マルセイユ

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Marseille
人口動態
人口 850 636人
2011年
人口密度 3535人/km2
住民の呼称 Marseillais
地理
座標 東経5度22分38秒北緯43.297500度 東経5.377222度43.297500; 5.377222
標高 平均:179 m
最低:0 m
最高:640 m
面積 240.62km2 (24 062ha)
Marseilleの位置
Marseille
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マルセイユ (Marseille [maʁsɛj]) は、フランス最大の港湾都市で、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏 (Provence-Alpes-Côte d'Azur, PACA) の首府、ブーシュ=デュ=ローヌ県県庁所在地である。地中海リオン湾を臨む。

地理

ファイル:Marseille SPOT 1164.jpg
マルセイユの衛星写真

2005年の人口は約82万人でパリに次ぎフランス第二位、都市圏人口ではパリとリヨンに次ぎ第三位の規模を誇る。都市名は古代ギリシア語のマッサリア (Μασσαλια) およびそのラテン語訳であるマッシリア (Massilia) に由来する。漢字による表記は馬耳塞

マルセイユ都市共同体の中心地でもある。また、近郊には古都エクス=アン=プロヴァンスがあり、これとその近郊の小都市を併せた人口は約135万人に及ぶ。

マルセイユの歴史的な領域は、西を海と山地に、南をカルスト地帯に、コート・ブリュやエスタック、鎖状にエトワール山地やガルラバン山地に囲まれ、円形競技場のようなかたちをしている。市街は非常に広い地域に広がっており、フランス本土のコミューンのうち面積では第5位である。

周辺のプロヴァンス地域と共に、2013年欧州文化首都になることが決定している。

気候

温暖で湿潤な冬と全体的に乾燥する夏を持つ地中海性気候である。最も寒いのは1月と2月で、平均気温は8℃から9℃である。ローヌ川谷に起因する厳しい寒風ミストラルも知られており、冬と春に多く吹きつける。サハラ砂漠から吹き付ける熱風であるシロッコはそれほど起こらない。

マルセイユの気候資料
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) 11.2(52.2) 12.6(54.7) 15.3(59.5) 17.7(63.9) 22.2(72) 26.1(79) 29.5(85.1) 29.2(84.6) 25.3(77.5) 20.3(68.5) 14.7(58.5) 12.0(53.6) 19.7(67.5)
日平均気温 °C (°F) 7.1(44.8) 8.3(46.9) 10.7(51.3) 13.1(55.6) 17.4(63.3) 21.1(70) 24.1(75.4) 23.9(75) 20.4(68.7) 15.9(60.6) 10.8(51.4) 8.0(46.4) 15.1(59.2)
平均最低気温 °C (°F) 3.0(37.4) 3.9(39) 6.0(42.8) 8.5(47.3) 12.6(54.7) 16.0(60.8) 18.7(65.7) 18.7(65.7) 15.5(59.9) 11.6(52.9) 6.8(44.2) 4.1(39.4) 10.5(50.9)
降水量 mm (inches) 53.6(2.11) 43.5(1.713) 40.4(1.591) 57.9(2.28) 41.2(1.622) 25.4(1) 12.6(0.496) 31.4(1.236) 60.6(2.386) 85.4(3.362) 50.6(1.992) 52.0(2.047) 554.6(21.835)
平均降水日数 6.1 5.1 4.8 6.3 4.9 3.5 1.4 3.1 4.1 6.3 5.2 5.6 56.4
日照時間 150 155.5 215.1 244.8 292.5 326.2 366.4 327.4 254.3 204.5 155.5 143.3 2,835.5
出典: 世界気象機関 (国際連合),[1] フランス気象局[2]

歴史

ファイル:Marseille hafen.jpg
旧港よりノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院を望む

マルセイユの歴史は古く、小アジアから来た古代ギリシアの一民族であるポカイア人が紀元前600年頃に築いた植民市マッサリア(マッシリア)にその端を発する。このためフランスにおいてマルセイユは "cité phocéenne" (ポカイア人の街)とも綽名されている。

