ベトナム

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ベトナム社会主義共和国(ベトナムしゃかいしゅぎきょうわこく、ベトナム語: Cộng Hoà Xã Hội Chủ Nghĩa Việt Nam / 共和社會主義越南)、通称 ベトナムベトナム語: Việt Nam / 越南

面積 33万1212km2
人口 8973万(2013推計)。
首都 ハノイ


インドシナ半島の東縁部を占める国。北は中国と,西は南北に連なるアンナン山脈を自然の境界としてラオスカンボジアと国境を接し,東は南シナ海,南西はタイ湾に臨む。国土は S字を引き延ばしたように細長く延び,南端から北端までは約 1600kmにわたるが,東西の幅は最もくびれたところでは 50kmにせばまる。山がちで,国土の 4分の3は山地,高原からなるが,南部ではメコン川が,北部ではホン川がいずれも北西から南東へ貫流し,その下流域に広大なデルタ(三角州)を形成している。メコン川デルタホン川デルタはベトナムの二大穀倉地帯となっており,人口も集中している。気候的には北部は温帯季節風気候,中部から南部にかけては熱帯季節風気候。住民の 80%以上はベトナム人で,残りはタイ Tay,クメール,タイ Tai,ムオン,ヌン,メオなど 60以上の少数民族や中国人からなる。公用語はベトナム語であるが,少数民族はそれぞれの言語も使う。宗教は仏教徒がおよそ半数を占める。

ベトナムは 80年に及ぶフランスの支配を覆し 1945年独立したが,まもなく再支配をはかるフランスとの間に第1次インドシナ戦争が始まり,1954年ジュネーブ協定により国土が南北に分断された。その後北部では社会主義政権のもとに国づくりが進んだが,南部では 1960年頃から民族解放勢力と政府側の対立が激化し,内乱状態となり,これにアメリカ合衆国が積極的に介入して第2次インドシナ戦争(ベトナム戦争)に発展。1975年4月,解放勢力と北部の正規軍の総攻撃により南の政権は崩壊,アメリカ軍も完全撤退し,民族の悲願であった国家統一が達成され,1976年7月ベトナム社会主義共和国が発足した。経済的には,石炭,リン灰石,鉄鉱石,スズ,クロムなどの鉱物資源に恵まれ,ベトナム民主共和国(北ベトナム)時代に政府主導で重工業化が進められた北部と,農業が主体の南部との差異が大きい。戦争による国土の荒廃と統一後の人材流出で大きな困難に直面したが,5ヵ年計画などのもとに経済再建に向けて活発な活動が開始された。戦争で寸断された交通網の修復も急ピッチで進み,1976年末にはハノイとホーチミン市を結ぶ大動脈,トンニャット鉄道が復旧,開通した。1978年のカンボジア侵攻(カンボジア内戦),1979年の中越戦争によって国際的に孤立し,国際収支が悪化して経済的危機に陥ったが,1986年ドイ・モイを打ち出し,経済の自由化を進める一方,カンボジアからの撤退を進め,1990年には中国との関係も修復した。外国資本の受け入れによって製造業は活況を呈し,南シナ海で石油の開発が進んで原油が重要な輸出品となっている。東南アジア諸国連合 ASEAN加盟国。(ベトナム史



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