ザ・ぼんち

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ザ・ぼんち
メンバー ぼんちおさむ
里見まさと
芸種 漫才
公式サイト [[[:テンプレート:吉本プロフィール]] ザ・ぼんち プロフィール]
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ザ・ぼんちは、日本の漫才コンビ。1980年代前半の「漫才ブーム」で人気を博したのち、長い活動休止をはさみ、2000年代に再結成した。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。

メンバー

ぼんち おさむ1952年12月16日[1] - )

「ザ・ぼんち」の一時解散後、俳優としての活動を始め、『はぐれ刑事純情派』などのテレビドラマなどに出演。

その他おさむの詳細はぼんちおさむの項参照。

里見 まさと(さとみ まさと、1952年4月25日[1] - )

  • 本名:里 道和(さと みちかず)。旧芸名は単に「まさと」。ツッコミ担当。立ち位置は向かって右。
  • 兵庫県姫路市出身。父親は広島県尾道市[2]、母親は地元姫路の出身[2]。小学校3年生の時に両親が離婚したのちは、父に育てられる。プロ野球選手を目指して大阪の興國高校に進学[2]し、野球部に入部するも、レベルについていけず野球を断念[3]。そんなときに読んだ週刊誌で「西川きよしさんが『二十歳で家建てた』っていう記事を偶然読んで、こら漫才しかないなあ[3]」と思い立った。高校時代の同級生にのちの相方・おさむや九十九一がいた。高校卒業後の1971年にタイヘイトリオに入門。
「ザ・ぼんち」の一時解散後、おさむ同様俳優業に挑むも、収入が月7万円に落ち込むなど、家族4人で生活できないほど困窮し、自殺を考えるほど追い詰められた[4]が、テレビ番組で共演した亀山房代とともに1989年、「里見まさと・亀山房代」を結成、若手扱いから再出発し、1997年に第26回上方お笑い大賞金賞、1998年上方漫才大賞を受賞するに至った[5]。亀山の結婚・妊娠により、2001年末に「まさと・亀山」は円満解散した[5]
最近はピンでの落語講談にも力をいれており[6]、とくに講談は3代目旭堂小南陵(後の4代目旭堂南陵)の勉強会に参加し10席ほど稽古を付けてもらっている。講談師としての芸名は「旭堂 南総里見八犬伝」。

コンビ略歴

おさむとまさとは大阪の興國高校の同級生であった。ともにタイヘイトリオに師事(レツゴー三匹の弟弟子にあたる)。1972年11月[3]にコンビを結成し、翌年の1973年コンビ名を「ザ・ぼんち」として、同年3月デビュー。コンビ名は、山崎豊子小説ぼんち』に由来。当初は松竹芸能に所属したが、やがて和光プロダクションを経て吉本興業に移籍。1975年に発足した秋田實ら漫才作家による若手養成の会「笑の会」に第1期メンバー(他にチグハグコンビガッツジョージ・アーボー海原はるか・かなた森啓二・喜多洋司)として入会し、腕を磨いた[7]

そのかたわら、ぼんちは毎日放送テレビヤングおー!おー!』の番組内ユニット「チンチラチン」のメンバーとして売り出し、同局の『モーレツ!!しごき教室』にも出演して若手タレントの注目株と目された。

やがてザ・ぼんちは1978年10月8日の同会の東京公演「やりまっせ!! 大阪漫才 東京なぐりこみ爆笑大会」において、漫才作家の大池晶が「特にぼんちの漫才の受け方は異常でした」と回想するほどの爆笑を生み、この様子を観客として見ていた東阪企画澤田隆治に、のちに漫才ブームのきっかけとなる様々な番組(後述)の企画を決意させるきっかけとなった[7]

1980年関西テレビの『花王名人劇場』やフジテレビの『THE MANZAI』など、澤田や横澤彪らの仕掛けによる一連の漫才番組に横山やすし・西川きよしB&B島田洋七島田洋八)、島田紳助・松本竜介西川のりお・上方よしお太平サブロー・シローらとともに出演。たちまち全国的な人気を獲得するに至る。ぼんちはそれまで関西以外では無名に近いコンビだったが、『THE MANZAI』第1回放送(1980年4月1日)の翌日、長崎大学の学園祭に出演するため飛行機で移動していた2人に客室乗務員がサインを頼んでくる状況に直面し、まさとは「僕の人生は変わった」と感じたという[7]

1981年、シングルレコード「恋のぼんちシート」を発売し、売上約80万枚に達し[8]オリコンチャートでは最高位2位を記録する大ヒット曲となり、同年全国7か所縦断コンサートを開催。最終日の7月21日[7]には日本武道館で公演し、武道館でコンサートを開催した初の漫才師となった[4]。このころまさとは「末路は哀れでもええから、人気のあるうちに好きなことしよう」とコンビで話し合ったことをのちに回想している[7]。この時期、テレビ・ラジオのレギュラーが週14本[7]あったのに加え、劇場の出番をこなし、合間に取材を受けるという殺人的な多忙ぶりとなり、静岡と山梨で同日同時間に営業の仕事が重なる状態となり静岡からヘリコプターで山梨に移動した(山梨の方の漫才出番を飛ばし、握手会に切り替えた)[7]楽屋点滴を打っていた、などのエピソードが残る。

