反シオニズム

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反シオニズム(はんシオニズム)は政治的、宗教的にシオニズムに反対する幾つかの異なる観点を述べるのに使われる概念である。反シオニズムは「シオニズム」という語でに対して共通の形式で現れる場合もあるが、それらの背景や思想には大きな開きがあり、1つの現象と看做すことはできない。

シオニズムの諸類型

シオニズムの定義には複数の類型が存在し、各類型にはその反対の立場としての「反シオニズム」が存在する。 以下、シオニズムの類型を枚挙することで、シオニズムと反シオニズムの関係を概観する

ユダヤ民族主義的シオニズム

政治的シオニズム

政治的問題への関心からシオニズムと

  • ユダヤ人国家としてのイスラエルの存在を支持する政治運動
  • イスラエル国家による開発と防衛、そこへのユダヤ人の入植奨励を支持する運動

反シオニズムの例

アラブにおける世俗主義的な反シオニズム

アラブ世界における世俗主義的な反シオニズムは、イスラエルの存在を認める立場への反対や、同国の土地開発や領土拡大運動などに反対する立場が主なものである。ここでは、イスラム主義を背景とする宗教的反シオニズム以外のものを取り上げることとするが、そもそもアラブ世界において宗教的反シオニズムと世俗主義的反シオニズムの区別はしばしば曖昧となることには注意が必要である。

ユダヤ人帰還運動としてのシオニズムは長い歴史を持っており、元々はユダヤ人と共に平和な世俗国家を築こうとするアラブ人も多かった。ユダヤ人はヘブライ語を口語として復活させ、局所的には宗教的な差異を原因とした衝突がありながらも、安定した社会を築き上げていた。しかし、当初は対外貿易と人口増への対応を巡る農業政策におけるユダヤ人とアラブ人の価値観の違い(ユダヤ人の多くが銀行業などの非第一次産業職業に就いていた一方、農業に従事していたのはほとんどがアラブ人であった)という経済問題が大部分を占めていたはずの両者の対立は、オスマン帝国滅亡後のアラブ民族主義の高まり、後にイスラエルの首相となるベギン率いるイルグンシャミル率いるレヒ等のユダヤ人テロ組織のテロの激化等の要因が絡まって激化していき、第二次世界大戦が終了した後の1947年の時点では既に、ヨルダンのフセイン国王、アミール・ファイサル・フサイニー(1933年アラブ過激派により暗殺)、ファウズィー・ダルウィーシュ・フサイニー(1946年暗殺)、マルティン・ブーバーらの推進していたイフード運動(民族性・宗教性を表に出さない、平和統合国家案)は非現実的な様相を呈するに至った。その後、トランスヨルダンを委任統治していたイギリスから国連へとパレスチナ問題が移管され、パレスチナ分割によるイスラエル国の成立、二度に亘る中東戦争を経て、アラブ世界における反イスラエル感情は大きな高まりを見せた。アラブ諸国の反帝国主義者は、ある国民が特定の土地を自力で支配するには先ず、自国の人間を移民として送り込むべきとの見解を強調し、対シオニズム闘争はパレスチナ人自身が革命を起こし、ユダヤ人入植者を排除することによって成功する、とした。また1960年代ナセル時代の汎アラブ主義者は、パレスチナをアラブ世界の一部と捉え、アラブ諸国が団結してイスラエルに軍事介入すべきと説いたのは、その例である。

またこのような国家政治的イデオロギーを背景とした反イスラエル=反シオニズムの潮流以外に、実際に居住地から追放されたパレスチナ難民の人々によるイスラエルによる入植活動に対する抵抗運動が組織された。パレスチナ難民の発生原因については、当時は、ユダヤ人軍事組織によって追放されたというパレスチナ側の主張とパレスチナ人が自発的に立ち去ったというイスラエル側の主張があったが、現在ではイスラエルの政府資料や米国の諜報資料が公開され、イスラエル側の主張が虚構であり、大多数のパレスチナ難民はユダヤ人によって構成された軍事組織による大量虐殺(イスラエルの歴史学者イラン・パペによれば、総計2千人〜3千人が犠牲になった)および銃器を用いた脅迫などによって直接居住地から追放されるか、軍事的迫害を恐れて自ら難民となったかのいずれかであった。

