インパール作戦

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インパール作戦(インパールさくせん、日本側作戦名:ウ号作戦(ウごうさくせん))

第2次世界大戦中の日本軍のインド進攻作戦の名称。英語では「日本軍のインド進攻」 Japanese invasion of Indiaとして知られる。 1944年3月6日,牟田口廉也中将指揮下の第 15軍が,ビルマからチンドウィン川を渡って,2手に分れインパール,コヒマを目指した。日本軍には,チャンドラ・ボースインド国民軍が参加した。日本軍は6月 22日まで,インパールを 88日間にわたって包囲したが,第 33師団長柳田元三中将は状況判断を誤って包囲を解き,作戦中止を上申。その直後イギリス=インド軍の W.スリム中将指揮下の第 14軍は攻撃に転じ,7~8月にかけて第 15軍を壊滅させ,インパールの防衛に成功した。イギリス=インド軍の死傷者は1万 7587人に対し,日本軍は戦死または行方不明2万 2100人,戦病死 8400人,戦傷者約3万人と推定される損害をこうむった。この作戦の失敗は,のちにビルマ防衛戦の全面的崩壊をもたらした。



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