ヒズボラ

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政党 レバノンの旗 レバノン
ヒズボラ
(神の党)
حزب الله
成立年月日 1982年
政治的思想・立場 イスラム共和制
イスラム教シーア派
公式サイト www.moqawama.org
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ヒズボラアラビア語: ‮حزب الله‬‎, 翻字: Ḥizb Allāh)は、1982年に結成されたレバノンシーア派イスラム主義の政治組織、武装組織。日本の報道機関では「ヒズボラ」と表記される事が多いが、アラビア語の発音ではヒズブッラーヒズボッラー。アラビア語で「神の党」を意味する。イランシリアの政治支援を受け、その軍事部門はアラブ・イスラム世界の大半で抵抗運動の組織と見なされている。日本[1]欧州連合、米国、オランダ[2][3][4][5]、バーレーン[6][7]、エジプト[8]、英国、豪州、カナダ、イスラエルは、ヒズボラの全体または一部をテロ組織に指定している[9][10][11]

概要

レバノン内戦へのイスラエル軍侵攻を受けて1982年に結成された。レバノンを中心に活動している急進的シーア派イスラーム主義組織で、イラン型のイスラム共和制をレバノンに建国し、非イスラム的影響をその地域から除くことを運動の中心とする。反欧米の立場を取り、イスラエルの殲滅を掲げている。 ヒズボラはレバノン内戦さなかの1982年、イスラエル軍によるレバノンでの軍事作戦への抵抗を契機に生まれた[12]。イスラエルの軍事作戦は南レバノンのテロ・グループによるテロ攻撃と、シュロモ・アルゴフ駐英国イスラエル大使への暗殺未遂事件に対する反撃として遂行された[13][14][15][16]。ヒズボラ指導部は、イランのアヤトラ・ホメイニの薫陶を受け、その部隊はイラン革命防衛隊から訓練を受けて組織された[17]。ヒズボラの1985年の宣言は4つの目的として、「イスラエル抹殺の準備段階としてイスラエルをレバノンから最終的に撤退させること」、「レバノンからあらゆる帝国主義勢力」を追放すること、キリスト教マロン派系の極右政党・民兵組織であるファランヘ党を「正義の支配」の下に置き、その犯罪行為を裁判にかけること、「完全な自由の下で、希望する統治体制」を選択する機会をレバノン国民に与えることを挙げる一方で、イスラム支配への傾倒を隠そうとはしなかった[18]。ヒズボラ指導部はまたイスラエル国家を「シオニスト組織」と呼び、その破壊を求める数々の声明を出してきた[19]

イランシリアが組織を支援しているといわれており、特にイランは組織設立時の関与や武器供給などヒズボラと密接に結びつき、一部の活動はイランの指示によるものとされている[20]スンナ派サウジアラビアヨルダンエジプトなどはヒズボラの行動を批判している。シリアは主として、後方補給拠点や訓練施設、要人の自宅などを提供しており、イランから空路で到着した物資や人員はダマスカス=ベイルート街道を陸路で通り、レバノン国境を経てヒズボラに供給されているといわれる。

1980年代以降、レバノン国内外にある欧米やイスラエルの関連施設への攻撃を相次ぎ起こした(後述の「軍事行動」参照)。1983年にはベイルートで4月に米大使館、10月に米仏海兵隊兵舎を自爆攻撃し、米仏軍を撤退に追い込んだ。翌1984年にはアメリカ中央情報局(CIA)支局長を誘拐し、9月に米大使館へ再度の自爆攻撃を行った。CIA支局長の誘拐計画について、イスラエル参謀本部諜報局(アマン)はヒズボラに潜入させたスパイを通じて察知し警告した。だが当時の中東では過激派でもあってもアメリカやソビエト連邦の機関への攻撃はタブー視しており、アメリカは深刻に受け止めなかったという[21]

2000年にイスラエルがレバノンから撤退した後も、イスラエルへの攻撃を繰り返している。2006年7月にイスラエル軍部隊と交戦した際、投降した兵2名を捕虜にした。この結果、イスラエルのレバノン再侵攻を招き、全面衝突となったが、同年8月14日に停戦が成立し、現在に至っている。 一説には2006年侵攻劇はレバノンにおけるヒズボラの政治的地位確保のための行動とも言われる。レバノン国軍に勝る軍事力を持ち、レバノン政府から施設運営費を得ていくために必要だったとされるが、その動機などは追及されていない。なお、ヒズボラ自身は、2006年の対イスラエル戦について「歴史的勝利」、と主張している[22]

