ガス灯

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ファイル:ガス灯4248.JPG
姉小路通、京都市中京区

ガス灯(ガスとう)はガス燃料燃焼による照明

かつては室内灯としても使われたが、換気の問題などから、現在は室外にある街路灯としての使用が主である。

種類

魚尾灯

初期のガス灯は、直接火口から火を点灯し、炎を直接明かりとして利用するものだった。ただし、ガスバーナーのように単なる管から火をつけるだけでは細く、暗い光しか出ない[1]。 そのため、火口を平たく加工することによって、ガスの放出面積を広げ、扇形に点火させることにより、ガスの炎でも十分な明るさを得ようと工夫された。 これがあたかも「魚の尾びれ」のような形であることから、このタイプのガス灯は魚尾灯と呼ばれた。 この当時のガス灯は一灯あたり、16燭光のものが標準的であったようである。魚尾灯を利用した裸火のガス灯は白熱マントルが発明された事により廃れる。

白熱ガス灯

ガスマントルを利用することにより、従来の裸火ガス灯と比較して、一灯の出力が40燭光程度にまで伸びたガス灯。 ガスマントルは、1886年(明治19年)、カール・ヴェルスバッハによって発明された。人絹の織物に硝酸セリウム硝酸トリウムを含浸させたもので、一旦火を付け灰化させるとガスの炎で発光する。日本では明治27年頃からガスマントルを利用したガス灯が出現した。 タングステン電球が普及するまでは相当数が用いられた。従来の裸火のガス灯と区別する為に白熱ガス灯という。現在見ることのできるガス灯の大半はこの白熱ガス灯である。

歴史

昔から天然ガスは灯火や燃焼などに用いられていたが、照明としてのガス灯器具を最初に製作したのは、スコットランド人のウィリアム・マードックであり、1797年イギリスマンチェスターにおいてガス灯を設置している。

日本においても18世紀頃には、既に越後地方において「陰火」(いんか)として天然ガスの存在が知られており、ガスを灯火として用いた最古の記録としては、安政の大地震以前に盛岡藩の医師であった島立甫が、亀戸の自宅においてコールタールから発生させたガスを灯火として燃焼させたことが記されており(石井研堂『明治事物起原』より)、また同時期に盛岡藩の医師・鉱山技術者大島高任水戸藩那珂湊に建設した反射炉の燃焼ガスを用いて照明とした記録((大島信蔵編『大島高任行実』より))や鉱山石炭ガスを燃焼させて灯火として燃やした例などがある。

1857年安政4年)には鹿児島県鹿児島市仙巌園において、既存の石灯籠にガスの管を繋ぎ、照明としてガスを燃焼させた。この装置の製作を命じたのは島津斉彬であり、藩内各地において同様の装置を設置する構想も立てていたが、翌年の急逝で構想は流れた。

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造幣局創業当時(1871年)のガス灯

明治時代に入ってから本格的な西洋式ガス灯の照明器具が用いられるようになった。 日本で最初に西洋式ガス灯が灯されたのは1871年(明治4年)大阪府大阪市造幣局周辺においてで、機械の燃料として用いていたガスを流用する形で工場内および近隣の街路にてガス灯が点灯された。その時使われたガス灯の器具は造幣局内に現存する。

翌年の1872年(明治5年)9月1日に、実業家高島嘉右衛門とフランス人の技師プレグランの尽力により、神奈川県横浜市に最初のガス灯が造られ、日本におけるガス利用に先鞭をつけた[2]。伊勢山下石炭蔵跡(現在の横浜市中区花咲町・本町小学校あたり)に横浜瓦斯会社が造られガス灯が一般事業として運営されるようになり、同年9月29日にガス灯が横浜の大江橋(桜木町駅近く現在の国道16号橋)から馬車道本町通界隈に設置された。横浜市立本町小学校内にガス灯が保存されている。翌1873年には、銀座にもガス灯が建設された。当時、これらのガス街灯の点灯・消灯をする業務にあたる人を点消方といった[3]

