熊野灘

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熊野灘
座標 東経136度25分北緯33.75度 東経136.417度33.75; 136.417
親水域 フィリピン海
海洋 太平洋
日本の旗 日本
自治体 志摩尾鷲熊野新宮那智勝浦など

熊野灘(くまのなだ)は、フィリピン海(北西太平洋)のうち、日本紀伊半島南端の和歌山県潮岬から三重県大王崎にかけての海域の名称。

概要

沿岸はリアス式海岸が目立ち岩礁・暗礁が多い一方で天然の良港も多く、帆船の時代には風待港がない遠州灘と比べれば航海は楽であったという。遠州灘・相模灘とあわせて江戸上方を結ぶ海の東海道となり、河村瑞賢による西廻海運の刷新によってさらに多くの廻船で賑わった。

沿岸の郷土料理には、めはりずし秋刀魚寿司なれずしなどがあり、熊野市・志摩市などに複数のダイダラボッチ伝承が伝わる。古式捕鯨の行われていた地域の一つで、太地町には捕鯨基地がある。また、潮岬以東の熊野灘沖では度々黒潮蛇行が発生する。

海上保安庁が発行する日本の水路図誌海図)にも掲載されている[1]。なお、海岸線が内側に湾曲している志摩半島大王崎太地町梶取崎の間に基線が設定されており[2]、これより北西側は海洋法上日本の内水内海)とみなされるため、日本の領海の範囲が通常より広くとられている。

沿岸の市町村

地形

尾鷲以北はリアス式海岸、熊野市から新宮までは礫からなる直線的な海岸(七里御浜海岸・三輪崎海岸)を持つ。更に、那智勝浦以南には奇岩が見られる。串本の橋杭岩や、那智勝浦の紀の松島などがそれにあたる。熊野市にも一部奇岩が見られる(例:鬼ヶ城獅子岩など)。

沖合いは水深2000m程度で、平坦になっている。

漁業

熊野灘は黒潮が流れ、漁場のひとつとなっている。明治時代までは黒潮を回遊するカツオの大群が沿岸近くまでやって来ており、八丁櫓船などの手漕ぎ船でのカツオ漁が盛んであったが、沿岸近くのカツオの減少、漁船の動力化などにより遠洋化が進んだ。

太地町は捕鯨の町として知られる。捕鯨問題によって大規模な捕鯨が禁じられている現在も調査捕鯨の船舶が寄航する。また町内にはくじらの博物館があるほか、鯨料理を出す飲食店が多い。

那智勝浦は西日本を代表するマグロ水揚げ基地であり、本マグロをはじめ様々なマグロが水揚げ・取引されている。また、「まぐろ祭り」も開催されている。

サンマ漁も行われている。しかし三陸沖から泳いできたサンマは脂がほとんど乗っていないため、おもに寿司や刺身用となる。

自然災害

熊野灘は1944年東南海地震など、約150年の周期で繰り返し発生しているプレート境界地震の震源域にあたる。過去の災害ではとくに津波の被害が甚大である。また、台風銀座でもあり、伊勢湾台風を初めとして何度も台風の被害に見舞われている。

紀北町など多くの自治体で津波から避難するためのタワーなどを建設している。また、電柱などに、過去の津波高を示し注意を喚起している。津波からの避難訓練も頻繁に行われている。

熊野灘では地震や地殻変動の監視も盛んである。海上保安庁名古屋大学東北大学が同海域で定期的に地殻変動の観測を行っている。また、文部科学省が海底地震計ケーブルの設置を決定したほか、海洋研究開発機構も地震計ネットワークを敷設する計画がある。さらに掘削船ちきゅう2007年から同海域で掘削調査を行っている。

脚注

  1. 海の相談室 FAQ 灘ってなに?」、海上保安庁 海洋情報部、2017年9月10日閲覧
  2. 「管轄海域情報~日本の領海~ 直線基線 四区域 本州南岸:浜名湖~那智勝浦」、海上保安庁 海洋情報部、2017年9月10日閲覧

関連項目