ボイス・オブ・アメリカ
テンプレート:Infobox broadcasting network
テンプレート:基礎情報 放送局
ボイス・オブ・アメリカ(英語: Voice of America, 略称:VOA)は、アメリカ合衆国政府が運営する国営放送である。
国際的な放送でよく知られている放送局の一つである。日本語での呼称は「アメリカの声」である。本項では、原則として「ボイス・オブ・アメリカ」という呼称を用いる。
Contents
歴史
初期(1942年 - 1947年)
ヨーロッパ及び西アフリカを占領した当時のドイツと日本軍の南太平洋を占領した当時の日本に向けたニュースプログラムを放送するため戦争情報局の下で1942年に設立された。
1942年2月24日に放送を開始。送信機はCBS及びNBCによって使用された短波送信機からVOAラジオを送信した。このラジオ局は1947年2月17日に当時のソビエト連邦(現:ロシア)へラジオ放送の送信を始めた。
冷戦時代(1948年 - 1992年)
冷戦の間、VOAは対外宣伝のための機関である合衆国情報庁(U.S. Information Agency[1])の下で運営された。1980年代に、VOAはテレビジョンサービス、同じくキューバ、ラジオ・マルティ (Radio Marti) 及びテレビ・マルティ (TV Marti) へ特別な地域プログラムも加わった。
情報通信技術の時代(1992年 - 現在)
- 1999年に再編により合衆国情報庁が廃止され、合衆国政府(国務省)の直轄による運営となった。また2000年よりインターネット上で英語放送を開始した。
- 2014年7月1日午前9時(JST)をもって、極東アジア向けの英語放送は廃止された。
IBB放送活動、VOA以外
VOAは専門的な聴取者に向けた幾つかのプログラムを放送している:
- en:Radio Marti 及び en:TV Marti はキューバ向けである。
- en:Radio Sawa はアラブ世界の若い視聴者向けである。
- en:Radio Farda はイラン向けのペルシア語の若い視聴者向けである。
- ラジオ・フリー・ヨーロッパ(RFE)及びラジオ・フリー・アジア(RFA)はVOAではないが、USIA傘下にあり、特にヨーロッパ及びアジア、元共産主義及び圧制的な国へ向けた姉妹サービスである。
各言語版及びプログラム
ボイス・オブ・アメリカは、英語を母語としない人々に向け、平易な語彙と文法を用いた上で、通常の3分の2の速さでアナウンサーが語るスペシャル・イングリッシュという英語放送がある。これを含め、現在50前後の言語で放送されている。短波放送で受信可能であり、インターネットでは、ボイス・オブ・アメリカの公式サイトでのインターネットラジオをはじめ、ポッドキャストやYouTubeなどでビデオ放送などがいずれも無料でダウンロードすることができる。また、日本では有線放送でも放送されている。
ボイス・オブ・アメリカは、かつては戦時情報局やアメリカ合衆国広報文化交流局(USIA)の元で運営された。USIAのテレビ部門が後にBroadcasting Board of Governors(BBG)に受け継がれ、現在のボイス・オブ・アメリカはBBGの管理下に置かれ、放送内容もBBGの監修を受けている。なお、BBGは、「海外の聴取者に正確・客観・公正的な、アメリカと世界のニュース及びにその関連情報を放送し、以て放送地域の民主化を促進・強化させる」ことを職責としている[2]。番組内容は米国の国益に基づいて決定され、広告収入を財源とする民間放送局と違って制作資金も米国議会から出資されるので、米国の外交政策上の優先順位の変化によって特定地域に関する番組の制作資金が減らされたり増やされたりする。制作資金は、視聴者が自由で公正なニュースにアクセス出来るかどうか、現状の番組にどれだけ有効性があるか、米国の戦略的利益になるか、といった観点から決定される[3]。
2010年1月現在、放送されている主な言語は以下の通り。共通しているのは“民主化を要する”国・地域向けが多いこと。
- オロモ語
- アルバニア語
- アムハラ語
- アルメニア語
- アゼルバイジャン語
- ベンガル語
- ボスニア語
- ビルマ語
- 広東語
- 標準中国語
- クレオール言語
- クロアチア語
- ダリー語
