セイコーインスツル

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セイコーインスツル株式会社英語: Seiko Instruments Inc.)は、マイクロメカ・腕時計・電子デバイス・情報システム機器・計測分析機器等の製造メーカー。略称SII(エスアイアイ)。

創業者一族の服部家を主要株主とする未公開(非上場)企業であった(2007年度に上場要件を満たすことを目標としていた)が、2009年10月にセイコーホールディングスと経営統合して、同社の完全子会社となった。

本社は千葉県千葉市美浜区幕張新都心にある。

セイコーホールディングスとセイコーエプソンとともに「セイコーグループ」の中核企業であった。

沿革

  • 1881年 - 服部金太郎が輸入時計を販売する服部時計店(現在のセイコーホールディングス株式会社)を創業。
  • 1892年 - 時計工場である精工舎を設立し、国産クロックの製造を開始。
  • 1937年 - 精工舎の懐中時計腕時計部門が分離独立し、株式会社第二精工舎(現在のセイコーインスツル株式会社)となる。
    • 以降、セイコーの懐中時計と腕時計の開発・生産を担うが、日中戦争太平洋戦争中の戦時体制下で時計以外の精密部品・軍需製品の生産も手掛ける。また地方への生産拠点疎開の目的で、群馬県桐生富山市仙台市長野県諏訪に分工場を開設。
    • 亀戸工場は終戦末期の空襲に被災して再建が遅れる一方、地方拠点のうち地元による強い支援のあった諏訪工場のみ1949年以降も疎開工場を脱して存続、時計の開発能力を持つようになる。以後、復興した亀戸工場と諏訪工場が、別系列の開発体制で異なる設計のセイコーブランド腕時計を競って開発・生産する特殊な社内(1959年以降は系列内)競合状態が、約20年あまりにわたって続いた。
  • 1959年 - 株式会社第二精工舎の諏訪工場が分離独立し、協力企業の有限会社大和工業と合併、株式会社諏訪精工舎(現在のセイコーエプソン株式会社)となる。
  • 1964年 - 東京オリンピック公式計時をセイコーグループが担当。
  • 1967年 - スイスで開催されたニューシャテル天文台コンクールの腕クロノメータ部門で、2位入賞。
  • 1983年 - 社名をセイコー電子工業株式会社と改める。
  • 1993年 - 本社を東京都江東区亀戸から千葉市美浜区幕張新都心に移し、「SII幕張ビル」として本社・営業・開発の各機能を移転。
  • 1997年 - セイコーインスツルメンツ株式会社へ商号を変更。
  • 1997年 - 亀戸の旧本社・工場の跡地にサンストリート亀戸がオープン。
  • 2004年 - セイコーインスツル株式会社へ商号を変更。
  • 2006年11月16日 - 取締役会で創業家出身の代表取締役会長社長代行兼CEOCOOCFOを解任[1][2]。前代表取締役は19日付けで取締役も退任した[3]2007年3月14日、同元代表取締役に対して、損害賠償を求める民事訴訟を東京地方裁判所に提起した[4]
  • 2009年10月1日 - 株式交換によってセイコーホールディングスの完全子会社となる。
  • 2013年
    • 1月1日 - エスアイアイ・ナノテクノロジーを日立ハイテクノロジーズに売却。
    • 4月1日 - セイコーインスツルのクロノトラスト事業をセイコープレシジョンのセイコーサイバータイム事業(システム事業部)と統合し新会社セイコーソリューションズに譲渡。
    • 7月1日 - セイコーインスツルの自社ブランドおよびライセンスブランドウオッチ事業をセイコーウオッチの国内向けアルバブランドおよびライセンスブランドウオッチ事業と統合し新会社セイコーネクステージに移管。

主な事業

ファイル:AX420S.jpg
CF形PHSデータ通信カード (ウィルコム AIR-EDGE AX420S)

脚注

関連項目

外部リンク