丸亀藩

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丸亀藩(まるがめはん)は、讃岐国香川県)の西部を領し、丸亀城丸亀市)を本城とした藩主生駒氏山崎氏京極氏と続きそれぞれ藩主独特の城下町を形成し廃藩置県を迎えた。

なお生駒氏は、高松城を本城とし讃岐一国を領したため、生駒氏が領した西讃を丸亀藩と呼ぶには適さないとも考えられるが、現在ではその頃も丸亀藩の歴史の一部として語られることが多いため、ここにも含める。

藩史

藩政

丸亀藩は金刀比羅宮への参道である丸亀街道多度津街道の起点を持ち、参拝客を相手とした観光業は藩財政を大きく潤おしていた。

幕末になり財政が逼迫すると、江戸詰の藩士たちに隣に屋敷を構えていた大村藩の藩士たちからうちわの作り方を学ばせ、国元に返し内職で作らせ、金毘羅参り土産物として売るなどの策をとり、財政を立て直した。その後、うちわづくりは一般町民にも広まり始め、丸亀の名物となる。

歴代藩主

生駒氏

外様 17万3千石

  1. 親正
  2. 一正
  3. 正俊
  4. 高俊

山崎氏

外様 5万石

  1. 家治
  2. 俊家
  3. 治頼

京極氏

外様 6万石→5万1千石

  1. 高和
  2. 高豊
  3. 高或 分封により5万1千石
  4. 高矩
  5. 高中
  6. 高朗
  7. 朗徹

支藩

多度津藩

多度津藩(たどつはん)は丸亀藩の支藩である。多度津周辺(香川県仲多度郡多度津町)で1万石を領し、多度津に陣屋を構えた(前半は丸亀城内に居館を置いた)。

丸亀藩3代藩主の高或が3歳で藩主となったため、庶兄である高通を後見人として幕府に分封を願い出た。1694年(元禄7年)1万石の分封が認められここに多度津藩が成立した。後見人とはいえ高通自身も4歳での封襲であったため、陣屋は構えず、丸亀城内に居館を置いた。高通は1711年正徳元年)になって実質的に多度津藩主として政務を執った。その後、3代高文まで丸亀城内に居住した。

4代高賢1827年文政10年)、幕府に陣屋の建設を願い出て認められ、その年に陣屋を構えた。

1871年(明治4年)廃藩置県により倉敷県となる。その後、名東県を経て香川県に編入された。

歴代藩主

京極氏

外様 1万石

  1. 高通
  2. 高慶
  3. 高文
  4. 高賢
  5. 高琢
  6. 高典

幕末の領地

丸亀藩

多度津藩

  • 讃岐国
    • 三野郡のうち - 5村
    • 多度郡のうち - 15村

参考文献

先代:
讃岐国
行政区の変遷
1641年 - 1871年 (丸亀藩→丸亀県)
次代:
香川県(第1次)
先代:
(讃岐国)
行政区の変遷
1694年 - 1871年 (多度津藩)
次代:
倉敷県