マルセル・カルネ

提供: miniwiki
移動先:案内検索


マルセル・カルネMarcel Carné, 1906年8月18日 - 1996年10月31日) は、フランス映画監督脚本家詩人でもあった脚本家ジャック・プレヴェールとの共同作品で有名である。

来歴

1906年8月18日パリで生まれる。同地の職業技術学校の写真映画科を卒業後、1929年に撮影助手として映画界に入る。仕事ぶりが評価され、女優フランソワーズ・ロゼーの紹介でロゼーの夫で映画監督ジャック・フェデーと知り合い、助監督として働くようになる。

1936年にロゼー主演の『ジェニイの家』で映画監督としてデビュー。1938年には『霧の波止場』がヴェネツィア国際映画祭監督賞とルイ・デリュック賞を受賞。デビューから2年でフランスを代表する巨匠としての名声を得る。

第2次世界大戦中はナチスフランスが占領され、フェデー、ルネ・クレールジュリアン・デュヴィヴィエジャン・ルノワールといったほとんどの映画人がアメリカに亡命する中、脚本家ジャック・プレヴェールと組んで国内に残留。1942年に『悪魔が夜来る』を発表。政治的にも経済的にも映画制作が困難な状況の下、反ファシズムの姿勢を貫いた。

パリ解放後の1945年、再びプレヴェールと組んでフランス映画史に今も燦然と輝く名作『天井桟敷の人々』を発表。その後もエミール・ゾラ原作の『嘆きのテレーズ』(1953年)などを発表した。

しかし、1950年代後半から台頭したヌーヴェルヴァーグの時代に入ると低迷し、青年たちの非行問題を取り上げた『危険な曲がり角』(1958年)でフランス・シネマ大賞を受賞したのみだった。

1971年1982年ヴェネツィア国際映画祭栄誉金獅子賞を、1978年セザール賞名誉賞を、1989年高松宮殿下記念世界文化賞を、1995年にはヨーロッパ映画賞生涯功労賞を受賞した。

1996年10月31日クラマールにて90歳で死去した。

監督作品

外部リンク