スズキ (企業)

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スズキ株式会社英語: SUZUKI MOTOR CORPORATION)は、日本四輪車及び二輪車のメーカーである。

四輪車の世界販売台数は第10位、国内販売台数は第3位[1][2]二輪車の世界販売台数は第8位、国内販売台数は第3位[3]船外機では販売台数世界第3位である[4]

概要

大工から身を起こした鈴木道雄により、1909年織機メーカー「鈴木式織機製作所」として創業。当初の木製織機からのちには金属製自動織機の生産へ移行し、企業規模を拡大すると共に、精密機械の加工ノウハウを蓄積した。 しかし、近代化された力織機はいったん織物工場に納入されると長年月の稼働が可能な耐久商品で代替需要が小さく、将来の販路飽和が予見されたことから、機械技術を活かした多角化策として、早くから自動車産業への進出検討を始めていた。

創業者の鈴木道雄は120以上の特許ー実用新案を取得した発明者でもあった。その名前がそのまま社名になった。ロゴの制定は1958年で、美術系の大学生に呼びかけて候補を募った。300余点の候補のなかから手銭正道のデザインが選ばれた[5]

戦前から自動車開発の企図を持ち、オースチン・セブンのコピー車製作などを試みていたものの、本格的な参入は1950年代初頭の自転車補助エンジンブームを機にオートバイ開発に乗り出した1952年からである。更に1955年には四輪軽自動車分野にも進出し、以後、小型オートバイと軽自動車分野をメインに、日本の小型自動車業界での地歩を築いた。

四輪車は軽自動車や小型車などを主力としている。軽自動車の分野では、1973年から2006年までの34年間にわたり販売台数日本一を誇り、マツダ日産自動車三菱自動車工業へのOEM供給も行っている。社団法人全国軽自動車協会連合会の発表した2006年度(2006年4月 - 2007年3月)軽四輪車新車販売台数速報[6]によれば、長年競い合ってきたダイハツ工業に1位の座を譲った(ダイハツ61万6206台、スズキ60万5486台)、なお同社は2006年にスイフトSX4などの小型車の強化を表明しており、生産能力確保の為には軽No.1にはこだわらず、軽生産の縮小も辞さないという姿勢を打ち出している、しかし、2014年は同年1月に発売を開始したクロスオーバーSUV型のハスラーが発売初年で10万4233台とヒット車種となったことで軽乗用車販売台数の大幅アップ(2013年比15.9%増)に貢献し、同協会による2014年の軽四輪車新車販売速報[7]ではダイハツ工業(70万6288台)を2795台上回る70万9083台となり、8年ぶりに軽自動車年間販売台数No.1の座を奪還した[8][9]。 2014年度における四輪車の販売台数は国内では第3位で、世界では第10位[10]。特にインド市場で強みを発揮しており、インドにおける自動車シェアの(年間販売シェアのうち)54%はスズキが占めている。2002年にインド政府との合弁会社マルチ・ウドヨグをマルチ・スズキ・インディアとして子会社化し、連結経常利益の4割を占めている。

東京商工リサーチ浜松支店が2016年5月18日に発表したところによると、日本国内の仕入れ先は5372社で、そのうち一次仕入れ先は1154社、二次仕入れ先は4218社であり、一次仕入れ先の約半数である506社が静岡県内の企業で、数としては一位を占めている。またそれとは別に、一次仕入れ先の過半数は資本金5000万円未満の企業である[11]

メーカー出資の子会社ディーラーは「スズキ自販○○」(○○には都道府県名が入る。例:スズキ自販東京)という社名になっているケースがほとんどである。

自動車以外ではモーターサイクルモーターボートスズキマリン)、船外機発電機リース/クレジット事業(スズキファイナンス)、住宅(スズキハウス)、ワインはちみつ保険の販売やカー用品事業(オートリメッサ)、ガソリンスタンドゴルフ場の経営なども手がける(これらのほとんどは関連会社のスズキビジネスが担当)。