ムスリム

イスラム教を奉じる反シオニズム主義者は一般的に、イスラエルをイスラム世界への介入者と見なし、イスラム世界はムスリムによってのみ合法的永続的に支配されるのが理想と考える[1][2][3]

また、イラン革命以降のイラン政府パレスチナ人らは、イスラエルが非合法である以上、イスラエルという国家そのものを指す場合、「イスラエル」ではなく「シオニスト政権」(Zionist regime)という語を用いることが多い。例えば2006年12月タイム誌が行ったインタビューでも、イランのアフマディーネジャード大統領は「皆さんご存じの通り、シオニスト政権は英米両政府の傀儡政権に過ぎない」と発言した[4]

カトリック教会と反シオニズム

ピウス10世ベネディクト15世ピウス12世をはじめ現代の歴代教皇は、シオニズム批判を大々的に行ってきた[5]。これは、ユダヤ人がキリストの神性を認めない以上、彼らが進めるシオニズム運動を支持するわけにはいかないためである[6]教皇庁もこうした問題により、1993年までイスラエルと関係が断絶していた。

ユダヤ人共同体内部における反シオニズム

宗教的ユダヤ人による反シオニズム

超正統派による批判

シオニズムが始まった当初、ヒレル・ツァイトリンジョエル・テイテルバウムなど[7]多くの宗教的ユダヤ人は、ユダヤ人か否かに関わらず、世俗的なイデオロギーであるナショナリズムには反対の立場を採り、シオニズムに対する闘争を展開した[8]

アリーヤーを巡る対立

ヘブライ語で「上昇」を意味するアリーヤーという語は、ユダヤ人によるイスラエルへの帰還を表す言葉として古代より用いられてきた。中世に入ると、ナフマニデスアイザック・ルリアヨセフ・カロら多くの有名なラビがイスラエルの地へ戻った。この他世界各地で離散を余儀なくされているユダヤ人も、メシアの時代に果たされるであろう帰還を祈り[9]、その願いは数世代にわたって受け継がれていった。

しかしユダヤ啓蒙主義時代には、改革派がアリーヤーを含め伝統的な信条を時代に合わないものと見なし破棄した。その後、イスラエルへのユダヤ人入植者が増加すると、従来の宗教上の信条と並行してイデオロギー政治的配慮から、アリーヤーが再び脚光を浴びるようになる。

ただ、敢えて離散状態を選択するユダヤ人も少なからず存在することから、アリーヤーへの支持が常に厚いわけでなく、現代のシオニズム運動もそれ程一般的ではない。とは言え、正統派保守派、近年では改革派に至るまで、シオニズムは一定の支持を得ているのが現状である[10][11][12]

世俗的ユダヤ人

ユダヤ人共同体も一枚岩ではなく、集団内外でも様々な反応が見られる。こうしたことから、世俗的ユダヤ人と宗教的ユダヤ人との間に原理的な相違が見られる以上、世俗的ユダヤ人がシオニズム運動に反対する理由は、宗教的なユダヤ人のものとは大きく異なる。

第二次世界大戦とイスラエル建国

第二次世界大戦以前、多くのユダヤ人はシオニズムを浮世離れした非現実的な運動と見なしていた[13]啓蒙主義時代のヨーロッパにおいて多くの自由主義者は、ユダヤ人が国民国家に忠誠を誓い、現地の文化に同化した上で完全な平等を享受すべきと説いた。一方、統合なり同化なりを受け入れたユダヤ人には、シオニズムがユダヤ人の市民権獲得の上で脅威に映った[14]

