三島由紀夫

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三島 由紀夫(みしま ゆきお、本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)

1925年大正14年)1月14日 - 1970年昭和45年)11月25日

学習院高等科を経て 1947年東京大学法科卒業。第2次世界大戦中『日本浪曼派』の影響を受けて文芸に親しみ,短編集『花ざかりの森』 (1944) を刊行。戦後 49年『仮面の告白』の成功で文壇的地位を確立,『愛の渇き』 (50) ,『禁色』 (51~53) など問題作を次々に発表した。透徹した方法論のもとに緻密な世界を築いたが,その作風は唯美主義から古典的均整を求める方向に移行し,『金閣寺』や『橋づくし』 (56) で一つの頂点に達した。以後思想的に右傾し,独自の文化防衛論を説くとともに,『憂国』 (61) ,『英霊の声』 (66) などを発表。『太陽と鉄』 (65~68) を経て,『豊饒の海』 (65~70) 完成直後,みずからの組織する「楯の会」会員とともに自衛隊内に乱入,決起を訴えたが果さず,割腹自殺した(三島事件 ) 。劇作家としてもすぐれ,『近代能楽集』 (56) ,『鹿鳴館』 (57) ,『サド侯爵夫人』 (65) などの作がある。