アレクサンドル・スヴォーロフ

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アレクサンドル・ヴァシリエヴィチ・スヴォーロフАлекса́ндр Васи́льевич Суво́ров, ラテン: Alexandr Vasiljevich Suvorov, 1729年11月24日(ユリウス暦11月13日) - 1800年5月18日(ユリウス暦5月6日))

ロシアの軍人,将軍。スウェーデン系貴族の出身。七年戦争に従軍したのち,新しい戦略と戦術の開発に没頭,第1次露土戦争 (1768~74) で P.A.ルミヤンツェフを助けて用兵の妙を発揮して将官となった。エカテリーナ2世 (大帝) の信任が厚く,プガチョーフ農民戦争 (75) の際は首領 E.I.プガチョーフを捕縛してモスクワに帰った。その後 15年間は昇進もせず,宮廷でも冷遇されたが,第2次露土戦争 (87~92) では再び軍事的才能を発揮し,リムニク河畔でトルコ軍を壊滅させ,その功でリムニクスキー伯を授けられた。 1794年ポーランドの独立運動を弾圧した功績で元帥に昇進。その後旧式戦法に固執する皇帝パーベル1世に反対して一時不興をこうむったが,対仏大同盟へのロシアの参加で再び起用され,ロシア軍を率いて進撃,独特の戦術をもってフランス軍をイタリアから放逐し,99年イタリスキー公に叙せられた。続いてアルプスを越えてスイスに転戦,弾薬と食糧がつき,孤立していたロシア軍を敵の包囲から脱出させ,4分の3の兵力を無事救出した。この戦いは世界戦史上まれにみるものとされている。

1800年前例のない大元帥に任命されたが,その不行跡と周囲の冷遇により,宮廷から追放され,失意のうちに没した。しかしその天才的な指揮と輝かしい戦績によって,ロシア陸軍史上不朽の名声をとどめている。



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