摩半島南端から南南西約40kmの位置にあり、竹島硫黄島鬼界ヶ島)、黒島の有人島と、新硫黄島デン島の無人島から成り立つ。村役場は鹿児島市内にあり、約90km南にある村内には同派出所が設けられている。

1908年(明治41年)の島嶼町村制施行に伴い、トカラ列島及び現在の三島村の区域に十島村(じっとうそん)として設置され、1952年昭和27年)2月10日に村の区域を北緯30度以北(口之島を除く)に変更し、同時に村名を三島村に変更した。現在の十島村の区域は、同日に別の自治体として設置されたものである。

三島村の全域が三島村・鬼界カルデラジオパークとなっている。

地理

地名

南西諸島の最北端に属する。各地区の世帯数・人口[1]等は下記の通りである。

  • 竹島:面積4.20 km²、周囲9.7 km、世帯数47、人口81
  • 硫黄島:面積11.65 km²、周囲14.5 km、世帯数62、人口124
  • 黒島:面積15.37 km²、周囲15.2 km
    • 大里:世帯数66、人口111
    • 片泊:世帯数32、人口64

地勢

歴史

1908年(明治41年)の島嶼町村制施行に伴い、トカラ列島の7島(現在の鹿児島郡十島村(としまむら))を含めた大島郡十島村(じっとうそん)が設置された。第二次世界大戦の敗戦により、1946年(昭和21年)2月2日に「SCAPIN第677号」が発令され、口之島を含む北緯30度(屋久島と口之島の間)以南の区域は米軍の占領政策により日本国政府の行政権及び司法権が停止され、アメリカ合衆国の施政下となった。村役場のあった中之島と切り離されたため、残った3島で仮の十島村役場を鹿児島市に設立した。

1952年昭和27年)2月4日に北緯30度以南(口之島含む7島)が日本に返還され、同年2月10日、「鹿児島県告示第74号(大島郡十島村の境界)」により、それまでの日本の施政下にあった大島郡十島村(じっとうそん)は、それまでの下7島を含む境界から口之島を除く北緯30度以北に境界が変更され、同日施行の「鹿児島県告示第75号(大島郡十島村を三島村に変更する条例の許可)」によって村名を十島村から三島村に改称した。また、同日に「昭和27年政令第13号」の規定に基づき、本土復帰した7島の区域をもって十島村(としまむら)が設立された。

1973年(昭和48年)、大島郡から鹿児島郡に郡変更がなされ、現在に至る[2]

村役場が鹿児島市に置かれている理由としては、歴史的な理由だけでなく、行政機能の能率を上げる為による。いずれかの島に役場を置くより、県都であり生活圏である鹿児島市に置いていた方が、国や県との折衝がやりやすく、また住民にしても、各種申請が行いやすいという理由がある。また、交通手段を村営船のみに頼っている為、欠航等により鹿児島市に足止めされた場合でも、村役場の助けをもらえるという利点もある。ただし、役場職員のほとんどが村内に住所を持たないため、村長選や村議会選の選挙権が無く、また税が村に入らないなどの問題がある。

財政力指数は全市町村中で全国最下位である。

本土並みの行政サービスを受けられずに「選挙を通じて意思表示しなければ、切り捨てられてしまう」という過疎の離島の切実さから、公職選挙では寝たきりの高齢者を除くほぼ全員が投票することで高投票率であることが知られている[3][4]

年表

  • 1897年(明治30年)4月1日 - 薩摩国川辺郡十島の区域が大島郡に移管される。
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行に伴い、現在の三島村の区域及びトカラ列島の区域に大島郡十島村(じっとうそん)が設置される。
  • 1946年(昭和21年)2月2日 - 「SCAPIN第677号」が発令され、北緯30度以南のトカラ列島の区域がアメリカ合衆国の統治下に置かれる。仮の十島村役場を鹿児島市に設置。
  • 1952年昭和27年)
    • 2月4日 - トカラ列島の区域の行政権が日本に返還される。
    • 2月10日 - 十島村の区域を口之島を除く北緯30度以北に変更し、三島村に改称。同時にトカラ列島の区域に十島村が設置される。
  • 1973年(昭和48年)4月1日 - 大島郡から鹿児島郡に所属が変更になる。

