厳家淦

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厳家淦
プロフィール
出生: 1905年10月23日
死去: 1993年12月24日
出身地: 江蘇省蘇州
職業: 政治家
各種表記
繁体字 嚴家淦
簡体字 严家淦
拼音 Yán Jiāgàn
注音二式 Yán Jiāgàn
和名表記: げん かかん
発音転記: イェン ジャアガン
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厳 家淦(げん かかん、1905年10月23日 - 1993年12月24日)は、国民党時代の中華民国台湾)の政治家静波外省人である。

生涯

上海の聖約翰(セント・ジョン)大学を卒業。第二次世界大戦後に台湾へ渡り、霧峰林家と交友を深める。1947年台湾省財政庁長となり、台湾での幣制改革に力を振るった。

その後、経済部長・台湾省主席・財政部長を経て、1963年民国52年)12月、 行政院院長に就任。1966年には副総統も兼任した。1975年(民国64年)4月5日蒋介石が任期中に病死したため、中華民国憲法の規定に沿い総統に就任。1978年(民国67年)5月20日の任期終了まで総統を務めたが、実際には蒋介石の息子で行政院院長だった蒋経国が党と政府の実権を掌握し、殆ど名目的な総統だった。

総統引退後は中華文化復興運動推行委員会会長や、国立故宮博物院管理委員会主任委員などの名誉職についた。1993年(民国82年)2月24日に台北市で病死。

なお任期中にサウジアラビアへ公式訪問を行った。これは中華民国総統としては初めての海外公式訪問となる。

 中華民国の旗中華民国
先代:
(初代)
退輔会主任
1954年 - 1956年
次代:
蒋経国
先代:
兪鴻鈞
美援会主任
1957年8月 - 1958年7月
次代:
陳誠
先代:
陳誠
行政院長
1963年 - 1972年
次代:
蒋経国
先代:
陳誠
経合会主任
1963年12月 - 1969年8月
次代:
蒋経国
先代:
陳誠
欠員期間あり
中華民国副総統
1966年 - 1975年
次代:
謝東閔
欠員期間あり
先代:
蒋介石
中華民国総統
1975年 - 1978年
次代:
蒋経国

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