取引銀行は、三菱UFJ銀行静岡銀行りそな銀行である。

またTOPIX Large70の構成銘柄の1つでもある。

2014年3月現在の本社所在地である静岡県浜松市南区高塚町300番地は、1991年5月1日の自治体合併前まで浜名郡可美村であったが、各種広報では「浜松市外高塚」と記していた時期も有った。

現在の大手自動車メーカーでは、極めて珍しい起業から現在に至る迄創業家一族が、経営の中枢を担う役職で世襲制を引いている。

スズキ株式会社は2020年に創立100周年を迎える国内自動車メーカーの中でも歴史の長い名門企業である。

沿革

  • 1909年10月 - 創業者鈴木道雄により、鈴木式織機製作所として浜松で創業
  • 1920年3月 - 鈴木式織機株式会社として設立
  • 1954年6月 - 鈴木自動車工業株式会社に改称
  • 1981年8月 - ゼネラルモーターズ(GM)と提携
  • 1990年10月 - スズキ株式会社に改称(旧英文名称はSuzuki Motor Co., Ltd.)
  • 2006年3月 - GMの出資比率が3%となる
  • 2008年3月 - GMの保有株を全て自社買取
  • 2009年
  • 2011年9月 - 取締役会において、フォルクスワーゲンとの提携解消を決定する。
  • 2012年11月 - アメリカンスズキモーターが連邦倒産法申請、米国での四輪車販売から撤退し二輪車販売に注力するとしている[12]
  • 2013年8月 - 日産自動車三菱自動車工業へ軽商用車のOEM供給で基本合意[13][14]
  • 2015年8月 - 国際仲裁裁判所が、VW保有のスズキ株を売却すべきだという判断(判決)を示し、VWが保有するスズキの全株式(19.9%)を手放すことになり、公式に提携解消となった[15][16]

歴代社長

氏名 在任時間 主な実績や特記事項
鈴木道雄 1909年10月~1957年2月 創業者。スズキの前身である「鈴木式織機製作所」を設立し、各種製織機を発明した。その後、自動2輪車の研究開発に投資し、軽自動車の4輪乗用車スズライトの導入に至った。社名を「鈴木自動車工業」へ改称した。
鈴木俊三 1957年2月~1973年5月

道雄の長女婿養子。社長が実際に参加して自動2輪車の開発が行われた。最初は、岳父の掲げた4輪車の開発に反対していたものの理解を示し、車輌開発と生産計画を継続し完了させた。

鈴木實治郎 1973年5月~1978年6月 俊三の義弟、道雄の三女婿養子。自動車及びオートバイ事業の世界への拡大と、医療福祉施設への参入を行い、電動車椅子の導入を図った。そして、スズキワークスチームが、世界オートバイ選手権に戻るように導いた。1978年6月で、病気を理由に社長を辞任した。
鈴木修 1978年6月~2000年6月 俊三の長女婿養子。日本の軽自動車の覇権を握る「スズキアルト」、「スズキワゴンR」などのモデルを発売。Maruti Udergius(以前はMaruti Suzuki)をインドに設立。更に投資する為、ハンガリーに行きMagazin Suzukiを設立した。米国大手自動車大手ゼネラルモーターズの資本協力を行ったり、社名を「スズキ株式会社」に改称した。
戸田昌男 2000年6月~2003年3月 初の創業家以外の社長。販売面における業務提携を川崎重工業と結び、オートバイ、ATVなどの製品の相互OEM供給を行う協力を発表した。しかし、後に業務提携は、スズキの意向により解消された。
津田紘 2003年3月~2008年12月 先代に続き創業家以外の社長。「スズキスイフト」、「スズキSX4」などのモデルを発売し、世界ラリー選手権に参戦した。
鈴木修 2008年12月~2015年6月 鈴木修の長女婿だった小野浩孝を第7代目の社長に人選していたが、膵臓癌のため2007年12月12日に死去。当時78歳の修が社長に復帰した。 2009年には、ドイツのVW Groupと株式所有交換を行い事業提携を共にしていたが、VW側の買収工作を端に泥沼の裁判の末、スズキの意向により解消された。
鈴木俊宏 2015年6月~現在 鈴木修の長男。創業者の道雄以来、初の直系親族の社長になった。