遷移表

明治22年4月1日 明治22年 - 明治45年 大正1年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和27年 昭和27年 - 昭和48年 昭和48年 - 現在 現在
川辺郡十島
(町村制未施行)
明治30年4月1日
大島郡
明治41年4月1日
(島嶼町村制施行)
大島郡十島村
大正9年
(島嶼指定解除)
大島郡十島村
(上三島)
大島郡十島村
昭和22年5月3日
(地方自治法施行)
大島郡十島村
昭和27年2月10日
(境界変更・改称)
大島郡三島村
昭和48年4月1日
鹿児島郡三島村
鹿児島郡三島村
昭和21年2月2日
(アメリカ合衆国統治下)
十島村
昭和27年2月4日
(本土復帰・町村制)
大島郡十島村
昭和27年2月10日
(地方自治法適用)
大島郡十島村
昭和48年4月1日
鹿児島郡十島村
鹿児島郡十島村

行政

  • 村長:大山辰夫

村の行政機関

  • 鹿児島市
    • 三島村役場
  • 竹島
    • 竹島出張所
  • 硫黄島
    • 硫黄島出張所
    • 三島開発総合センター
  • 黒島
    • 大里出張所
    • 片泊出張所
    • 大里ふるさとセンター
    • 片泊ふれあいセンター
  • 三島村消防団(事務所管は三島村役場)
    • 竹島消防分団
    • 硫黄島消防分団
    • 大里消防分団
    • 片泊消防分団

なお、三島村には常備消防はなく火災等災害時は消防団が対応する。救急に関しては診療所に配置されている患者輸送車(軽ワゴン車)で対応し、重症患者はヘリコプター(昼間は鹿児島県ドクターヘリ、夜間は海上自衛隊鹿屋救難飛行隊)により搬送される。 鹿児島県ドクターヘリは日本で唯一民間医療ヘリと補完飛行の提携を行っており、重複要請時には米盛病院医療ヘリレッドウィングが飛行することもある。

県の行政機関

金融機関

郵便局簡易郵便局の貯金窓口を除く金融機関は存在しない。

郵便局

いずれもゆうちょ銀行ATMは設置されていない。なお、集配を行うのは鹿児島中央郵便局である。

  • 硫黄島郵便局
  • 大里簡易郵便局(旧・鹿児島中央郵便局黒島分室)
  • 片泊簡易郵便局
  • 竹島簡易郵便局(旧・鹿児島中央郵便局竹島分室)

近隣自治体

地域

人口

三島村(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

教育

小・中学校

高等学校

  • 村内に高校はなく、ほぼ全員が鹿児島学区に進学する。

文化施設

  • みしまジャンベスクール(硫黄島)
  • 冒険ランドいおうじま(硫黄島)※鹿児島市立

通信

電話

市外局番は村内全域が「09913」。同一市外局番の地域との通話は市内通話料金で利用可能(硫黄島MA)。収容局は硫黄島局および硫黄島黒島局。

インターネット

ミシマデネット(光ブロードバンド)

郵便

郵便番号は村内全域が「890-090x」(鹿児島中央郵便局)である。

交通

村営航路

  • 航路
    • 鹿児島本港 - 竹島 - 硫黄島 - 黒島(大里) - 黒島(片泊) - 枕崎漁港
      • ほぼ一日おきに運航。鹿児島本港と片泊港(黒島)もしくは枕崎漁港でそれぞれ1泊する(運航スケジュールは村公式サイト参照または役場へ問い合わせの事)。
  • 船舶
    ファイル:Ferry Mishima in Iwo-jima Port.jpg
    硫黄島港に着岸するみしま
    みしま[5]
    2001年4月竣工。1,196総トン、全長89.5m、幅14.0m、出力8,000ps、航海速力19.0ノット(最大20.4ノット)。
    旅客定員200名。車両搭載数:トラック5台・乗用車18台・バス1台。三菱重工業下関造船所建造。
    みしまが入渠(ドックイン)などで運航できないときはフェリーとしまがみしまの代船となり、逆にフェリーとしまが運航できないときはみしまがフェリーとしまの代船となる。近年、枕崎漁港(枕崎市)への延長が行われており、利便性が向上している。

道路

航空便

脚注

  1. 2016年12月1日現在。各種統計資料”. 三島村. . 2017閲覧.
  2. Wikisource-logo.svg 郡の区域変更(昭和47年自治省告示第298号、昭和47年11月29日付官報第13780号所収)
  3. 自治はどこへ:2015年統一選 投票率、毎回ほぼ100%離島の村 働かない議員は交代 「無人島になる」危機感”. 毎日新聞 (2015年2月12日). . 2015閲覧.
  4. 投票率「100%」 離島の危機感 進む過疎化 「声上げないと切り捨てられる」 都市部は低い関心、打開策なし”. 産経新聞 (2015年4月15日). . 2015閲覧.
  5. 日本船舶明細書I 2008年版 - 社団法人 日本海運集会所(2007年12月30日発行)

関連項目

外部リンク