大友義鎮

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大友 義鎮 / 大友 宗麟(おおとも よししげ / おおとも そうりん)

戦国大名。義鑑の子。幼名は塩法師丸。天文9 (1540) 年2月3日元服。足利義晴の1字をもらって義鎮 (よししげ) と名のった。同 19年父の跡を継ぎ,豊後,筑後,肥後,肥前,豊前の6ヵ国を領し,同 21年には弟晴英 (のち義長) が大内氏の家督を継いで,大友氏全盛期を迎えた。永禄5 (62) 年,出家して休庵宗麟と号した。朝鮮貿易を行う一方,キリスト教に帰依してポルトガルとの交易をも積極的にした。洗礼名をフランシスコと称し,天正 10 (82) 年には大村,有馬氏とともに少年使節をローマへ派遣した (天正遣欧使節 ) 。しかし,これ以前の同6年島津氏に大敗してから次第に衰えた。



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