琴海町(きんかいちょう)
面積:六七・六二平方キロ
西彼杵半島の東部、長崎市の北に位置し、東部は大村湾に面する。西部は外海町・大瀬戸町、北部は西彼町、南東部は時津町に接する。町域の西手に鶴山(四四七・一メートル)・飯盛山(五三〇・八メートル)・長浦岳(五六〇・八メートル)・三方山(四〇九メートル)・霞岳(三一三・七メートル)などの山嶺が連なっており、これらを水源とする四戸ノ川・手崎川・戸根川などが東流して大村湾に注ぐ。ほかに南部で西海川が北流して江保崎のつくる入江に流れ込み、北部では大江川が形上湾に注いでいる。同湾は東の尾戸半島によって南北に深い入江を形成するが、中央部の戸根郷の東部も大村湾に突き出た形状をみせ、大瀬崎・脇崎、または土井ノ浦・長浦など多様な海岸景観をみせている。鵜瀬島(面積〇・二五平方キロ)や塩垂島・寺島・辰島・焼島などがある。海岸部を国道二〇六号が通るほか、西部の尾根筋を県道の奥ノ平―時津線などが通る。町域は大村湾県立公園の指定域内で、外海町境に長崎県民の森が広がる。
町域の中央部南側の村松郷に大石古墳がある。律令制下では彼杵郡のうち。中世には形上に城ノ辻、長浦に城ノ峠、戸根原に小崎ノ城、戸根に城山、西海に古城寺などの城館関連の地名が残されているものの、城主などはつまびらかではない。天正一五年(一五八七)には豊臣秀吉による九州仕置を迎え、江戸時代は大村藩領。明治七年(一八七四)当時、町域の諸村は第一四大区第三―四小区に属した。同一一年新たに成立した西彼杵郡の管轄下となり、同二二年の町村制施行に伴い長浦村・村松村はそれぞれ一村で編成されている。昭和三四年(一九五九)長浦村と村松村(子々川郷を除く)が合併して琴海村となる。同四四年に町制を施行、琴海町となり、現在に至る。
大正四年(一九一五)の長崎県大観では特産物として村松村の甘藷・石材、長浦村の真珠などがみえる。近年の農産物の粗生産額ではみかんが五割近くを占め、また肉用牛・米・すいか・苺などがある。近年はハウスみかんや花卉栽培が推進されている。町域の漁獲量ではなまこ・いか類・貝類・海藻類などが上位を占めるが、特産物となっていた形上湾の入江での真珠養殖は大村湾の水質汚濁の進行が大きな課題になっている。また栽培漁業・養殖漁業の転換としてクロダイの放流や、なまこの種苗放流が行われている。石材採取業・石材加工業やコンクリート製品工業などの地場産業があり、鉄鋼所・縫製工場などが誘致されている。江保崎地区に琴海ニュータウンが造成されている。形上郷の琴海のカネコシダ群落、戸根郷の琴海のヒイラギは県指定天然記念物。
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