少数の民兵組織から始まったヒズボラは、レバノン議会に議席を有し、ラジオ・衛星テレビ局を持ち、社会開発計画を実施する組織へと発展を遂げた[23]。ヒズボラはレバノンのイスラム教シーア派住民からの強固な支持を受け、数十万人規模のデモを組織する能力を持つ[24]。ヒズボラは2006~2008年、他の政治勢力と協力し、当時のフアード・シニオラ首相の政府を相手取り抗議行動を開始した[25]。ヒズボラによる通信ネットワークの保有をめぐるその後の論争は衝突に発展し、ヒズボラ率いる抵抗勢力はシニオラ首相に忠誠を誓う政党「未来運動」の民兵組織が支配する西ベイルートの複数の地域を制圧した。これらの地域はレバノン軍に引き渡された[26]。2008年には挙国一致政府が成立し、ヒズボラを含む野党勢力は、全閣僚ポスト30のうちの11に対する影響力を確保し、事実上の拒否権を手にした[27]

ヒズボラはイランから軍事訓練、武器、財政支援を受け、シリアからは政治支援を受けている。2000年にイスラエル軍が南レバノンの駐留を終結させたことを受けてヒズボラの軍事力は顕著に増大した[28][29]。 2008年6月、国連がイスラエル軍のレバノン領からの完全撤退を認定したにもかかわらず[30]、同年8月、レバノン新内閣はヒズボラが軍事組織として存続することを認め、ヒズボラが「占領地域を解放または奪還する」権利を保証する政治宣言を全会一致で了承した。1992年以来、ヒズボラはハサン・ナスラッラーが率いている。

組織と兵力

ファイル:HezbollahOrgChart.svg
ヒズボラの組織構成図

1990年代から軍事部門と政治部門の分離が進められ、1992年に軍事部門「レバノン・イスラムの抵抗」は形式上ヒズボラとは無関係な独立機構に分離された。

  • 議長ハサン・ナスラッラー
  • 副議長:シャイフ・ナイーム・カースィム
  • 政治局会議議長:イブラーヒーム・アミーン・アル=サイイド
  • 政治局会議副議長:マフムード・クマーティ
  • 議会会派「レジスタンスへの忠誠」議員団長:ムハンマド・ラアド
  • 執行評議会議長:ハーシム・サイフッディーン
  • 執行評議会副議長:ムハンマド・ヤーギ
  • 政治顧問:シャイフ・フセイン・ハリール
  • 軍事作戦顧問:イマード・ファーイズ・ムグニーヤEnglish版 1983年の米仏海兵隊兵舎爆破テロの容疑で、国際指名手配されている。2008年2月13日、シリアでイスラエル情報機関により暗殺される。 
  • 対外関係局長:ナワーフ・アル=ムーサウィー 

その他 ムハンマド・フナイシュ 前水資源・エネルギー相

日本公安調査庁は、平時の戦闘員を600人から800人程度、非常時には2万5000人程度を動員可能と見ている[1]。『毎日新聞』の報道によると、戦闘員は1000人弱(戦時動員で2万人以上)で、対イスラエル攻撃用のミサイルロケットを約15万発保有している[31]

政治・社会活動

ヒズボラは一般に過激派組織と見なされているが、パレスチナの過激派ハマースのように選挙に参加している政治組織である。独自の議会会派「レジスタンスへの忠誠」を結成して、議会選挙では1992年8議席、1996年7議席、2000年12議席と議席を毎回獲得し、2005年7月には連立内閣に参加した。

また、貧困層への教育福祉ネットワーク(2002年のデータで、学校9校、病院3ヶ所、診療所13ヶ所を運営)を作っており、それ故に貧困層からの支持は厚い。 2007年のイスラエルとの戦いの際にも、被害を受けた人々の直接的な援助を行っている。

