四谷区

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四谷区
廃止日 1947年3月15日
廃止理由 新設合併
淀橋区四谷区牛込区新宿区
現在の自治体 新宿区
廃止時点のデータ
地方 関東地方
都道府県 東京都
面積 2.85km2.
総人口 11,245
(国勢調査人口、1945年10月1日)
隣接自治体 牛込区、麹町区赤坂区
渋谷区、淀橋区
四谷区役所
所在地 東京都四谷区内藤町1番地
座標 北緯35度41分15秒
東経139度42分52秒
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四谷区(よつやく)は、かつて東京都にあった区。

歴史

テンプレート:四谷区の発足時の町名

  • 1879年(明治12年)
    • 4月 - 牛込区市ヶ谷七軒町(現四谷本塩町の一部)を編入。四谷七軒町に改称。
    • 4月22日 - 千駄ヶ谷西信濃町、千駄ヶ谷甲賀町、千駄ヶ谷大番町、千駄ヶ谷一丁目、千駄ヶ谷二丁目、千駄ヶ谷三丁目、千駄ヶ谷仲町二丁目、千駄ヶ谷仲町一丁目、を南豊島郡千駄ヶ谷村に編入。
  • 1880年(明治13年)9月27日 - 麹町区麹町十一丁目、十二丁目、十三丁目(現四谷)、牛込区市ヶ谷本村町の一部(現四谷本塩町)、市ヶ谷片町(現片町、ごく一部は荒木町)を編入。市ヶ谷本村町、市ヶ谷片町をそれぞれ本村町、四谷片町に改称。
  • 1889年(明治22年)5月1日 - 市制町村制の施行に伴う東京市の設置により、以下の再編が行われた。
    • 南豊島郡の以下の3町村の各一部を編入(カッコ内は残部の編入先)。
      • 千駄ヶ谷村(千駄ヶ谷村) - 1879年に分離した地域のうち、字西信濃町(もと千駄ヶ谷西信濃町)、火薬庫前、霞岳、川向(元千駄ヶ谷一丁目)、甲賀町(元千駄ヶ谷甲賀町)、池尻、大番町(元千駄ヶ谷大番町)の7字。
  • 1891年(明治24年)編入された旧千駄ヶ谷村域に以下の町丁を設置。一部は四谷永住町に編入。
    • 四谷西信濃町(字西信濃町・火薬庫前。現:信濃町)
    • 四谷霞岳町(字霞岳・川向・甲賀町。現:霞ヶ丘町
    • 四谷大番町(字大番町・池尻。現:大京町)- 既存の町丁に編入。
  • 1891年(明治24年)3月18日 - 豊多摩郡内藤新宿町の一部を四谷永住町、内藤町に編入。
  • 1894年(明治27年)10月9日 - 甲武鉄道四ツ谷駅および信濃町駅開業。
  • 1903年(明治36年)12月 - 東京市街鉄道(後の東京都電車)が新宿駅に乗り入れ。
  • 1911年(明治44年) - 町名の「四谷」の冠称を廃止。鮫河橋谷町、元鮫河橋町、元鮫河橋南町を、それぞれ谷町、元町、南町に改称。
  • 1915年大正4年)5月30日 - 京王電気軌道(現在の京王線新宿追分駅(新宿三丁目)が開業。
  • 1920年(大正9年)4月1日 - 豊多摩郡内藤新宿町を編入。以下の町丁を設置。
    • 新宿一丁目(大字内藤新宿一丁目、大字内藤新宿北裏町)
    • 新宿二丁目(大字内藤新宿二丁目、大字内藤新宿一丁目、大字内藤新宿北町)
    • 新宿三丁目(大字内藤新宿三丁目、大字内藤新宿添地町)
    • 三光町、花園町(大字内藤新宿北裏町)
    • 番衆町(大字内藤新宿番衆町、大字内藤新宿北裏町)
    • 旭町(大字内藤新宿南町)
  • 1927年昭和2年)10月28日 - 新宿追分駅が、京王新宿ビルディング1階に移転。
  • 1930年(昭和5年)3月6日 - 新宿追分駅は、四谷新宿駅に改称。
  • 1937年(昭和12年)5月1日 - 四谷新宿駅は、京王新宿駅に改称。
  • 1943年(昭和18年)
    • 7月1日 - 東京都制施行により東京都四谷区となる。
    • 旧内藤新宿町の区域を除く全域で町名整理が行われ、町名をおおむね現行のものに変更。
  • 1945年(昭和20年)
  • 1947年(昭和22年)3月15日 - 淀橋区および牛込区と合併し、東京都新宿区となる。

交通

鉄道路線

東京メトロ丸ノ内線南北線は未開通。また北参道駅副都心線)、新宿三丁目駅(丸ノ内線、副都心線、都営地下鉄新宿線)、新宿御苑前駅四谷三丁目駅(丸ノ内線)、国立競技場駅都営大江戸線)は開業していなかった。

著名な出身者

現新宿区の著名な出身者については新宿区を参照

外部リンク

関連項目