報道

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テンプレート:Journalism 報道(ほうどう、: Report)とは、ニュース・出来事・事件事故などを取材し、記事番組を作成して広く公表・伝達する行為であり、言論活動のひとつである。報道を行う主体を報道機関、報道の媒体をメディアと呼ぶ。報道は不特定多数の大衆の情報を伝達する、いわゆるマスコミュニケーションに含まれるため、報道の媒体はマスメディアと呼ばれることも多い。

概要

議会での議論や戦争の経過など数多くの事件や出来事を直接見聞きしている人はまれであり、特に現代社会ではマスメディアの提供する情報を通して事件や出来事を間接的に体験している[1]

報道における取材(しゅざい)とは、報道対象の事実を確認する行為で、報道機関は原則として所属する記者の取材に基づく記事を報道するが、国外など遠隔地で発生した出来事は、通信社などの配信する記事によって報道する場合もある。この場合、記事の頭に「○日ニューヨーク共同」のような形でクレジットが入る。

一方、ジャーナリズム: Journalism)とは、事実の伝達のほか、それについての解説や論評も含む[1]。テレビ放送では報道番組は娯楽番組などと対置されるが、スポーツ中継のように娯楽番組であると同時に事実を伝える報道番組としての側面を含むものもあり明確な区分は困難である[1]。ただし、ジャーナリズムの定義を無条件に拡大すると本質が見えなくなることから、一般には時事問題に関する報道・解説・批評等の活動を指して用いられる[1]

報道・ジャーナリズムは社会的に非常に大きな力をもっており、「立法」「行政」「司法」の3つの権力にこの「報道機関」を加え、「第四権力」とも呼ばれる。

報道の特質と課題

報道と中立性

日々の出来事に限らず建造物・風景・珍しい動植物など特に現代社会では人々はマスメディアの提供する情報を通して世界を認識することが多い[2]。このようなマスメディアの影響力から権力者にはその情報をコントロールしたいという志向が現れることがあり、現にいくつかの国々では厳しい情報統制が実施されている[3]

情報統制の敷かれた国々では権力者にとって都合の良い情報だけが住民に伝わり、世界情勢や自国の置かれている状況も客観的に判断することが困難になる[3]。冷戦末期、西側諸国の衛星テレビの情報は国境を越えて東欧諸国の人々の世界観や行動に影響を与え民主化革命の大きな原動力となった[3]

権力者によるマスメディアのコントロールが明確に表れるのがクーデター発生時であり、クーデターが発生すると情報によって市民や兵士の行動のコントロールを図るためまず放送局が占拠される[3]

こうした情報統制を防ぐために、民主主義国家においては表現の自由が保障され、報道の自由もその中において保障がなされている。このような自由はアメリカ独立戦争フランス革命などの市民革命の中で、新聞などの行う報道が世論の形成に大きな役割を果たしたことによって確立され、樹立された新政府においては自由権の一部として法的に表現の自由が認められるようになった[4]日本においても、日本国憲法の第二十一条において「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」[5]との一文があり、この中で報道の自由は保障されている。さらに第二項では「検閲は、これをしてはならない」と定められており、検閲も明確に禁止されている[6]

なお、客観報道については#報道と客観性を参照。

報道と正確性

報道では事実確認を怠ったり他社との競争を背景とする勇み足などによって誤報が生じることがある[7]。このほかやらせ虚偽報道の問題がある。また、表現の自主規制報道におけるタブーの問題もある。

報道と客観性

客観報道に対する考え方は媒体の種別によっても国によっても異なっている。

新聞社や雑誌社には社是として不偏不党を掲げる社がある[8]。一方で特定の政党や政治団体を支持している新聞や雑誌もある[9]。また、新聞を政党や政治団体が発行していることも多い[9]。米国ではニューヨーク・タイムズは政治報道では共和党より民主党に近い立場とされている[9]

客観報道の中身については様々な議論がある。数多く発生する事件や出来事に対し、どのニュースを選択し、どのような順序で、どれくらいの紙面・放送時間で報道するか、どの写真・映像を選択するかという決定のプロセスが介在するからである[10]

2000年に制定された日本新聞協会「新聞倫理綱領」では「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公平でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない」としている[10]

報道機関は、事件や事故といった事象に対し、報道する価値が「ある」「ない」といったふるい分けを行い、価値があると判断した事象を報道する[11]。判断する基準についてニクラス・ルーマンによれば

「驚き」「新奇さ」「断絶」「非連続」などの特性を備えており、広く報じる価値がある情報となる。そして、「驚き」などの判断基準はそのときどきの社会の状況によって異なるため、「同じような事件であっても、昔は報道されなかった(情報価値がなかった)のに、今では報道される(情報価値が生まれた)」といったことが、普通に起こりうる[12]

ここから報道に対する指摘の一つとして、「報道に「社会的責任」や「中立性」、「正義」などの「あるべき論」を求めるのは、そもそも間違っている」という考えが生まれる(ルーマン)[12]。報道は、社会的責任などの規範とは別次元の基準で情報を峻別し、多くの人が求めるものを報じる仕組みとなっている。そこへ外部から規範を基準として入れ込もうとしても機能するわけがない、ということである[12]

日本における客観報道の定義は曖昧であり、客観報道そのものに疑問を呈する意見もある。客観報道の定義は人によって千差万別で、定まった合意がないからである。記者クラブが持つ問題点と併せ日本の報道機関の偏向報道体質はよく批判され、客観報道は空想でしかないとの意見もみられる[13]

報道と過剰性

  • 犯罪に関する過剰に詳細な報道
    • 模倣犯を生み出す。動機や手口までもが詳細に報じられることにより、新たな犯罪連鎖自殺が誘発されることがある。
  • 報道番組の過剰演出
    • 取材映像にBGMや効果音、あるいはなぞりテロップやナレーションを付加することにより必要以上に演出してしまうことがある。

報道と閉鎖性

日本の報道機関は閉鎖的とされる。記者クラブの問題もある。

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 『サイバージャーナリズム論』2003年。
  2. 『サイバージャーナリズム論』2003年。
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 『サイバージャーナリズム論』2003年。
  4. 「歴史の中の新聞 世界と日本」門奈直樹 p14(「新聞学」所収)日本評論社 2009年5月20日新訂第4版第1刷
  5. http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=321CONSTITUTION&openerCode=1 電子政府の総合窓口 E-gov 2018年7月4日閲覧
  6. http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=321CONSTITUTION&openerCode=1 電子政府の総合窓口 E-gov 2018年7月4日閲覧
  7. 『サイバージャーナリズム論』2003年。
  8. 『サイバージャーナリズム論』2003年。
  9. 9.0 9.1 9.2 『サイバージャーナリズム論』2003年。
  10. 10.0 10.1 『サイバージャーナリズム論』2003年。
  11. 武田徹「(ほぼ)全員有罪」の社会システムが稼働した」『日経ビジネスオンライン』日経BP社、2008年4月3日付配信
  12. 12.0 12.1 12.2 武田徹「不安モードで暴走するのはマスメディア・システムの宿命か」『日経ビジネスオンライン』日経BP社、2008年4月17日付配信
  13. 中正樹『「客観報道」とは何か 戦後ジャーナリズム研究と客観報道論争 』新泉社、2006年4月、ISBN 4787706012、のほか類書もある。

関連項目

外部リンク