水俣病

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水俣病(みなまたびょう)

熊本県の水俣湾周辺に 1953年頃から発生したメチル水銀中毒による慢性の神経系疾患。公害病の一つ。手足や口周辺のしびれで始まり,言語障害,視野狭窄,運動障害,聴力障害などの中枢神経系の障害が起こる。重症者は回復がきわめて困難で,死亡者も多数出た。この原因は,新日本窒素肥料(のちのチッソ,2011年4月から JNC)水俣工場のアセトアルデヒド製造過程で副生したメチル水銀が持続的に水俣湾へ排出されたことによる。水域中でいったん超希薄濃度にまで希釈されたメチル水銀は,水中生物の食物連鎖を経ることにより魚介類に水中濃度の数十万倍にも濃縮され,その有毒化魚介を反復大量に摂取した人々のなかから発生がみられたものである。さらに,母親の胎盤を通過してメチル水銀は胎児へも移行し,生まれた子供にも特異的な症状が発現した。1968年9月,水俣病は公害と認定された。1969年に水俣病患者は損害賠償を求める民事裁判を提訴し,1973年勝訴,また認定作業の遅れに対して行なった行政不服審査請求も,熊本県の不作為が認められた。そして 1975年に水俣病患者がチッソの重役と水俣工場重役を殺人,傷害罪で告訴したことをうけて,当時のチッソ社長,水俣工場長らが業務上過失致死傷で起訴され,1977年有罪の判決がくだり,初めて刑事責任が明らかとなった。1993年3月には,国と熊本県の過失責任を認める熊本地方裁判所の判決がくだり,1995年9月に被害者への一時金支払いと患者団体への 50億円加算を柱とする最終解決案がまとめられ,1996年5月には関西訴訟を除く 7裁判所で正式和解が成立。40年あまりに及ぶ訴訟に一応の決着がついた。また 1965年頃には,新潟県阿賀野川流域にまったく同様の病気である第2の水俣病(新潟水俣病)が,昭和電工の工場排出物によって発生した。新潟水俣病訴訟は 1971年に企業を加害者とする判決が出され,1995年12月に被害者団体と昭和電工が協定書を結んで最終決着した(阿賀野川水銀事件)。



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