フランク・セレー

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フランク・セレー(Frank Gibson Selee、1859年10月26日 - 1909年7月5日)は、アメリカ合衆国ニューハンプシャー州アマースト出身のプロ野球監督1999年アメリカ野球殿堂入りを果たした。

経歴

1890年にボストン・ビーンイーターズの監督に就任、セレーは優れた選手起用で、就任2年目の1891年には、早くもチームをリーグ制覇に導き、以後1893年までの3連覇と、1897年,1898年の通算5度のリーグ制覇を成し遂げる。特に1892年には、メジャーリーグ史上最初の年間100勝を挙げるなど、この時期のボストンは無類の強さを発揮していた。ボストンの監督は1900年まで努めたが、チームの勝率が5割を割ったことは1度しかなかった。

1902年からはカブスに移り、同年に入団した遊撃手のジョー・ティンカーの守備を鍛え上げ、ティンカー、エバース、チャンスの有名な併殺トリオを完成させた。その後セレーは結核を患い、1905年途中でフランク・チャンスと監督を交代し引退した。セレーがチームの基礎を築いたカブスは、翌1906年にメジャーリーグ記録の116勝を挙げ、ナショナルリーグを3連覇する黄金期に入る。1909年にコロラド州デンバーで死去。

通算戦績



















1890 B
O
S
N

L
134 76 57 .571 5位
1891 140 87 51 .630 1位
1892 152 102 48 .680 1位 シーズン100勝は史上初
1893 131 86 43 .667 1位
1894 133 83 49 .629 3位
1895 133 71 60 .542 5位
1896 132 74 57 .565 4位
1897 135 93 39 .705 1位
1898 152 102 47 .685 1位
1899 153 95 57 .625 2位
1900 142 66 72 .478 4位
1901 140 69 69 .500 5位
1902 C
H
C
141 68 69 .496 5位
1903 139 82 56 .594 3位
1904 156 93 60 .608 2位
1905 65 37 28 .569 3位 6月27日監督交代
通算 2203 1299 871 .599

外部リンク


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