河北郡

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ファイル:Ishikawa Kahoku-gun.png
石川県河北郡の範囲(1.津幡町 2.内灘町 薄緑:後に他郡から編入した区域)

河北郡(かほくぐん)は、石川県加賀国)の。ここでは前身にあたる加賀郡(かがぐん)についても記述する。

人口63,635人、面積130.92km²、人口密度486人/km²。(2018年4月1日、推計人口

以下の2町を含む。

郡域

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

  • かほく市の大部分(箕打・元女・黒川・瀬戸町・八野・野寺・夏栗・二ツ屋・中沼と学園台の一部を除く)
  • 金沢市の一部(金沢区に属した区域を除く、概ね浅野川以北)
  • 内灘町
  • 津幡町の大部分(牛首・瓜生・上河合・下河合・上大田を除く)

歴史

古代から近世まで

当初は加賀郡(かがぐん)を称した。史書において「加賀郡」の名称が確認できるのは、731年天平3年)の「天平二年越前国正税帳」が最古である。律令制により制が行われる以前では、「国造本紀」に「加我国造(かがのくにのみやつこ)」が越前国に属したとの記述があり、また平城京跡からは「越前国香々郡」と記された木簡も発見されている。「かが」の名称は柳田國男が「地名の研究」で芝原という地形からきているとしているが、異論もある。

823年弘仁14年)、江沼郡と共に分国され加賀国となった。当時は手取川以北かつ大海川以南の地域であったが、同年6月4日に、加賀郡の浅野川以南を石川郡として分置した。室町時代頃から河北郡の名前が使われはじめ、1700年元禄13年)に正式名称となった。

近代以降の沿革

  • 明治初年時点で、全域が加賀藩領であった。「旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り[1]。《 》は同データベースでは左記の村に含まれていると見られる。下記のほか金沢城下の一部が本郡に所属。(266村)[2]
  • 明治2年6月17日1869年7月25日) - 版籍奉還により加賀藩(通称)の正式名称が金沢藩となる。
  • 明治4年7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により金沢県の管轄となる。
  • 明治5年2月2日1872年3月10日) - 金沢県が改称して石川県となる。
  • 明治5年(1872年) - 鉢伏新村・笠島新村が合併して七窪村となる。(265村)
  • 明治初年から10年代にかけて、下記の同名村の改称が行われる[7]
    • 2ヶ所ずつ存在した北村、中村、荒屋村が、それぞれ浜北村(現・かほく市)、山北村(現・津幡町)、上中村(現・金沢市)、下中村(現・津幡町)、東荒屋村(現・津幡町)、西荒屋村(現・内灘町)に改称。
    • 森村(現・津幡町)が山森村に、中山村(現・津幡町)が戸室中山村にそれぞれ改称。
  • 明治11年(1878年12月17日 - 郡区町村編制法の石川県での施行により、行政区画としての河北郡が発足。郡役所を南森下村に設置。金沢城下各町は金沢区となり、郡より離脱。

町村制以降の沿革

  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は現・金沢市。郡役所の所在地が森本村となる。(1町33村)
ファイル:Ishikawa Kahoku-gun 1889.png
1.津幡町 2.中条村 3.小金村 4.坂井村 5.中口村 6.金川村 7.井上村 8.内灘村 9.大場村 10.八田村 11.川筋村 12.河崎村 13.木越村 14.花園村 15.田近村 16.崎田村 17.倶利伽羅村 18.萩坂村 19.笠井村 20.笠野村 21.金浦村 22.湯ノ谷村 23.医王山村 24.東英村 25.種谷村 26.西英村 27.金津村 28.高松村 29.金津谷村 30.七塚村 31.直江谷村 32.小原谷村 33.薬師谷村 34.森本村(紫:金沢市 桃:かほく市 橙:津幡町 青:合併なし)
  • 明治24年(1891年7月1日 - 郡制を施行。郡役所が津幡町に移転。
  • 明治40年(1907年8月10日 - 下記の町村の統合が行われる。いずれも新設合併。(1町17村)
    • 高松村 ← 金津谷村、高松村
    • 川北村 ← 川筋村、河崎村、木越村
    • 花園村 ← 田近村、崎田村、花園村
    • 倶利伽羅村 ← 萩坂村、倶利伽羅村
    • 笠谷村 ← 笠井村、笠野村
    • 浅川村 ← 金浦村、湯ノ谷村、医王山村
    • 英田村 ← 東英村、種谷村
    • 宇ノ気村 ← 西英村、金津村
    • 三谷村 ← 直江谷村、小原谷村、薬師谷村
    • 小坂村 ← 小金村、坂井村、中口村、金川村
  • 大正11年(1922年8月1日 - 高松村が町制施行して高松町となる。(2町16村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は332.51平方km、人口は66,683人(男31,917人・女34,766人)[8]
  • 昭和11年(1936年)4月1日 - 小坂村が金沢市に編入。(2町15村)
  • 昭和15年(1940年2月11日 - 七塚村が町制施行して七塚町となる。(3町14村)
  • 昭和23年(1948年)2月11日 - 宇ノ気村が町制施行して宇ノ気町となる。(4町13村)
  • 昭和24年(1949年6月1日 - 川北村が金沢市に編入。(4町12村)
  • 昭和25年(1950年)4月1日 - 高松町の一部(横山・谷・笠島・上田名・余地)が分立して金津村が発足。(4町13村)
  • 昭和26年(1951年)4月1日 - 英田村の一部(大熊)が笠谷村に編入。
  • 昭和29年(1954年
    • 3月31日 - 津幡町・中条村・笠谷村・井上村・英田村が合併し、改めて津幡町が発足。(4町9村)
    • 5月16日 - 津幡町が羽咋郡河合谷村を編入。
    • 6月1日 - 大場村・八田村・花園村・三谷村・森本村が合併して森本町が発足。(5町4村)
    • 7月15日 - 高松町が羽咋郡南大海村と合併し、改めて高松町が発足。
  • 昭和32年(1957年
    • 2月1日 - 倶利伽羅村が津幡町に編入。(5町3村)
    • 4月5日 - 浅川村が金沢市に編入。(5町2村)
  • 昭和35年(1960年)4月1日 - 金津村が宇ノ気町に編入。(5町1村)
  • 昭和37年(1962年
    • 1月1日 - 内灘村が町制施行して内灘町となる。(6町)
    • 6月1日 - 森本町が金沢市に編入。(5町)
  • 平成16年(2004年3月1日 - 高松町・七塚町・宇ノ気町が合併してかほく市が発足し、郡より離脱。(2町)

変遷表

脚注

  1. 旧高旧領取調帳」は加賀国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書13 旧高旧領取調帳 中部編」(近藤出版社、1977年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
  2. 下記のほか、加賀藩領として《森村/宇気村/内日角村》請新田、《車村/野村/古屋谷村/宮野村》請新田、《清水村/若松村/田島村》請新田、《神谷内村/三池村/宮保村/高柳村》請新田が記載されている。
  3. 中尾村・上平村との総称としての表記。単独では南千石村。
  4. 4.00 4.01 4.02 4.03 4.04 4.05 4.06 4.07 4.08 4.09 4.10 「旧高旧領取調帳データベース」に記載なし。石高がどの村に合算されているかは不明。
  5. 東原脇原村・市瀬村の総称。本項では2村として数える。
  6. 6.00 6.01 6.02 6.03 6.04 6.05 6.06 6.07 6.08 6.09 6.10 6.11 6.12 6.13 無高のため「旧高旧領取調帳」に記載なし。
  7. 改称時期は史料により異なる。
  8. 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可能。

参考文献

テンプレート:加賀国の郡