同業他社との関係

日産自動車とは2002年4月からMRワゴンを日産・モコとしてOEM供給を開始した事を皮切りに、2007年1月には6代目アルトを日産・ピノ(2010年1月まで販売)として2009年12月にはパレットを日産・ルークス(2013年3月まで販売)として、2013年12月には2代目エブリイワゴン/5代目エブリイ/12代目キャリイを2代目日産・NV100クリッパーリオ/NV100クリッパー/NT100クリッパーとしてそれぞれOEM供給を行なっている。反対に、日産自動車からミニバンの日産・セレナ(3代目以降)のOEM供給を受け、ランディとして販売されている。

三菱自動車工業とは2011年3月から、3代目ソリオを三菱・デリカD:2として、2014年2月には2代目エブリイワゴン/5代目エブリイ/12代目キャリイを2代目タウンボックス及び7代目ミニキャブバン/ミニキャブトラックとしてそれぞれOEM供給が行われている。

マツダには1989年5月から軽自動車及び軽商用車のOEM供給を行っている。1989年10月にはスズキが乗用車用基幹部品(エンジン等)の供給を開始し、1998年10月の新規格軽乗用車の発売以降は、スズキがマツダの軽自動車全モデルをOEM供給している[17]

トヨタ自動車とは歴史的に縁が深く[18]2017年には次世代のエコカーや自動運転車の技術など幅広い分野で業務提携を結ぶことで基本合意している[19]

米GMとの提携
1981年8月にはゼネラルモーターズ (GM) と提携を開始した。スズキの鈴木修会長は記者会見において、GMに吸収されるのではないかとの懸念について、「GMは鯨、スズキは蚊。鯨に飲み込まれずに高く舞い上がれる」とコメントし話題となった[20]カルタスエスクードを北米ではシボレージオブランドでOEM供給していた。1988年から1993年までは日本においてシボレーやポンティアックの輸入を行った。2003年から2006年には再びシボレー車の輸入を行っていた。
スズキは同じGMグループの富士重工業(当時、現・SUBARU)やいすゞ自動車と部品の共通化などをすすめていたが、GMは2005年に富士重工株、2006年にいすゞ株をトヨタ自動車に売却した。
財務体質が悪化したGMは2006年に保有していたスズキ株式20%のうち17%を売却し、それをスズキが自己資金で買い戻した。さらにGMの急激な業績悪化と世界金融危機による資金繰りの悪化により、2008年11月17日付けで保有していた残り3%(1641万株)のスズキ株を223億円でスズキに売却した。これによって日本からGMの資本はすべて引き上げられ、GMグループに属する自動車製造会社はなくなった。
スズキはGMとの提携関係を継続するとして今後の新型車に搭載するハイブリッドエンジンを共同開発する方針を示していたが、2009年12月にはカナダの生産拠点であるCAMIオートモーティブの全株式をGMに売却するなど[21]、提携解消に向けた動きが順次進められている。スズキ会長兼社長の鈴木修は同年12月16日に行われた新型アルトの発表会の席上で「GMには28年間本当にお世話になった。小学校を卒業して中学校に入る際に先生が変わった、そんな気持ちだ」と関係を表現している[22]
独VWとの提携
2009年12月にはフォルクスワーゲン(以下『VW』)との包括的提携を発表した[23]。VW側はスズキの発行済株式の19.89%を24億ドルで取得する一方で[24]、スズキ側もVW株を「VWがスズキ株式の取得に投じた金額の2分の1を限度として」取得するほか、ハイブリッド車等の開発でも提携するとしていた[25]
2011年3月に発表されたVWの年次決算報告書の中でVWはスズキを「財務・経営面で重大な影響を及ぼせる会社」にあげた。スズキの鈴木修会長兼社長は提携時に両社は対等な関係を維持することを約束したはずだとしてVWに対して不快感をしめした[26]
6月にスズキがフィアットからディーゼルエンジンの供給を受けることが発表されると、VWは提携合意に違反するとして抗議を行った。
スズキは、技術的支援が受けられなかったことや、VWがスズキを「財務的、経営方針上、重大な影響を与えることができる」会社とみなしたことを理由として、2011年9月12日にVWとの提携を解消すると発表した[27]。互いに購入した株式については売却を求めるとした。VWは2011年10月27日発表の決算報告書ではスズキを持ち分法適用会社から除外した[28]。スズキは提携の解消を求め国際仲裁裁判所に調停を依頼した[29]
2015年8月30日、国際仲裁裁判所が、VW保有のスズキ株を売却すべきだという判断(判決)を示し、VWが保有するスズキの全株式(19.9%)を手放すことになり、正式に提携解消となった[15][16]。スズキ会長兼CEOの鈴木修は同日の記者会見で、記者から「VWとは別の分野での協力することはあるか」との質問に対し、「離婚した人とまた再婚することはないだろう」と述べた[30]
また、正式な提携解消後も審議が継続されていたVWが主張した契約違反に基づく損害については、2016年2月10日にVWが損害賠償請求を取り下げ、スズキがVWに対して本件の和解金として一定額を支払うことで和解が成立し、一連の仲裁が終結された[31]

