天井桟敷の人々

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天井桟敷の人々
Les enfants du Paradis
監督 マルセル・カルネ
脚本 ジャック・プレヴェール
製作 フレッド・オラン
出演者 アルレッティ
ジャン=ルイ・バロー
音楽 モーリス・ティリエ
ジョゼフ・コズマ
撮影 ロジェ・ユベール
マルク・フォサール
公開 フランスの旗 1945年3月9日
日本の旗 1952年2月20日
上映時間 190分
製作国 フランスの旗 フランス
言語 フランス語
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天井桟敷の人々』(てんじょうさじきの ひとびと、原題:Les enfants du Paradis「天国の子供たち」)は、1945年に製作・公開されたフランス映画。フランス映画史上に残る名作と言われる。

概要

第二次世界大戦中、ヴィシー政権下にあったフランスで製作され、監督はマルセル・カルネが務めた。製作期間に3年3ヵ月を費やし、製作費は16億円にのぼる、当時としては破格の規模で作られた大作映画となった。

作品は第一幕「犯罪大通り」(Le Boulevard du Crime) と第二幕「白い男」(L'Homme Blanc) の2幕構成になっている。

「愛し合う者同士にはパリも狭い」といった名台詞を生み出したジャック・プレヴェールの脚本でも知られる。

各国の映画評論家から高い評価を受ける作品でもあり、数々の賞を受賞しただけでなく、後年の映画批評家等を対象にしたランキングでも上位にランキングされる、文字通りの名作である。

受賞歴

ランキング

以下は日本でのランキング

  • 1980年:「外国映画史上ベストテン(キネマ旬報戦後復刊800号記念)」(キネ旬発表)第1位
  • 1988年:「大アンケートによる洋画ベスト150」(文藝春秋発表)第1位
  • 1989年:「外国映画史上ベストテン(キネ旬戦後復刊1000号記念)」(キネ旬発表)第3位
  • 1995年:「オールタイムベストテン・世界映画編」(キネ旬発表)第5位
  • 1999年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊80周年記念)」(キネ旬発表)第11位
  • 2009年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊90周年記念)」(キネ旬発表)第10位

ストーリー

舞台は1820年代のパリ。犯罪大通りのにぎわいから、物語は始まる。ガランスと彼女を取り巻く3人の男性、フレデリック、伯爵、バチストの関係に焦点を当てながら進んでいく。第1幕約100分、第2幕約90分。

(第1幕)『犯罪大通り』

女たらしで無名の俳優・フレデリックはパリの街角でガランスに一目惚れ。饒舌に愛を語るが、ガランスは軽くあしらうだけだった。

そんな美女・ガランスと悪漢で友人のピエール・ラスネール(偽名で劇中ころころ変わる)はパリの犯罪大通りにて、「フュナンビュール座」(en)の無言劇(パントマイム)の余興を楽しんでいた。そしてピエールは、そこの隣で一緒に余興に見入っていた裕福そうな紳士から懐中時計を巧みに盗み去る。そのことで濡れ衣を着せられたガランスであったが、盗難の一部始終を父親から才能がないと罵倒されていた芸人・バチストによってコミカルにパントマイムで再現され、彼女の疑いは晴れる。

このことがきっかけで、バチストは夢から覚め恋に落ちる。

一方で、フレデリックは公演中のトラブルを代役を演じたことがきっかけで「フュナンビュール座」で働くようになる。

その後、偶然にもガランスと再会するバチスト。お互い惹かれあうものの、バチストの重い愛が2人を引き離す。

そんな彼は無言劇で評判になり、フレデリックとガランス(丁度仕事がなかったのでバチストに紹介してもらう)も同じ舞台で共演する。すると、公演を見物していたモントレー伯爵はガランスの虜になり財力でガランスを口説く。しかし、申し出を断るガランス。

その後、またもやピエールのせいで刑事の取り調べを受け、殺人未遂の共犯者として逮捕されそうになる。やむなく、ガランスは伯爵に助けを請うことに…。

(第2幕)『白い男』

ガランスは伯爵夫人として暮らし、一方バチストはナタリーと結婚して男の子を授かる。

フレデリックは「フュナンビュール座」を辞め、別の劇団に移ったものの相変わらず女遊びをしたり借金取りに追われたり、さらには「こんな芝居はたいくつだ」と言って劇中にアドリブで作家達を侮辱するなど、問題を起こしている。

偶然にもフレデリックはバチストの芝居を観に行った劇場でガランスと再会し、バチストとガランスを再会させようと取り計らうが結局会えなかった。

劇中に突然飛び出し失意に暮れるバチストだったが、友人・フレデリックの芝居『オセロ』を見に行きようやく愛しのガランスと再会できる。2人にはもはや言葉はいらなかった。

