ピピンの寄進

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フランク王ピピン (小ピピン) が教皇に対して行なった土地寄進で,教皇領の起源をつくった。

フランク王国カロリング朝の創始者ピピンは,メロビング朝の宮宰時代にカトリック教会と妥協するため教会領没収をめぐる紛争解決に努力し,それを通じて家臣団を支配することに成功した。この実績を背景に教皇ザカリアスの承認を得てソアソン会議でフランク王となり,のち教皇ステファヌス2世から聖油を受けた。ランゴバルド王リウトプランドは東ローマ (ビザンチン) 帝国領のラベンナ周辺の領地を奪い,さらに次王のアイストゥルフはラベンナ総督府を征服 (751) ,ローマに対しても攻撃を開始した。そのため,教皇ステファヌスはピピンに援助を要請し,ピピンはランゴバルドに遠征して,ランゴバルドを破り,ラベンナをビザンチンに返還せず,教皇領として寄進し,ローマ教会との協力関係を一層固めた。