博物館

スズキの車種一覧

車種一覧

製品の特徴

「人と同じ事はやらない。やるなら世界一を目指すのがスズキ」の企業風土がある[32][33]

二輪車の分野では1980年代に爆発的な人気となったレーサーレプリカの第1号としてRG250ガンマ(2サイクル)を発売した。

50 ccのレーサーミニとしてGAG(4サイクル)を発売した(ジョーク・バイクとして発売されたGAGの後追いとして他社から出たものは、完全な「レーサーミニレプリカ」として発売されたため、レーサーミニの第1号であるGAGは短命に終わる)。

今日、特に欧州で人気の400 ccや650 ccのビッグスクーターの第一号もスズキによって発売された。それ以前にも250 ccのスクーターはホンダなどにより既に発売されていたが、それはあくまで(高速道路も走る事ができる、50 ccや125 ccの標準的な排気量のスクーターから見れば)「巨大化したスクーター」としてのみ認知されていた。それをスクーターとしては異例な400 ccの大排気量エンジンを搭載し、さらに巨大な650 cc(スクーターとしては、発売当時世界最大の排気量であった)というエンジンを載せてビッグスクーター=プレミアム・スクーター(高価格ではあるが、四輪車の十分な代用となり高性能である、といったような複合的要素)という図式を作り上げた。これによりビッグ・スクーターは上記の1980年代のレーサーレプリカと同じように人気となる。

馬力競争にも積極的に参加し、スズキの車種の出力が後の業界自主規制値の発端となった例も多い。例として、二輪車250 ccクラスの45馬力(RG250ガンマ)、同400 ccクラスの59馬力(GSX-R)、軽自動車の64馬力(アルト・ワークス)、欧州のバイクにおけるスピードリミッター装備とスピードメーターの300 km/h目盛自粛(ハヤブサ)が挙げられる。

その一方でジムニーキャリイの各2サイクルエンジンを1980年代中半頃まで使用し続けたり、Keiは登場から11年間程発売され、ジムニーは登場から10年程(3代目は20年程)経過した車種でありながら改良を重ねつつ生産・発売し続けたり、ソリオ(旧・ワゴンR+ → ワゴンRソリオ)は2010年にフルモデルチェンジされるまで11年間も生産・販売し、ワゴンRスイフトは3代続いてキープコンセプトである(前者は初代から3代目、後者は2代目から現行型となる4代目)など、4輪に関しては保守的な面もある。しかし、初代ワゴンRの「居住性を確保するために背を高くした軽乗用車」というコンセプトは当時は非常に革新的で、軽トールワゴンという新たなジャンルを開拓した。またスズキの四輪車は、日産・セレナOEM供給車であるランディを除き、全て寒冷地仕様となっている。