インターネット上に複数のウェブサイトを開設しており、テレビ局「アル=マナール」、ラジオ局「アン=ヌールー」、週刊誌「アル=アフド」も運営している。

軍事行動

ファイル:Hezbollah guerrillas.GIF
ヒズボラの民兵(1998年)

1982年

  • 7月19日 - ベイルートの米大学総長デイヴィッド・ロッジを誘拐(シリア諜報部の仲介により1年後に解放)。

1983年

  • 4月18日 - 駐レバノン米大使館付近で自動車爆弾攻撃実行。63人を殺害し、120人を負傷させる。
  • 10月23日 - 米仏海兵隊兵舎付近で自動車爆弾攻撃実行。米兵241人、仏兵58人を殺害。
  • 11月4日 - イスラエル国防省庁舎を銃撃。21人を殺害し、10人を負傷させる。

1984年

  • 1月18日 - アメリカ大学次期総長マルコルム・ケルを暗殺する。
  • 3月7日 - CNNレバノン支局長ジェレミ・レヴィンを誘拐。彼は後に逃亡に成功した。
  • 3月8日 - 米国籍のレヴェレンド・ヴェイルを誘拐。16ヵ月後、シリアとイランの仲介により解放。
  • 3月16日 - 米アメリカ中央情報局レバノン支局長ウィリアム・バクリーを誘拐。囚人との交換を要求したが、拒絶される。バクリーは拷問により心臓発作を起こし死亡。
  • 8月12日 - 在スペイン空軍基地で爆弾攻撃実行。18人を殺害し、83人に負傷させる。
  • 9月20日 - 駐ベイルート米大使館に対して自爆攻撃実行。23人を殺害し、米英大使を含む21人を負傷させる。
  • 12月4日 - ドバイからカラーチーに向かっていたクウェート航空旅客機ハイジャック[32]クウェートに収監中の数人の仲間の釈放を要求。機体はテヘランに着陸したが、特殊部隊が突入した。2人が死亡。

1985年

  • 6月14日 - ローマからアテネに向かっていた旅客機をハイジャックし、ベイルートに向かった。イスラエルと南レバノンに収監中の数百人の仲間の釈放を要求。搭乗員8人と乗客145人を17日間に渡って拘束し、乗客1人を殺害した。機体は、アルジェリアに2度飛んだ後、ベイルートに着陸した。人質は解放され、実行犯は逮捕された。詳しくはトランスワールド航空847便テロ事件を参照
  • 9月30日 - レバノンソ連外交官4名を誘拐し、内1人を殺害した[33]

1986年

  • 9月9日 - 米大学総長を誘拐。44ヵ月後に解放。
  • 10月21日 - アメリカ国籍のエドワード・トレイシーを誘拐。1991年8月に解放。
  • 2月17日 - 国連監視団長ウィリアム・ヒギンズ大佐を誘拐。イスラエル軍のレバノン撤退と、収監中のパレスチナ人及びレバノン人全員の釈放を要求。米政府は交渉を拒否。大佐は現在も行方不明。

1992年

  • 3月17日 - 駐アルゼンチン・イスラエル大使館付近で自動車爆弾攻撃実行。29人を殺害する。同年、当時のヒズボラ議長シャイフ・アッバース・ムーサウィーがイスラエル軍ヘリによる攻撃で死亡。

1994年

1996年

  • 2月28日 - 軽航空機でイスラエル領空への侵入を試みたが、撃墜される。
  • 3月4日 - マナール村付近で爆破事件を起こし、イスラエル兵4人を殺害。
  • 3月20日 - レバノン南部にてイスラエル軍車列への自爆攻撃。イスラエル兵1人を殺害。2時間後、自爆場所から数マイル離れた場所で南レバノン軍民兵殺害される。[34]
  • 6月25日 - サウジアラビアの米軍兵舎を爆破。米兵19人を殺害。