ヨーロッパでは、多くのユダヤ人が左派あるいは国際主義的な信念からシオニズムに反対したし、エジプトでは共産主義の影響を受けたユダヤ人反シオニズム同盟が結成された[15]。またイスラエルにおいてもマツペンハダシュといった政党を中心に、反シオニズムを標榜する組織や政治家が存在する。

シオニズムに対する態度は、第二次世界大戦を境に変貌を遂げた。ホロコーストの全容が明らかになる前の1942年5月ビルトモア会議パレスチナにユダヤ人共同体を設立すべきという、伝統的なシオニズム政策の放棄を宣言した[16]。 これを受け、一部シオニストの間に、パレスチナにおけるアラブ・ユダヤ連合国家樹立を支持する政党を立ち上げるなどの動きが見られた[17]

だがホロコーストの実態が知られると、社会主義者で終生無神論を貫いたポーランドイギリス人ジャーナリストアイザック・ドイッチャーを含め、1948年以前はシオニズムを批判していた者でさえ見解を改めるようになった。第二次大戦以前、ドイッチャーは国際社会主義運動に害を与えるとしてシオニズムに反対していたが、ホロコースト以後は戦前の見解を撤回し、戦後まで生存したユダヤ人に避難所を与えるのは「歴史的必然」との立場からイスラエルの建国を支持した。なお、ドイッチャー自身は1960年代以降、パレスチナ難民問題を契機として反シオニズムに回帰している。一方、ノーマン・フィンケルスタインは両親がドイツ国防軍に強制収用された経験を持っているものの、反シオニズムの立場をとっている。

関連項目

脚注

  1. Neusner, Jacob (1999). Comparing Religions Through Law: Judaism and Islam. Routledge. ISBN 0415194873.  p. 201
  2. Merkley, Paul Charles (2001). Christian Attitudes Towards the State of Israel. McGill-Queen's Press. ISBN 0773521887.  p.122
  3. Akbarzadeh, Shahram (2005). Islam And the West: Reflections from Australia. UNSW Press. ISBN 0868406791.  p. 4
  4. http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1570714,00.html
  5. La condamnation de l'idéologie sioniste par l’Église catholique
  6. Catholicism, France and Zionism: 1895-1904
  7. あとはマルティン・ブーバー
  8. Shaul Magid, “In Search of a Critical Voice in the Jewish Diaspora: Homelessness and Home in Edward Said and Shalom Noah Barzofsky’s Netivot Shalom,” Jewish Social Studies: History, Culture, Society n.s. 12, no. 3 (Spring/Summer 2006), p.196
  9. Taylor, A.R., 1971, 'Vision and intent in Zionist Thought', p. 10,11
  10. アーカイブされたコピー”. 2008年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2016年3月30日閲覧. Rachael Gelfman, Religious Zionists believe that the Jewish return to Israel hastens the Messiah
  11. アーカイブされたコピー”. 2013年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2016年3月30日閲覧. Ehud Bandel - President, the Masorti Movement, Zionism
  12. http://ccarnet.org/Articles/index.cfm?id=42&pge_prg_id=4687&pge_id=1656
  13. Walter Laqueur, A History of Zionism, (Schocken Books, New York 1978, ISBN 0805205233), pp385-6.
  14. Walter Laqueur, A History of Zionism, p399.
  15. 一方で、ユダヤ人のジャック・バーンスタインはシオニズムをマルクス主義だとして批判した。
    Jack Bernstein The Life of an American Jew in Racist Marxist Israel Torrance,CA: Noontide Press 1984
  16. American Jewish Year Book Vol. 45 (1943-1944) Pro-Palestine and Zionist Activities, pp 206-214
  17. American Jewish Year Book Vol. 45 (1943-1944), Pro-Palestine and Zionist Activities, pp 206-214
  18. BDSmovement.net | The Palestinian BDS National Committee website
  19. BDS イスラエル・ボイコット・キャンペーン:パレスチナの市民社会からの呼びかけ:パレスチナ情報センター