生産拠点

四輪

二輪

  • 豊川工場(愛知県豊川市)(スクーターから大型バイク全般)
  • 高塚工場(静岡県浜松市)(二輪車エンジン製造)
    • 2018年を目処に静岡県浜松市北区都田町に浜松工場を新設予定。これに伴い上記2工場は同時期に閉鎖される。
  • 台鈴工業股份有限公司(台湾) - アドレスV125シリーズなど
  • 常州豪爵鈴木摩托車有限公司(中華人民共和国) - GSR250など
  • 済南軽騎鈴木摩托車有限公司(中華人民共和国) - アドレス125など
  • タイスズキモーター社(タイ) - バーグマン200など
  • P.T.スズキ・インドモービル・モーター社(インドネシア) - アドレス110・GSX-S125など
  • スズキ・モーターサイクル・インディア社(インド) - ジクサーなど
  • カンボジアスズキモーター社(カンボジア
  • スズキフィリピン社(フィリピン

船外機

  • 豊川工場(愛知県豊川市) - 二輪車と同工場(閉鎖後は湖西工場に移管予定)
  • タイスズキモーター社(タイ)

研究所・テストコース

研究所

  • 開発部横浜研究室

テストコース

  • 竜洋コース(静岡県磐田市) スズキのメインテストコース。周回路の他モトクロス用ダートや各種試験設備を備える。
  • 下川コース(北海道上川郡下川町) 冬季の寒冷地試験コース。
  • 相良コース(静岡県牧之原市)ここの周回試験路の内側にスズキ相良工場と、スズキ納整センター相良納整センター[34]がある。

コーポレートスローガン

  • 価値ある製品づくりをめざす鈴木自動車
  • もっと個性的に、もっとあなたらしく Personal Best1987年 - 1997年
  • 小さなクルマ、大きな未来。1998年 - 現在)

4輪販売チャネル

日本国内の自動車の販売網は「スズキ店」と、小型車をメインに扱う「スズキアリーナ店」(2000年4月より発足)の2ディーラー体制であり、更にその下に「副代理店」「業販店」というサブディーラーが存在している。

日本国内のサブディーラーは各地域ごとの「スズキ自販」会社が統括しており、日本に5万店ある「業販店」の中でも販売実績の多い店を「副代理店」としている。スズキでは、それらサブディーラーの販売比率が7割以上を占めている。各地域ごとの「スズキ自販」会社は、一般顧客向けの販売と同時にサブディーラーへの卸会社としての機能も持っている。

日本国内での販売店は、町の自動車整備工場や中古車販売店が大部分を占めている。

インド市場においては、マルチ・スズキ・インディア主導により、2015年より上級車チャネル「NEXAネクサ)」が立ち上げられ、既存のマルチ・スズキディーラーよりも上質感と高級感を訴求し、高価格帯車種を中心に取り扱っている。

関連企業

日本国内

モータースポーツ部門を取り扱う。
ハンガリー製トカイワインの輸入も行っている。
オートリメッサ - カー&バイク用品店
スズキハウス

日本国外

主な提供番組

2018年4月現在

テレビ

☆印は60秒提供。

ラジオ

過去

テレビ

日本テレビ系列
テレビ朝日系列
TBS系列
フジテレビ系列
その他

ラジオ

文言

かつての提供番組での文言は1987年9月までは「価値ある製品づくりをめざす 鈴木自動車」だったが、1987年10月以降から1998年9月まで「もっと個性的に、もっとあなたらしく Personal BestのSUZUKI」となり、1998年10月以降から現在まで「小さなクルマ、大きな未来。SUZUKI」が使用されている。
2009年の一時期、提供読みを「おかげさまで発売30周年のアルトのSUZUKI」として紹介された。ちなみに福山雅治のTALKING F.M.では通常は福山本人が提供読みをするが、その時はTOKYO FMのアナウンサーが担当した。