- 英語(世界向け、スペシャル・イングリッシュ、ジンバブエ向け、カンボジア向けの4種)
- フランス語
- グルジア語
- ギリシア語
- ハウサ語
- ヒンディー語
- インドネシア語
- クメール語
- ルワンダ語
- ルンディ語
- 韓国語
- クルド語
- ラオス語
- マケドニア語
- ンデベレ語
- パシュトー語
- ペルシア語
- ポルトガル語
- ロシア語
- セルビア語
- ショナ語
- ソマリ語
- スペイン語
- スワヒリ語
- タイ語
- チベット語
- ティグリニャ語
- トルコ語
- ウクライナ語
- ウルドゥー語
- ウズベク語
- ベトナム語
ニュースにおいては、アメリカ国内のみならず、国外の話題を含め、24時間体制で最新のニュースを提供している。アメリカの歴史や文化、音楽などの特集番組も定期的に放送される。
日米メディア史を研究している早稲田大学の有馬哲夫はVOAについて、第二次大戦中や米ソ冷戦中に敵国へ向けて米国の大儀と価値観を広める為の対外宣伝工作機関だったと指摘している[4]。エディンバラ大学のロバート・コールはVOAは最も長期間続いている最も優れた米国のプロパガンダ機関だと評価した[5]。
日本語放送
ボイス・オブ・アメリカの歴史は上述の通り、日本語放送とドイツ語放送に端を発している。折りしも放送開始前年の1941年に太平洋戦争(大東亜戦争)が勃発しており、当時の大日本帝国へのプロパガンダを行う意図を持った開局だった[6]。
日系アメリカ人二世の局員、フランク・正三・馬場が、日本語放送において指導的役割を担った。馬場は自らのアナウンスで戦況を詳細に伝えたり、空襲を予告するなどの放送を行った(馬場の項に詳述)。
1944年12月25日からは、サイパン島のKSAIからの中波放送が開始された。短波でなく中波ならば、多くの一般の日本国民が、通常のラジオ受信機で受信できるであろうと想定したものであった[7]。
太平洋戦争の終結後、日本語放送は一旦廃止された。
戦後、1951年に短波および中波(当時アメリカ統治下にあった沖縄・奥間ビーチからの中継)によって再開され、アメリカの国内情勢や話題などを放送したほか、在京民放局への番組提供を行った。
アメリカ東部時間の夜(日本時間の早朝)に1番組しか放送されなかったこともあってリスナーが非常に少なかったうえ、世界中から充分に情報を取り入れるに至った日本に、わざわざアメリカから放送を送る必要性は乏しいと判断され[8]、1970年2月28日をもって廃止された。
1972年(昭和47年)の沖縄返還に伴い、沖縄県の中継局も日本から移転したが、その際の費用も沖縄返還協定(西山事件)により、日本側が負担している[9]。
中継局敷地は1977年に返還され、一帯は現在JALプライベートリゾート オクマの敷地となっている。
アル・フーラ
脚注
- ↑ 対外宣伝のための機関ではあるが、混同されがちなCIA(中央情報局)は全く関係ない。
- ↑ BBG Mission Statement Broadcasting Board of Governors Website
- ↑ BBG Programming and funding Broadcasting Board of Governors Website
- ↑ 有馬哲夫 冷戦のメディア、日本テレビ放送網―正力マイクロウェーブ網をめぐる米国反共産主義外交・情報政策 早稲田社会科学総合研究 2005年
- ↑ 「Propaganda, censorship and Irish neutrality in the Second World War.」 Robert Cole. Edinburgh University Press, 2006.
- ↑ 有馬哲夫 「歴史とプロパガンダ: 日米開戦から占領政策、尖閣問題まで」 PHP研究所 144ページ目 2015年7月22日
- ↑
- ↑ 石井清司 『日本の放送をつくった男 フランク馬場物語』 毎日新聞社(原著1998-10-30)、204頁。ISBN 4-620-31247-9。
- ↑ 西山太吉『機密を開示せよ―裁かれる沖縄密約』(2010年、岩波書店)ISBN 978-4000225809 pp.15-16. pp.30-40.
関連項目
外部リンク
テンプレート:ホワイト・ハウス ジェームズ・S・ブレディ記者会見室座席表