2000年

  • 秋 - スイスでビジネスマンのエルハナン・タンネンバウムを誘拐。

2006年

  • 7月 - イスラエル兵を拉致。報復としてイスラエル軍はレバノンを空爆。ヒズボラはイスラエルへのロケット砲攻撃を敢行、イスラエル北部の主要都市ハイファ等に打撃を与えた。また、海上封鎖中の最新鋭艦にミサイルを命中・炎上させ、イスラエル側に衝撃を与えた。その後、空爆に続きイスラエル側がレバノンに越境侵攻し、ヒズボラ側と激しい戦闘になった(イスラエル・レバノン紛争)。ヒズボラは、イランやシリアから提供された最新のロシア製携行対戦車ミサイルメティスMコルネットなどで、イスラエルの戦車メルカバや装甲車に大きな損害を与えた。結局イスラエル側は兵士だけでも100人以上の死者を出し、停戦成立時イスラエル国民のうち6割が今回の戦争は敗北であると考える結果に終わった。
  • 8月14日 - 国連安保理決議に基づき、停戦発効される(レバノン時間8時)。ヒズボラは停戦成立後、ナスラッラー師(議長)が歴史的な勝利宣言を行った。そして直ちにイスラエルの空爆によって家を失ったレバノン国民に対し、強力な復興支援を開始した。その額1人あたり1万ドルという大金を支援している。


2008年

  • 2月13日 - ヒズボラのテレビ局「アル=マナール」は、軍事作戦顧問で数々のテロ事件を立案・指揮したとされるイマード・ムグニーヤEnglish版が、シリアの首都ダマスカスでモサッドによって自動車に仕掛けられた爆弾の爆発により死亡したと発表した。暗殺現場は、ダマスカスのカファル・ソウサア地区で、周辺にはイラン人学校とシリア情報機関本部がある。ムグニーヤは、アメリカから国際テロリストとして国際指名手配を受けてから潜伏し、変装してレバノン-シリア-イラン間を往来していたとされる。2006年にイランのアフマディーネジャード大統領と会談したとも伝えられた。

ラフィク・ハリリ元首相の暗殺の関与

2005年2月14日、レバノンでラフィク・ハリリ元首相などを乗せた車列がベイルート市内を走行中に道路脇に仕掛けられた爆弾が爆発し、同氏を含む22人が殺害された。ラフィク・ハリリは1992~1998年、2000~2004年にレバノン首相を務めた。2009年、ハリリの暗殺事件を審理する国連特別法廷が、ヒズボラが同氏殺害に関与した証拠を発見したと報道された[35]。2011年6月30日、ハリリ殺害事件捜査のため設置されたレバノン特別法廷は、ヒズボラ幹部4人に逮捕状を出した[36]。同年7月3日、ヒズボラ最高指導者のハッサン・ナスララは起訴事実を否認し、同法廷をヒズボラに対する陰謀であると糾弾し、逮捕状が出された幹部は絶対に逮捕させないと言明した[37]

シリア内戦への関与

ヒズボラは長期にわたってアサド家率いるシリアの政権与党バース党の同盟勢力であった。ヒズボラはシリア内戦で同国政府による反体制派の弾圧に協力してきたとされている[38]。2012年8月、国連はヒズボラが同内戦に関与したとして制裁を加えた。最高指導者のナスララは、ヒズボラがシリア政府の側について戦った事実を否定し、同年10月12日の演説で「当初からシリア反体制派はマスメディアに向けてヒズボラが3000人の戦闘員をシリアに派遣したと主張してきたがヒズボラは否定した」と語った[39]。しかしレバノン紙「デイリー・スター」によるとナスララは同じ演説の中で、「レバノン国籍のシーア派住民居住地である(シリア国内の)23の戦略的に重要な村の支配をシリア政府が維持する」ことにヒズボラ戦闘員が協力したと語った[40]。ナスララはヒズボラ戦闘員がシリアで「聖戦の義務」を果たして死亡したとも語った[41]