漫才ブームが沈静化するに従い仕事が減少し、また芸の消耗が激しかったこともあり、ザ・ぼんちは1986年に、一時コンビを解散した[4](各メンバーの活動については上述)。

長い休止期間をはさみ、2003年[5]に再結成した。以後レギュラーの劇場出番のほか、若手中心のライブや学園祭にも積極的に参加し、記念ライブの会場に敢えて若手中心プログラムの常設劇場であるルミネtheよしもとや、古い歴史を持つ大須演芸場を選ぶなど、ベテラン、大御所という自覚を持たず若手と同じ目線、立場での芸能活動を展開している。

2014年にはかつての同名の番組にちなんだコンテスト番組『THE MANZAI』に出場、認定漫才師50組に選出された。予選控え室や会場通路の至る所で練習熱心に励む若手の熱気と気迫に圧倒され、年数制限がないからと軽い気持ちの参戦を後悔した。しかし、認定という結果は当時のファン、高齢以外の層にも受け入れられたという自信に繋がり、活動の転機となったという。

受賞歴

[1]

音楽新人賞の田原俊彦松田聖子らを抑え、芸能新人賞受賞者では最初で最後の最優秀新人賞受賞者になった。
  • 1981年 第1回花王名人大賞 最優秀新人賞
  • 1981年 第16回上方漫才大賞 大賞

弟子

芸風

スマートな男前のまさとが丁寧にネタを振り、そこへ乗って大きくボケるおさむのコンビは異色であった[4][8]。この構図の原点はアメリカのコメディアンのコンビ「底抜けコンビ」(ディーン・マーティン&ジェリー・ルイス)にあるという。おさむはルイスの大ファンであることを公言しており、髪型やダンスなど、芸風が重なる部分も多々ある。

結成当初は秋田實直系の正統派のしゃべくり漫才を志向していたが、ギャグ(後述)と動きが満載の爆笑漫才でブレイクしたため「引っ込みがつかなくなった」(まさと談)[7]

漫才ブームの時期は通常の背広ではなく、いわゆる「アイビー・ルック」を着用し、トレードマークとなった[4]

ギャグ

  • おさむちゃんで〜す(おさむ)
このセリフのあと続けて自分の頭をげんこつで叩くフリ(振り切らないで頭上で止める)をしながら口内で舌を鳴らす。
  • おさむ「そうーなんですよ、川崎さん」→まさと「ちょっと待ってください、山本さん」
テレビ朝日系『アフタヌーンショー』のレポーター山本耕一と司会者・川崎敬三のやりとりをものまねしたもの[7]。「恋のぼんちシート」の中でも演じている。
  • ○○……、潮来の伊太郎〜、あれ〜(おさむ)
橋幸夫のものまね。何を歌っても橋幸夫になってしまい、歌声の確認のために短く「潮来笠」を歌っては困るさまを演じる[7]
  • 今日、耳日曜(おさむ)
  • おまえは、病気やろ(まさと)
  • やったやった! ○○! やった!!(まさと)
○○の中には「阪神勝ってる」等が入る。

エピソード

  • 吉本興業の社長・会長を歴任した吉野伊佐男はザ・ぼんちの元マネージャーである。
  • おさむは売れない時代、月亭八方の経営する飲食店でアルバイトをしていた。顔が知られていないその頃は客から、すでに芸人であるにも関わらず「兄ちゃん、オモロイから芸人になったらええで」とよく勧められたという。
  • 漫才コンビ・中川家礼二は、まさとのものまねをレパートリーとしている。

出演

コンビ揃っての出演作および、まさと個人の出演作。おさむのみの出演作はおさむの項参照。

現在出演中の放送番組

過去に出演した放送番組

テレビCM

ほか

ディスコグラフィー

[1]

レコード

いずれもフォーライフ

書籍

映像媒体

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「yoshimoto」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  2. 2.0 2.1 2.2 ザ・ぼんち・里見まさと『おおきに! 漫才 人生は何歳からでもやり直せるヨシモトブックスワニブックス)、2013年 p.10-18
  3. 3.0 3.1 3.2 里見まさと 亀山房代の死と新生ザ・ぼんちを語る(1ページ目) NEWSポストセブン、2016年11月12日 - 典拠は『SAPIO』 2016年12月号 上原善広「日本の芸能を旅する 里見まさと」
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 里見まさと 亀山房代の死と新生ザ・ぼんちを語る(2ページ目) NEWSポストセブン、2016年11月12日 - 典拠は上に同じ
  5. 5.0 5.1 5.2 里見まさと 亀山房代の死と新生ザ・ぼんちを語る(3ページ目) NEWSポストセブン、2016年11月12日 - 典拠は上に同じ
  6. ザ・ぼんち里見まさと 還暦ライブでようやく手ごたえ感じた NEWSポストセブン、2016年11月12日 - 典拠は上に同じ
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 7.6 7.7 7.8 7.9 読売新聞大阪本社文化部(編)『上方放送お笑い史』 読売新聞社、1999年 pp.325-332、pp.336-340、p.345
  8. 8.0 8.1 ザ・ぼんちが2・21に再結成後初の単独ライブ、SANSPO.COM、2003年1月9日。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
  9. 9.0 9.1 ザ・ぼんち コトバンク - 典拠はタレントデータバンク

関連項目

外部リンク