備考

TBSテレビでのレギュラー番組でのスポンサーは2009年9月「水曜劇場」が最後になっており、また同年に駅伝の車両スポンサーも撤退したが、2012年夏以降にSUZUKIのCMが再開した。8月2日の「ロンドンオリンピック中継」(17:25 - 21:00 テレビ埼玉でも同時ネット)では久々の同局での1分提供を務めた。ロンドンオリンピック閉会以降はPT扱いで「はなまるマーケット」などで流れていた。現在は「日本レコード大賞」などの年末年始番組でPT扱いでCMを流している。
フジテレビでのレギュラー番組は2012年3月の「ザ・ベストハウス123」までは1分提供があったが、2012年4月からは30秒提供に分離して「VS嵐」「土曜プレミアム」の提供となり、同局の1分提供は、7月21日の「FNS27時間テレビ」(18:30 - 20:45のパート)まで待つことになる。

不祥事

申告漏れ・所得隠し

2012年、名古屋国税局の税務調査で2011年3月期までの2年間で約12億2千万円の申告漏れを指摘された。スズキはアジアのバイク販売代理店数社に支払った販売促進費を11年3月期に計上したが、国税局は実際に支払った時期より前倒しして計上したことで利益が圧縮され、法人税の支払いが減ったと判断した[35]

また2016年には 名古屋国税局の税務調査で2015年3月期までの2年間で計約12億円の申告漏れを指摘された。スズキは余ったレース用のオートバイ部品について、仕入れ費用を経費に計上して利益を圧縮し、約3億円の所得を隠していたとされる[36]

燃費偽装

2016年(平成28年)5月三菱自動車の燃費偽装にともなう調査で、スズキもマツダへのOEMを含む26モデル(販売台数214万台)の測定を、国の定める「惰行法」で行っていなかったことが判明した。スズキが走行抵抗データを取得する相良テストコースは海の近くの丘の上にあり、風の影響を受けやすく、データの取得が天候に左右され、試験が困難になるケースがあった。そのためスズキの担当者は車両開発のため風洞試験室で測定した空気抵抗やタイヤの転がり抵抗など、要素ごとの抵抗値を積み上げて車両全体の走行抵抗データとして公式に活用していた。そして国に提出する書類には惰行法で測定した測定日、大気圧、天候、気温などの虚偽情報を記入し、かつデータを正規な方法で取得したように惰行時間を偽装していた[37]。また、本来ならカーライン、エンジン設計部、法規認証部が立ち会いのもとで走行抵抗データを決定しなければならないが、法規認証部は走行抵抗データの取得に関与していなかったという[38]

これにより鈴木修会長兼CEOはCEO職を辞任し、技術担当の本田副社長も辞任となった[39]。なおこの事件についてTwitterでは、『スズキの不正計測では規定重量の3倍になる180キロの荷物を載せて行っていた模様。社長「車は1人だけでなく家族で乗るものだから実は三人で計測してた」』というツイートが拡散されネットメディアも報道、各所でスズキを賞賛する声が上がったが、実際にはデマであったことが判明している[40]。なお、国土交通省に再提出された正しい測定方法(惰行法)で取得した燃費は、全ての車種で、不正を行っていた時期の届出値より向上した。

問題発覚の際、5月下旬のテレビCMについては一部番組を除きPT扱いに格下げ、6月はテレビCMはすべて自粛し見合わせ(ただし、グループローカル自販を除く)てACジャパン自己啓発に差し替えられて放送されていたが、7月以降はテレビCMの放映を再開した。