脚注

  1. 1.0 1.1 ヒズボラ - 国際テロリズム要覧”. 公安調査庁. . 2014-11-4閲覧.
  2. Norman, Lawrence and Gordon Fairclough. "Pressure Mounts for EU to Put Hezbollah on Terror List." Wall Street Journal. 7 September 2012. 3 November 2012.
  3. Kreiger, Hilary Leila and Benjamin Weinthal. "US official urges EU to name Hezbollah 'terrorists.' Jerusalem Post. 26 October 2012. 3 November 2012.
  4. "Dutch FM urges EU to place Hezbollah on terror group list." JTA. 6 September 2012. 3 November 2012.
  5. Muriel Asseraf, Prospects for Adding Hezbollah to the EU Terrorist List, September 2007
  6. Spangler, Timothy (March 25, 2011). "Bahrain complains over Hezbollah comments on protests". Jerusalem Post. Retrieved November 22, 2011.
  7. "Bahrain arrests bombing suspects and blames Hezbollah". Reuters. November 6, 2012.
  8. EGYPT: Cairo calls Hezbollah terrorist organization. LA Times, April 13, 2009
  9. Goldirova, Renata (September 17, 2008). "MEPs call on EU states to list Hezbollah as terrorist group". EUobserver. Retrieved August 6, 2009.
  10. "Hezbollah, the Party of Terror. Why should be included in the EU terrorist list", Friends of Israel Initiative, October 5, 2012
  11. 「EU、ヒズボラ軍事部門をテロ組織指定 シリア包囲網強める 」日本経済新聞2013/7/22
  12. "Who are Hezbollah". BBC News. May 21, 2008. Retrieved August 15, 2008.
  13. Cradle of Conflict: Iraq And the Birth of Modern U.S. Military Power. p. 5. Retrieved 31 May 2012.
  14. Ensalaco, Mark. Middle Eastern Terrorism: From Black September to September 11. p. 133. Retrieved 31 May 2012.
  15. Goodarzi, Jubin. Syria And Iran: Diplomatic Alliance And Power Politics in the Middle East. p. 61. Retrieved 31 May 2012.
  16. Joffe, Lawrence (25 February 2003). "Obituary: Shlomo Argov". guardian.co.uk (London). Retrieved 3 June 2010.
  17. Adam Shatz (April 29, 2004). "In Search of Hezbollah". The New York Review of Books. Retrieved August 14, 2006.
  18. Itamar Rabinovich. Israel in the Middle East. UPNE. Retrieved November 18, 2010.
  19. Itamar Rabinovich. Israel in the Middle East. UPNE. Retrieved November 18, 2010.
  20. Adam Shatz (2004年4月29日). “In Search of Hezbollah”. The New York Review of Books. . August 14, 2006閲覧.
  21. “【イスラエル・エンドレスウォー】第3章インテリジェンス最前線(3)ルール変えたヒズボラ 禁じ手のCIA標的”. 『毎日新聞』朝刊. (2017年8月19日). https://mainichi.jp/articles/20170819/ddm/007/030/120000c 
  22. “<イスラエル軍進攻>ヒズボラ「勝利宣言」、イスラエル国内では政権非難 - レバノン”. AFPBB NEWS. (2006年8月15日). http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2098579/800390 . 2012閲覧. 
  23. Deeb, Lara (July 31, 2006). "Hizballah: A Primer". Middle East Report. Retrieved May 31, 2011.
  24. "Huge Beirut protest backs Syria." BBC News. March 8, 2005. February 7, 2007.
  25. Ghattas, Kim (December 1, 2006). "Political ferment in Lebanon". BBC News. Retrieved August 15, 2008.
  26. Stern, Yoav; Issacharoff, Avi (May 10, 2008). "Hezbollah fighters retreat from Beirut after 37 die in clashes". Haaretz. Archived from the original on May 12, 2008. Retrieved October 20, 2012.
  27. "Hezbollah (a.k.a. Hizbollah, Hizbu'llah)". Council on Foreign Relations. September 13, 2008. Retrieved September 15, 2008.
  28. "UN: Hezbollah has increased military strength since 2006 war." Haaretz. October 25, 2007. May 25, 2011.
  29. Frykberg, Mel (August 29, 2008). "Mideast Powers, Proxies and Paymasters Bluster and Rearm". Middle East Times. Retrieved May 31, 2011. "And if there is one thing that ideologically and diametrically opposed Hezbollah and Israel agree on, it is Hezbollah's growing military strength."
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  40. Hirst, David (October 23, 2012). "Hezbollah uses its military power in a contradictory manner". The Daily Star (Beirut).
  41. Hirst, David (October 23, 2012). "Hezbollah uses its military power in a contradictory manner". The Daily Star (Beirut).

関連項目

外部リンク