伊勢参宮街道

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日永追分(四日市市左が伊勢街道(旧国道23号、現国道1号)、右が東海道(旧国道1号、現三重県道407号三畑四日市線)京・奈良方面、手前が東海道(国道1号)江戸方面
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関宿東の追分 左が江戸、右が京、鳥居の奥が伊勢別街道
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伊勢本街道・横大路大和高田市南本町・長谷本寺前)
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月本追分 左右が伊勢街道(左が津、右が伊勢)、手前が奈良街道
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六軒追分 左奥から右手前が伊勢街道(左奥が津、右手前が伊勢)、左手前が初瀬街道

伊勢参宮街道(いせさんぐうかいどう)は、日本の各方面から伊勢神宮への参拝道として整備された街道のことである。伊勢街道伊勢本街道参宮街道と呼ばれる。

旧街道

近代以前のかつての街道は次のとおり。とくに広義としての伊勢街道の名称は各街道でも用いられるので注意を要する。 (伊勢街道(○○街道)と用いられることが多い) 狭義としては下記のように用いられる。

国道・都道府県道

現在においては、下記の道路およびその旧道が 伊勢参宮街道・伊勢街道・参宮街道 と呼ばれる。

餅街道

桑名から伊勢に至る参宮街道には[1][2]、「餅街道」の異名がある[1]。沿道に多くの茶店が建ち並び、現代まで多くの名物餅が残されている[1]。北から順に、桑名の安永餅、四日市のなが餅、鈴鹿の立石餅小俣へんば餅と続き、伊勢には二軒茶屋餅太閤出世餅赤福餅がある[3]。少し離れた熊野街道沿いの多気にもまつかさ餅やおきん餅がある[4]。このように街道沿いに餅菓子が発達したのは、第一に旅人をもてなすためであり[4]、往時の旅人にとってはぜいたくな食べ物であったと考えられる[2]。このほか、餅は腹持ちが良く長い旅路にふさわしかったこと、伊勢国が米どころであったことなどが理由として挙げられる[2]

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 平凡社 2013, p. 38.
  2. 2.0 2.1 2.2 亀井 2016, p. 183.
  3. 亀井 2016, pp. 181-183.
  4. 4.0 4.1 亀井 2016, p. 182.

参考文献

  • 亀井千歩子 『47都道府県和菓子/郷土菓子百科』 丸善出版、2016-01-25。ISBN 978-4-621-08975-0。
  • 『郷土菓子 ふるさとの味を旅する』 平凡社〈太陽の地図帖_022〉、2013-11-25。

関連項目

外部リンク