都市は交易で栄え、紀元前3世紀から紀元前2世紀にかけてのポエニ戦争ではローマ側につき、カルタゴと敵対した。カエサルの『ガリア戦記』にもマッシリアへの言及が見られる。紀元前49年からのカエサルとグナエウス・ポンペイウスの間で起った内戦ではポンペイウスを支持したが敗北し、自治都市としての権限を大きく縮小された(マッシリア包囲戦)。当時のマッシリアはガッリア・トランサルピーナ属州におけるギリシア系住民の拠点であったが、徐々にローマ化が進んでいった。

3世紀ごろ、キリスト教がもたらされた。10世紀にプロヴァンス伯の支配するところとなり、1481年にはフランス王国に併合された。中世にはあまり振るわなかったが、港での交易は18世紀に盛んになった。1720年には大規模なペストの流行 (en:Great Plague of Marseille) で10万人程度の死者が発生したが、18世紀後半には復興した。フランス革命ナポレオン戦争で一時後退したが、産業の要地となって現在の商工業を中心とする市街が発展し、19世紀半ば以降、港湾施設が充実し多くの工業が興る。しかし、第二次世界大戦ではドイツ軍に占領され、大きな損害を受けた。大戦後は大建設計画により高層ビルの多い現代都市に変わった。

経済

南フランスにおける貿易・商業・工業の一大中心地である。近接するトゥーロン軍港に対して、貿易港を有する。これはフランスおよび地中海で最大、ヨーロッパでは第3位の玄関港として、110航路、120カ国の360以上の港と連絡している。工業は鉄鋼・化学・プラスチック・金属・造船・石油精製・建設資材・石鹸・食品加工が発達している。

人口

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
778 071 889 029 908 600 874 436 800 550 795 518 839 043 852 516

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[3]、2004年以降INSEE[4][5]

2008年時点のマルセイユ人口における移民数は108 392人で、これは総人口の12.7%である(そのうちの2.2%がヨーロッパ出身者、非ヨーロッパ出身者が10.5%で主にマグリブ諸国出身である)[6]。さらに、1999年には、18歳未満の若者の41.8%の少なくとも片親が移民であった(うち23%がマグリブ諸国、サハラ以南アフリカ、またはトルコ出身))[7]。住民が移民である割合(うち40%はマグリブ諸国)は、マルセイユ内3つの区において2005年に50%を超えた[8]テンプレート:,[9]

交通

マルセイユ・プロヴァンス空港は近郊のマリニャーヌ (Marignane) にあり、貨物取扱でフランス第2位、旅客取扱でフランス第3位を誇り、国際線90便、パリ便46便が運行されている。IATA空港コードは MRS。

観光

テンプレート:Message galerie

商業都市であるため、南フランスの都市としては珍しく、観光面の魅力にはやや乏しい。

  • 丘の上に立つノートルダム・ド・ラ・ガルド(守護聖人)教会
  • 都市の南東部の海岸線一帯はカランク(入り江)と呼ばれ、景勝地となっている。
  • マルセイユ港港外の流刑島シャトー・ディフアレクサンドル・デュマ・ペールの小説『モンテ・クリスト伯』に登場する。
  • 名物料理のブイヤベース。魚をすりつぶしたスープで、もともとは海から戻った漁師の体を温めるためのものであったが、今では高級料理となっている。一般に、近郊のカシの白ワインと好相性とされる。
  • 食前酒としてパスティスが好まれる。無色透明のリキュールで、水を注ぐと白濁する。甘くてアニス風味が強烈だが、クセになる。

文化

教育

関係者

主な出身者

居住その他ゆかりある人物

姉妹都市

関連項目

マルセイユが舞台の作品

脚注

外部リンク

政府
日本政府
観光
その他

テンプレート:欧州文化首都