ミョウガ

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ミョウガ(茗荷、蘘荷、学名:Zingiber mioga)はショウガ科ショウガ属多年草。食用として利用される。

概要

東アジア温帯)が原産。日本の山野に自生しているものもあるが、人間が生活していたと考えられる場所以外では見られないことや、野生種がなく、5倍体(基本数x=11、2n=5x=55)であることなどから、大陸から持ち込まれて栽培されてきたと考えられる。花穂および若芽の茎が食用とされる。雌雄同株で、花器にも雄蕊、雌蕊とも揃っている両性花が開花するが、5倍体のため、受精しても親と同じ数の染色体数になることは稀で、繁殖地下茎による栄養体繁殖が主体である。ごく稀に夏から秋にかけて温度が高い時に実を結ぶことがある。地上部に見える葉を伴った茎状のものは偽茎である[1]

食材としてのミョウガ

ファイル:Mioga.jpg
食用となる花穂部分

通常「花みょうが」、「みょうが」と呼ばれるものが花穂で、内部には開花前のが3〜12個程度存在する。そのため、この部分を「花蕾」と呼ぶ場合もある。一方若芽を軟白し、弱光で薄紅色に着色したものを「みょうがたけ」と呼ぶ。「花みょうが」は、晩夏から初秋にかけ発生し、を告げる風味として喜ばれ、一方「みょうがたけ」は食材である。

独特の香りが好まれ、また特有の紅色が目を楽しませる。これにより香辛菜として利用される。そのほか、天ぷら酢の物味噌汁の具など、独立した食材としても用いられる。農家では、山椒ミツバとならび、果樹園裏庭屋敷林の木陰に、薬味として、育てておく代表的な植物である。

奈良県吉野地方ではミョウガの新芽や葉を「たこな」と呼び、葉で鯖寿司を包んだ「たこな寿司」が作られる[2]

香り成分はα-ピネン類。紅色の成分は水溶性植物色素アントシアニンの一種、マルビジンである。植物体内ではグルコース1分子と結合し、マルビジンモノグリコシドとして存在する。

寄生虫による食中毒

希に肝蛭が寄生していることがあり、生食により肝蛭症を発症することがある[3][4]

俗信

俗に「食べると物忘れがひどくなる」と言われているが、学術的な根拠はなく、栄養学的にそのような成分は含まれていない。それどころかミョウガの香り成分には集中力を増す効果があることが明らかになっている。無機成分では窒素カリウムが多く含まれ、食物繊維(粗繊維)が多い。

世説故事苑によれば、もともと東坡志林では「生薑(生姜)多食損智」というものであったが、日本では生姜とミョウガの発音が似ているために、ミョウガにすりかわってしまったとされる[5]。また、本草綱目によれば、陶弘景が「生薑は久しく服すると志を少くし智を少くし心氣を傷つける」と記していたとされる[6]

王介甫多思而喜鑿,時出一新說,既而悟其非也,則又出一言而解釋之,是以其學多說。嘗與劉貢父食,輟箸而問曰:孔子不撤薑食,何也。貢父曰:《本草》生薑多食損智,道非明民,將以愚之,孔子以道教人者也,故不撤薑食,將以愚之也。介甫欣然而笑,久之乃悟其戲己也。貢父雖戲言,然王氏之學實大類此。庚辰二月十一日食薑粥,甚美,歎曰無怪吾愚,吾食薑多矣,因并貢父言記之,以為後世君子一笑。

(読み下し) 王介甫は多く思ひて喜び鑿(うが)ち、時に一新説を出し、既にして其れを悟るは非なり。則ち又た一言を出して之を解釋す。是れは其れを以て多說を學び、嘗(かつ)て劉貢父の食を與(あた)ひ、箸を輟(と)め問ひて曰く:孔子が薑食を撤さずは、何や。貢父曰く:《本草》生薑は多く食べて智を損す。道の非明な民は、將(まさ)に愚を以て之れをせんとす。孔子は道を以て人を教ふる者なり。故に薑食を撤さずは、將に愚を以て之れをせんとするなり。介甫は欣然とし笑ふ。久しきの乃(なんじ)は、其れを悟り、己れを戲(たわむ)るるなり。貢父は戲言(たわむれごと)を雖(いへど)も、然して王氏の實を學ぶことは、此れを大きく類(たぐ)ふ。庚辰二月十一日は、薑粥を食す。甚しく美しきは、歎きて曰く、怪(あやし)み無き吾が愚は、吾が薑の食ふの多きかな。因(よつ)て并(あわ)せて、貢父は之を言記し,以て後世君子の一笑を為す。

— 廣羣芳譜/卷013 東坡雜記

名前の由来

大陸からショウガとともに持ち込まれた際、香りの強いほうを「兄香(せのか)」、弱いほうを「妹香(めのか)」と呼んだことから、これがのちにショウガ・ミョウガに転訛した[7]との説が有力である。

名前の由来に関しては、下記の俗説もある。

釈迦の弟子である周利槃特が、自分の名前を忘れてしまうため、釈迦が首に名札をかけさせた。しかし名札をかけたことさえも忘れてしまい、とうとう死ぬまで名前を覚えることができなかった。その後、死んだ周梨槃特の墓にいくと、見慣れない草が生えていた。そこで「彼は自分の名前を荷って苦労してきた」ということで、「名」を「荷う」ことから、この草に茗荷と名付けた。

この説は前節の俗信「物忘れがひどくなる」がさらに派生したものである。これは、民話「みょうが宿」が起因となり、世の人々の評判になって知れ渡ったことで一般化した。

その他

  • 早稲田みょうが 江戸時代に早稲田村、中里村(現在の新宿区早稲田鶴巻町山吹町)で生産された。赤みが美しく大振りで晩生(おくて)のみょうがである。
  • 東京都文京区に、茗荷谷という地名があるが、これは江戸時代に早稲田からこのあたりまで広がる茗荷畑を見下ろす谷であったことに由来する。
  • 領地のために命を張った戦国武士などは、戦闘で命が残る「冥加」にかけて、「茗荷」の紋を好んで使用した。事例として「影茗荷」「鍋島茗荷」などがある。
  • 一部地方では、みょうがぼち岐阜県)、みょうが饅頭熊本県)、釜焼き餅鳥取県東部)といった、みょうがの葉を使ったお菓子が今でも食べられている。
  • みょうがの煮汁はしもやけ治療の民間療法に用いられた[8]

主な生産地

参考画像

抱茗荷紋  
丸に抱き茗荷紋  
若い茎(芽) 
ファイル:R0016749.JPG 

脚注

  1. 物忘れする? ミョウガ - 所さんの目がテン!(日本テレビ) 第787回 2005年6月26日
  2. タコナ(茗荷の葉)寿司・スイレンボク」『こころはコロコロ日録』 2018年3月15日閲覧。
  3. 日本における人肝蛭症感染の現状 国立感染症研究所 病原微生物検出情報 Vol.14 (1993/5[159])
  4. 肝蛭虫卵 国立感染症研究所
  5. 諺語大辭典: 全 P.985 藤井乙男 1910年
  6. 本草綱目/菜之一 (Wikisource)
  7. メノカ→(メンガ→)メウガ→ミョーガ のように一種のウ音便化を経て変化した可能性がある。
  8. 越尾淑子、原田真知子、「東京家政大学構内の役に立つ野草東京家政大学研究紀要 2 自然科学 Vol.37 page.43-49 (1997), NCID AN10157480

関連項目

外部リンク