佐田啓二

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佐田 啓二(さだ けいじ、本名・中井寛一1926年12月9日 - 1964年8月17日)は、1940年代後半から1960年代にかけて活躍した日本俳優。身長171.2cm[1]

俳優の中井貴一、女優・エッセイストの中井貴惠は実子。

来歴・人物

京都市下京区の商家に生まれる。京都市立第二商業学校(のちの京都市立西陣商業高等学校、廃校)卒業後、早稲田大学政治経済学部に入学。学生時代、松竹の人気俳優佐野周二の家に下宿していた縁で、1946年、松竹大船撮影所に入社する。芸名は、「佐野周二」の姓名から一文字ずつ譲り受けて名付けられた。

1947年木下恵介監督の『不死鳥』で、いきなり、大スター田中絹代の相手役に抜擢される。田中とのラブシーンは話題となり、早くもスターの地位を獲得。続いて、菊田一夫原作のNHKの人気ラジオドラマを映画化した『鐘の鳴る丘』に主演し、さらに人気を高める。

ほぼ同時期にデビューした高橋貞二鶴田浩二と人気を分け合い「松竹戦後の三羽烏」と言われた。その人気を決定的なものとしたのは、1953年に公開された『君の名は』である。当時の大人気ドラマを映画化したこの作品で岸恵子と共演し、名実共にトップスターの地位につく。その後、徐々に演技派に脱皮していき、特に、プロ野球選手スカウト合戦を題材にした1956年小林正樹監督の問題作『あなた買います』ではスカウトを演じ、伊藤雄之助を相手に鬼気迫る演技を見せ、毎日映画コンクールブルーリボン賞の主演男優賞を獲得した。その後も、木下の『喜びも悲しみも幾歳月』、小津安二郎の『秋刀魚の味』など戦後を代表する作品に出演。晩年は癖のある悪役なども演じていた。

1964年8月13日から夏休みを兼ねて妻と信州蓼科高原の別荘に避暑に訪れていたが、NHKドラマ『虹の設計』の収録に参加するために帰京する途中、8月17日午前6時30分頃、乗っていた車が前方車を追い越そうとした際に韮崎市韮崎町の塩川橋の欄干に衝突、さらに暴走して別の乗用車へも衝突する事故を起こした。佐田はこの事故で頭の骨と右腕を骨折し、すぐに韮崎市立病院に運ばれたが午前11時過ぎ頃に死去した[2][3]。37歳没。

この時車に乗っていたのは佐田を含めて4名で、運転手は頭を打ち2か月の重傷、日刊スポーツ記者が顔の骨を折り1か月の重傷、佐田の義弟が右肩に1週間の軽症を負った。出演中であった『虹の設計』は生前の映像のコラージュにより製作された。葬儀は8月22日午後2時より青山葬儀場にて行われ芸能関係者や一般のファンなど千人近くが参列した。

墓所は田中絹代と同じ鎌倉・円覚寺にある。

主な出演

映画

※太字の題名は、キネマ旬報ベストテンにランクインした作品

1947年
1948年
  • 鐘の鳴る丘 第一篇 隆太の巻
  • 旅装 
  • 彼と共に去りぬ
  • 火の薔薇
  • 肖像
1949年
1950年
  • 七つの宝石
  • 三つの結婚
  • 母の調べ
  • 乙女の性典
  • 危険な年令
  • 恋愛教室
  • 新妻の性典
  • 黒い花
1951年
1952年
1953年
1954年
  • 勲章
  • 家族会議 東京篇 大阪篇
  • おとこ大学 婚前教育の巻
  • 真実一路
  • 君の名は 第三部
  • この広い空のどこかに
  • 陽は沈まず
  • おとこ大学 新婚教育の巻
  • 新婚たくあん夫婦
  • ひばりのお嬢さん社長
  • 真実の愛情を求めて 何処へ
1955年
  • あなたと共に
  • 続 おとこ大学 新婚教室
  • 亡命記
  • 美わしき歳月
  • 東京-香港 蜜月旅行
  • 花嫁はどこにいる
  • 遠い雲
  • 花ひらく
  • お勝手の花嫁
  • 太陽は日々に新たなり
1956年
  • あなた買います
  • 白い橋
  • 君のうたごえ
  • 女の足あと
  • 台風騒動記
  • 青春の音
  • 花嫁募集中
  • 晴れた日に
  • 俺は死なない
  • スタジオ超特急
  • 女優誕生
1957年
1958年
1959年
1960年
  • 秋日和
  • 朱の花粉
  • 四万人の目撃者
  • 暴れん坊三羽烏
  • 白い波濤
  • いろはにほへと
  • 女の坂
  • 「青衣の人」より 離愁
  • 最後の切札
  • 血は渇いてる
1961年
  • 永遠の人
  • 猟銃
  • 蒼い海流
  • 女舞
  • 雲がちぎれる時
  • 妻あり子あり友ありて
  • 京化粧
1962年
  • 東京湾 ※企画のみ
  • 秋刀魚の味
  • 千客万来
  • 愛染かつら
  • しのび逢い
  • 二人で歩いた幾春秋
  • かあさん長生きしてね
  • 続・愛染かつら
1963年
1964年

テレビドラマ

バラエティー番組

文献

  • 中井貴恵『父の贈りもの』文化出版局、1991年。角川書店〈角川文庫〉、1997年。

脚注

  1. [1955年増刊「日本映画大鑑・映画人篇」]]
  2. 朝日新聞 1964年8月17日付夕刊 7頁記事参照。
  3. “【プレイバック芸能スキャンダル史】 収録に向かう途中で事故死した37歳 佐田啓二”. 日刊ゲンダイ (日刊現代). (2013年5月22日). オリジナル2014年10月6日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141006065131/http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/142572 . 2013閲覧. 

外部リンク