配管・配線による供給が難儀し、一般家庭や店舗の門灯・軒灯はまだ石油ランプが一般的であった[4][3]

その後、白熱電球の発明と配電システムの普及により、屋内用の照明としてのガス灯は廃れていく事になる。電灯が登場すると、煙の臭いがする、また火災の危険性のあるガス灯は、これらの欠点のない電灯に需要を奪われた[5]が、終戦後の一時期は、電球入手の困難さから家庭内で使われる卓上のガス灯が、販売された時期もあった。しかし、世相が安定すると共に、電灯が寡占した。現在は、後述する通り、主として観光や趣のある景観の街灯として、僅かだが使用がみられる。またガス灯の燃料としての都市ガスの供給設備などのインフラは、調理用や暖房用のガス器具への燃料供給設備として、その後も整備が続けられ、現在に至る。

ガス灯が設置されている地域・場所

ガス灯は電球の発達によって廃れていったが、現在都市景観や店舗エクステリアのアイテムとして用いられたり、レトロブームにより復元されたり、モニュメントとして照明にガス灯を使用している地域がある。以下に、ガス灯が設置されている主な場所を挙げる。

廃止または撤去されたガス灯

以前にガス灯が設置されていたものの、現在では使用されていなかったり、撤去されているものも存在する。 以下に、それらの場所を挙げる。

  • 福島県会津若松市 駅前交差点 駅前の商業施設(会津サティ)の閉店・解体に伴い使用されなくなった。照明設備そのものは撤去されてはいないが、電気を利用した照明器具に改造して使用されている。
  • 静岡県三島市 宮さんの川通り。ガス灯の灯具をそのまま利用した電灯に変更されている。

灯外内管・灯内内管

都市ガスの配管において、使用者の敷地内のガス設備を供給内管と言うが、ガスメーターを挟んで、道またはボンベからメーターまでを灯外内管と言い、メーターから器具までの管を灯内内管と言う。それはガス灯が盛んだった時代にガス灯内のガス管に使われていた名称の名残である。

参考文献

  • 日本ガス協会編『解説・都市ガス-身近かなエネルギーの素顔-』ダイヤモンド社 1985年 ISBN 4-478-24022-1
  • ヴォルフガング・シヴェルブシュ『闇をひらく光 19世紀における照明の歴史』法政大学出版局 1988年 ISBN 4-588-27643-3
  • 岩井宏實『民具の世相史』(河出書房新社) ISBN 4-309-24204-9
  • 堀江誠二「ガス灯の点消方」(この100年消えいく職業7)、『週刊朝日百科日本の歴史』108号、1988年。

脚注欄

  1. イングリッド・バーグマンの主演で知られる「ガス燈 (映画)」は、舞台設定が1875年で魚尾型の時代であるが、現れるガス灯の殆んどはガスバーナーのような単管の裸火タイプである。 ちなみにこの映画では、犯人である夫がガス灯の明るさを故意に変動させ主人公が自分の精神状態を疑うように仕向ける。 ここから心理的虐待の一種を示すガスライティングという言葉が生まれた。
  2. 『民具の世相史』152頁。
  3. 3.0 3.1 堀江誠二「ガス灯の点消方」。
  4. 『民具の世相史』152頁。
  5. 『民具の世相史』153頁
  6. “「暗い怖い」でLED化へ 「日本一のガス灯通り」消える”. 産経新聞. (2015年9月12日). http://www.sankei.com/premium/news/150912/prm1509120003-n1.html . 2016閲覧. 
  7. “「明るくなった」四街道・めいわ地区 「日本一のガス灯通り」LED化”. 産経新聞. (2016年4月12日). http://www.sankei.com/region/news/160412/rgn1604120058-n1.html . 2016閲覧. 
  8. 千葉県の日本一・世界一(第2版)

関連項目

外部リンク

ru:Светильный газ