サウジアラビア

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サウジアラビア王国 サウジアラビアおうこく、アラビア語: المملكة العربية السعودية‎

面積 214万9690km2
人口 3003万3000(2013推計)。
首都リヤード

アラビア半島の大部分を占める国。宗教上の首都はメッカ。西部の紅海沿岸にはヒジャーズ山地(→ヒジャーズ地方),アシール山地が連なり,東部ペルシア湾岸はゆるやかに傾斜して高原台地を形成。国土の大部分砂漠ステップであるが,大地の下には地下水が層をなして全体に行き渡り,伏流がオアシスとなって,リヤードなどの内陸都市や耕地を形成。16世紀にオスマン帝国の支配下に入り,遊牧民(→ベドウィン族)とオアシス農民の居住地であったが,1926年イブン・サウードがヒジャーズ王国およびナジド王国(→ナジド地方)を建国,1927年イギリスから独立を認められ,1932年「サウード家のアラビア」を意味する現国名のもとに両王国を統合した。住民の大部分はアラブ人で,アラビア語を話し,イスラム教スンニー派のなかでも戒律の最も厳しいワッハーブ派のイスラム教徒(→ワッハーブ派運動)。イスラム暦を使用し,司法も『コーラン』による。比較的雨量の多いアシール山地やオアシスでは,コムギ,キビ,トウモロコシ,アルファルファ,アラビアゴムノキ,コーヒーなどを栽培する。第2次世界大戦後,石油が開発され,世界でも有数の産出国で,最大の石油輸出国となっている。1980年代に外国資本の石油会社アラムコを国有化し(→サウジアラムコ),その収入により,経済,社会の近代化が推進されている。経済成長にあわせておびただしい数の外国人労働者が流入し,21世紀初めには総人口の 20~25%を占めるにいたった。憲法,議会,政党をもたない祭政一致君主制であるが,1991年の湾岸戦争後,民主化要求が高まり,21世紀初め,ゆるやかな改革が始まった。