内閣総理大臣秘書官

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内閣総理大臣秘書官(ないかくそうりだいじんひしょかん、英訳:Executive Secretary to the Prime Minister[1])は、国家公務員の役職の一つである。内閣総理大臣に常に付き従って、機密に関する事務を取り扱い、また総理大臣の臨時の命により政府各部局や与党等との調整に当たる役職である。法令上は「内閣総理大臣に附属する秘書官」と呼称される。俗に総理秘書官首相秘書官

根拠法令

内閣法第20条により内閣官房に置かれ、内閣官房組織令(政令)第11条によりその定数は5人と定められている。ただし、当分の間7人とするとされている(内閣官房組織令附則第7項)。

内閣総理大臣秘書官は、国家公務員法第2条により特別職の国家公務員とされ、同法の序列では、大臣補佐官の下、国務大臣秘書官と、人事院総裁秘書官、会計検査院長秘書官、内閣法制局長官秘書官、宮内庁長官秘書官[2]と同位、同条で特別に記載のない国会同意人事が必要な職など[3]の上に位置している[4]

秘書官の構成

秘書官の内訳は慣例的に政務担当1名、事務担当6名の計7名で構成される。

また、秘書業務を円滑に行うため、官邸には「総理大臣秘書官室」が設置されており、専従スタッフが秘書官の命を受けて秘書業務の実務を担当する。

政務担当首相秘書官(首席秘書官)

政務を担当する政務担当秘書官は、一般的に「首席秘書官」と呼ばれることもあるが、これは法的に定められているわけではなく、あくまで俗称である。内部的・非公式な序列はあるが、法的には事務担当秘書官も同列の扱いである。

通常は首相の国会議員秘書として長年仕えてきた人物が任命される。しかしながら、橋本龍太郎首相が当時通産官僚であった江田憲司を呼び寄せたように、ごく希に官僚から選ぶ場合もある。他にも、政策ブレーンや(国会議員としての後継を念頭に置いた形で)親類縁者から選ぶケースもある。1970年代中頃までは、いわゆる「番記者」として関係を深めた新聞記者を秘書官に任命する例も多かった。いずれのケースであっても、基本的に首相の信頼の厚い人物が選ばれるため、首相に対して影響力を持つことが多いと言われる。

主な業務は首相のスケジュールの最終的な調整を担当することであるが、それ以外にも首相の命を受けて政策形成の補佐や政府各部門の調整をしたり、首相とともに長い間永田町で仕事をしてきた実績や人脈を生かして首相と与党、時によっては野党との密かな連絡調整役となったりするなど、多岐に亘る。とは言え必ずしもこの限りではなく、首相がどのような観点で秘書官を選任したかによって業務内容は広くなる場合もあれば、限定される場合もある[5]。特に、近年はマスコミ対応も重要な仕事と見做されている。

報道において「首相周辺」という表現があるとき、これはもっぱら政務担当秘書官の意味であり、非公式な場面でのオフレコ発言をした場合に用いられる。

事務担当首相秘書官

事務担当秘書官は、外務省財務省防衛省警察庁経済産業省[6]の各省庁から1名ずつ内閣官房に出向する形で就任する。通例では、財務省出身者が事務秘書官の中で筆頭格とされ、他の事務秘書官よりも年次が上(最古参)の者が就く[7]

秘書官には、通常、本省課長級または局次長・審議官級で、将来の事務次官候補と目されるような人物が選ばれる。高級官僚の人事ローテーションの一環と言う面があり、長期政権となった場合は、概ね2 - 3年で交代する。ただし、首相が政変などで短期で交代すれば、秘書官もその任を解かれて元の省庁に戻されるのが通例である。例外的に、5年以上に亘った小泉政権においては、警察庁出身の秘書官[8]を除いて同じ人物が一貫して秘書官を務めた。

事務秘書官の業務は、それぞれが1府12省庁の処務を分担[9]して受け持ち、首相を補佐する。また各省庁と首相官邸の連絡役として、政策や、首相の公式な発言(国会答弁や外国首脳との会談での発言など)の内容などの調整を行う。出身省庁への帰属意識が強い官僚社会の風土から監視役・スパイと批判的に表現されることもあるが、首相のカリスマ性が強い場合は時として出身省庁の利害に反する行動を取ることもある。