脚注

  1. クルビア
  2. MOBY
  3. JAMAGAGINE #50 2016年7月号
  4. ホンダ、苦戦が続く船外機で巻き返しを狙う Response.jp
  5. 『ロゴの秘密』(高橋書店 2013年)p.16f.
  6. 社団法人全国軽自動車協会連合会の該当ページ
  7. 社団法人全国軽自動車協会連合会の該当ページ
  8. スズキ、8年ぶり年間販売台数首位!「ハスラー」のヒットが貢献 - サンケイスポーツ 2014年12月27日(2014年12月28日閲覧)
  9. http://qbiz.jp/sp/article/52774/1/
  10. クルビア
  11. “スズキの1次仕入れ先 県内506社で半数近く 民間まとめ”. 静岡新聞: pp. 31. (20160519) 
  12. スズキ、米の車販売から撤退 現地販社を法的整理 日本経済新聞 2012年11月6日
  13. 日産自動車、スズキと軽商用車のOEM供給につき基本合意 - 日産自動車プレスリリース 2013年8月29日
  14. 三菱自動車、スズキからのガソリン軽商用車のOEM供給受けについて - 三菱自動車工業プレスリリース 2013年8月29日
  15. 15.0 15.1 “スズキ、独VWとの提携解消へ…仲裁裁判所判断”. 読売新聞. (2015年8月30日) 
  16. 16.0 16.1 “スズキと独VW、提携解消へ 国際仲裁裁判所が判断”. 朝日新聞. (2015年8月30日) 
  17. マツダとスズキ、軽四輪車OEM契約を継続
  18. 自動車産業(2)軽自動車 ガラパゴスから世界のエコカーへ
  19. トヨタとスズキ エコカー技術などで業務提携 基本合意発表 NHK NEWS 2017年2月6日付
  20. http://www.news-postseven.com/archives/20130528_190558.html
  21. 【カナダ―生産】GM、スズキとのCAMI合弁工場を完全子会社化 - 国際自動車ニュース・2009年12月7日
  22. スズキの原点、新型「アルト」発表会 - CAR Watch・2009年12月16日
  23. スズキとVW 包括的提携に基本合意(2009年12月9日)
  24. http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPTYE8BA04F20121211
  25. 【スズキ・VW会見】(1) 鈴木会長「環境技術で助け借りたい」 - MSN産経ニュース・2009年12月9日
  26. http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20111027-OYT1T00390.htm?from=main4
  27. VWAGとの提携関係に関するお知らせ(2011年9月12日)
  28. http://www.47news.jp/CN/201110/CN2011102701001055.html
  29. http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD250SI_V20C13A4TJ0000/
  30. スズキ会長、独VWと「再婚ない」 提携解消「満足」. 日経新聞 (2015年8月30日). 2015年9月3日閲覧。
  31. 和解による仲裁の解決に関するお知らせ - スズキ株式会社 ニュースリリース 2016年2月10日(2016年2月12日閲覧)
  32. http://core-room.sblo.jp/article/48031222.html
  33. http://www.echirashi.com/column/html_columns/momo135.htm
  34. 各販売代理店に替わって新車の納車前整備や付属品等の取付を一括集中して行う施設で、当センターは東京都・埼玉県・神奈川県・山梨県・静岡県の販売代理店向けの納車前整備等を行っている。
  35. 日本経済新聞 スズキが12億円の申告漏れ 海外販促費を前倒し
  36. 日本経済新聞 スズキ、3億円の所得隠し 名古屋国税局が指摘
  37. スズキの走行抵抗値捏造は“吝嗇文化”の行き過ぎか - 日野三十四 日経クロステック(2016/06/05 23:50更新)2018年7月7日閲覧
  38. スズキ、違法行為横行の悪質な企業体質露呈…独裁者・鈴木会長の失敗で不祥事連発
  39. スズキ、鈴木修会長が燃費不正でCEO職返上 技術担当副社長は辞任
  40. 燃費不正問題で「ネット美談」が広がったスズキ、会長は引責 何が起こった?

関連項目

技術関連
モータースポーツ
人物・キャラクター
冠大会
車両協力
その他

外部リンク


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