2008年9月に発足した麻生内閣では、首相の意向により新たに総務省出身者[10]を加え、政務秘書官を含めて6人体制をとった[11]。また、最も年次が上である総務省出身の秘書官を政策統括担当とし、事実上の筆頭事務秘書官に位置付けた[7]。 続く鳩山内閣では通例どおりの5人体制に戻された。その後継の菅内閣では、厚生労働省出身者を筆頭事務秘書官とする6人体制[12]とされ、後に防衛省出身者を追加して7人体制となった[13]。ただし、当時の政令で定員が6名とされていたため、当該秘書官は、一般職相当の「内閣総理大臣秘書官事務取扱」とされた[14][15]。次の野田内閣は、菅内閣と同構成ながら財務省出身者を筆頭格とする7人体制とした。

2012年12月に発足した第2次安倍内閣は、政務秘書官を含めて6人体制となった[16][17]。その後、2013年11月、歴史上初めての女性秘書官として、総務省出身の山田真貴子を起用し[18][19][20]、7人体制とした。

2015年7月、首相秘書官の交代が行われ、史上2人目の女性秘書官として、経済産業省出身の宗像直子を起用し[21]、6人体制とした。

2017年7月、経済産業省出身の宗像直子が、女性初の特許庁長官となり、後任に内閣副参事官を抜擢する[22]

首相秘書官補(首相秘書官付)

事務秘書官の業務を助けるため、「総理大臣秘書官付室」が官邸に置かれ、各秘書官の出身省庁から選抜された若手課長補佐クラス(30代)の「内閣総理大臣秘書官補」(内閣総理大臣秘書官付)が各秘書官を補佐する[23]

通常、事務担当秘書官と同じ外務省、財務省、防衛省、警察庁、経済産業省から1名ずつが選ばれるが、麻生内閣では総務省、菅内閣では厚生労働省から出されている。


歴代首相の政務秘書官

戦後歴代首相の主な政務担当秘書官
首相 秘書官 前職・首相との関係 退任後
幣原喜重郎 岸倉松 内閣調査局調査官、在アントワープ領事(1920/12/22-)  
降旗徳弥 衆議院議員 逓信相
吉田茂 松野頼三 日立製作所社員、海軍将校 自民党衆議院議員、防衛庁長官
木村公平 自由党前衆議院議員 自民党衆議院議員
片山哲 森元治郎 同盟通信社記者 社会党参議院議員
芦田均 下河辺三史 日立製作所社員 日製産業社長
鳩山一郎 山本正一 民主党前衆議院議員 鎌倉市長
若宮小太郎 朝日新聞記者 ラジオ関東常務、神奈川県知事選に出馬するも落選
石橋湛山 川上大典 朝日新聞記者 日本自転車振興会理事、関東自転車競技会会長
岸信介 安倍晋太郎 毎日新聞記者、岸の娘婿 衆議院議員、外相、自民党幹事長
中村長芳 安倍晋太郎とは山口中学同級生、実業家 日本プロ野球・ロッテオリオンズ(千葉ロッテマリーンズの前身)オーナー太平洋クラブライオンズ〜クラウンライターライオンズ、(埼玉西武ライオンズの前身)オーナー
池田勇人 伊藤昌哉 西日本新聞記者 政治評論家
佐藤栄作 大津正 岸信介秘書 大利根カントリー倶楽部社長
楠田實 産経新聞記者 国際交流基金日米センター初代所長
田中角栄 榎本敏夫 日本電建部長、民自党職員・田中秘書 ロッキード事件に連座し逮捕・有罪
三木武夫 中村慶一郎 読売新聞記者 政治評論家、参院選に出馬するも落選
福田赳夫 福田康夫 丸善石油課長、赳夫の長男 自民党衆議院議員、内閣総理大臣
大平正芳 木村貢 宏池会事務局長 木村は後に宮沢の秘書官も務める
森田一 大蔵官僚、大平の娘婿 自民党衆議院議員、運輸相
鈴木善幸 材津昭吾 議員秘書 参院選に出馬するも落選
中曽根康弘 上和田義彦 中曽根秘書(一議員時代から)、“中曽根の金庫番”  
竹下登 波多野誠 竹下秘書(一議員時代から) 竹下亘政策秘書
宇野宗佑 森真一郎 宇野秘書(一議員時代から)  
海部俊樹 金石清禅 日本航空部長、早稲田大学雄弁会時代の後輩 新進党新人候補 - 任期満了直前に繰り上げ当選保守党参議院議員
宮沢喜一 木村貢 宏池会事務局長  
宮澤洋一 大蔵官僚、喜一の甥 自民党衆議院議員、参議院議員、経済産業相
細川護熙 成田憲彦 国立国会図書館課長 駿河台大学法学部教授・学長(第5代)、内閣官房参与野田内閣
村山富市 園田原三 日本社会党職員 衆院選に出馬するも落選
橋本龍太郎 江田憲司 通産官僚 衆議院議員、みんなの党幹事長、結いの党代表、維新の党代表、民進党代表代行
小渕恵三 古川俊隆 小渕秘書、早大時代の後輩  
森喜朗 宮村栄一 森秘書、早大時代の後輩  
小泉純一郎 飯島勲 小泉秘書 大学客員教授、内閣官房参与(第2次安倍内閣
安倍晋三 井上義行 国鉄総理府ノンキャリア職員 みんなの党参議院議員、日本を元気にする会国会対策委員長
福田康夫 福田達夫 三菱商事社員、康夫秘書 長男 自民党衆議院議員
麻生太郎 村松一郎 麻生秘書 財務大臣秘書官
鳩山由紀夫 佐野忠克 元経産官僚[24]、弁護士 弁護士
菅直人 岡本健司 民主党職員、内閣官房専門調査員  
野田佳彦 河井淳一 松下政経塾2期生(野田の後輩)、議員秘書  
安倍晋三 今井尚哉 経産官僚[25]  

関連項目

脚注

  1. 内閣官房公式サイト 内閣官房組織等英文名称一覧
  2. 「特別職たる機関の長の秘書官のうち人事院規則で指定するもの」と記載されている。
  3. 「就任について選挙によることを必要とし、あるいは国会の両院又は一院の議決又は同意によることを必要とする職員」と記載されている。
  4. 国家公務員法
  5. 例えば上述の江田秘書官は、橋本首相の支持を背景に政府各省庁の統合などに力を振るった。
  6. 田中角栄内閣成立時に増員された。田中は首相就任直前まで通産大臣を務めていたこともあって、産業政策を重視する姿勢を示す意味があったとされる。また、当時の通産省に貸しを作るような意図があったという見方もある。(江田・龍崎 2002)
  7. 7.0 7.1 参考 読売新聞 2008/12/04付 連載『混沌政局』
  8. 小野次郎-衆院選出馬のために退官。
  9. 財務省出身者は「内政全般」、外務省出身者は「外交全般」、警察庁出身者は「治安・防衛」、経産省出身者は「広報」を担当する。
  10. 自治省出身で、後に復興庁統括官同事務次官を務めた、岡本全勝
  11. 但し、内閣官房組織令が改正されるまでの間、警察庁出身の秘書官は正規の秘書官ではなく、一般職の「内閣総理大臣秘書官事務取扱」とした。 麻生・自民党総裁:首相秘書官内定 1増で6人体制(毎日jp)
  12. [1]
  13. 首相秘書官に初の防衛省出身…安全保障分野強化 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) (2010/12/17閲覧)
  14. 但し、特別職である防衛書記官に一般職である内閣事務官を併任される形での就任となった。 (出典: 官報 平成22年12月20日 本紙 第5461号)
  15. 後に政令の再改正で、上述のように定員を7人とされ、正規の秘書官に就任。
  16. “首相秘書官6人を決定 経産省の今井氏ら”. 日本経済新聞. (2012年12月27日). https://r.nikkei.com/article/DGXNZO50058590X21C12A2EB1000/ . 2014-3-29閲覧. 
  17. “安倍政権の命運を握る「新・四人組」「お友達」内閣の苦い教訓は活かされるのか。人事で占う安倍内閣の行方。”. 文藝春秋. (2013年1月10日). http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/530 . 2014-3-29閲覧. 
  18. 郵政省出身で、2013年6月より経済産業省へ大臣官房審議官として出向中につき、総務省大臣官房付へ出向復帰の上で就任。
  19. “首相秘書官に初の女性起用 経産省の山田審議官”. 日本経済新聞. (2013年11月29日). https://r.nikkei.com/article/DGXNASFS2900R_Z21C13A1000000/ . 2014-3-29閲覧. 
  20. “戦後初、女性首相秘書官を起用 経産省の山田真貴子審議官”. 共同通信. (2013年11月29日). http://www.47news.jp/CN/201311/CN2013112901001339.html . 2014-3-29閲覧. 
  21. [2]
  22. 中央省庁幹部人事 宗像直子首相秘書官が初の女性特許庁長官、首相秘書官には42歳若手 産経ニュース2017.7.4
  23. “採用情報-平成21年度版 I種 職員からのメッセージ [霞ヶ関・永田町編 河本 光博”]. 財務省. http://www.mof.go.jp/about_mof/recruit/mof/message/fy2009/saiyouc09a/p46.htm . 2014-3-29閲覧. 
  24. 細川内閣で首相秘書官(事務)を務めており、2度目の就任である。
  25. 第1次安倍内閣で首相秘書官(事務)を務めており、2度目の就任である。

参考文献

外部リンク