しかし、一方ではガランスを手には入れたものの、彼女に愛してもらえない伯爵はガランスの思い人がフレデリックと勘違いし、嫉妬の矛先をフレデリックに向け決闘を申し込む。そこにピエールが割って入り、カーテンの向こうのガランスとバチストの逢瀬を両者に見せる。ピエールに激怒する伯爵にピエールは不敵な笑みを浮かべてその場を去る。翌日、謝肉祭の喧騒の中、ピエールはトルコ風呂屋にて伯爵を刺し殺す。

登場人物

  • ジャン・バチスト/ガスパール・ドビュロー[1]ジャン=ルイ・バロー:主人公。パントマイム芸人でガランスに思いを寄せる。
  • ガランス(クレール。母親の名はレーヌ。母が孤児のため姓はない)アルレッティ:落ち目の女芸人。バチストに誘われ、無言劇団「フュナンビュール座」へ。
  • フレデリック・ルメートル[2]/ピエール・ブラッスール[3]:女たらしの俳優。無言劇団「フュナンビュール座」に入団する。後に他の劇団に移籍する。
  • ピエール・フランソワ(変名としてピエール・ラスネール、フォレスティエなどを用いる)[4]/マルセル・エラン[5]:表では代筆業を営み、裏では強盗・殺人を繰り返す男。
  • ナタリー/マリア・カザレス[6]:無言劇団「フュナンビュール座」の女優、座長の娘。バチストを愛している。ガランスに嫉妬の感情を抱く。
  • モントレー伯爵/ルイ・サルー[7]:無言劇団「フュナンビュール座」の公演でガランスに心奪われる。富豪で、社会的地位も高く、当時の社会状況からして警察を動かすことも出来る。
  • 古着商ジェリコ/ピエール・ルノワール[8]
  • 盲人"絹糸/ガストン・モド[9]:古物などの目利き。普段は盲人を装っているが、本当は失明していない。
  • アンセルム・ドビュロー[10]/エチエンヌ=マルセル・ドゥクルー[11]:無言劇団「フュナンビュール座」の呼び込み人で俳優。バチストの父親。
  • フュナンビュール座座長/マルセル・ペレ[12]:無言劇団「フュナンビュール座」の座長。ナタリーの父親。
  • フュナンビュール座舞台監督/ピエール・パロー[13]
  • エルミーヌ夫人/ジャンヌ・マルカン[14]:下宿屋の女主人
  • アヴリル/ファビアン・ロリス[15]:ラスネールの子分
  • スカルピア・バリーニ/アルベール・レミー:
  • バチストの息子/ジャン=ピエール・ベルモン:バチストとナタリーとの間の子供。

エピソード

パントマイム役者・バチスト、シェークスピア俳優・フレデリック、無頼詩人・ラスネールは実在の人物をモデルにしているという。

2008年パリ国立オペラバレエ団によってバレエ化され上演された。

タイトルについて

邦題にある「天井桟敷」とは、劇場で最後方・最上階の天井に近い場所にある観客席のこと。観にくいので、通常は安い料金に設定される。フュナンビュール座でこの席は「天国」と呼ばれ、ここに詰めかけて無邪気に声援野次を飛ばす最下層の民衆は、子どものように賑やかだったので「天国のこどもたち」と呼びならわされていた[16](日本初公開時の題名候補に『天井桟敷の子供たち』もあった)。つまり、邦題『天井桟敷の人々』は、日本の映画興業にみられる慣行として洋画を上映するにあたり表現規制回避目的や商業主義的観点等から原題の意味を逸脱して日本独自の題名をつけてきた事例とは異なり、原題を真意にもとづいて正確に意訳したもの、といえる。

かつて寺山修司が主宰していた劇団演劇実験室 天井桟敷」(1967-1983)は、少年時代に青森映画館でこの映画を見て感動した寺山が、劇中の天井桟敷で芝居鑑賞する人々の姿から着想を得た、と彼自身のエッセイや元劇団員らが談話で語っている。

第一幕『犯罪大通り』

現代では区画整理で消滅したが、かつてパリに存在した、オペラ劇場軽演劇悲喜劇、外国劇、ストリップ、古典伝統劇、見世物小屋サーカス小屋などが密集した、ブロードウェイなどのような地域の通称であり、常に様々な犯罪が頻繁に起こっていたためにこう呼ばれた地域のことである。

第二幕『白い男』

文字通り、バチストの舞台衣装を指している。

脚注

  1. (1796-1846)実在の人物。先祖はボヘミアンでダンサー俳優として活躍し、近代パントマイムの創始者でピエロを考え出したとされる人気無言劇俳優である。尚、実際に、殺人事件を起こしてしまい、後に過失致死とわかるのだが、その裁判には各層を問わない彼の熱狂的なファンが、声を聴きたさに詰め掛けたという記事が残されている。
  2. 実在の人物。フランス演劇界にシェークスピア作品を紹介したとされる人物。
  3. (1905年12月22日-1972年8月14日)青年期は二枚目俳優として鳴らし、映画『リラの門』では中年男の悲哀を演じたフランス映画・演劇の名優である。尚、子息にラ・ブームでヒロインの父親役を演じたクロード・ブラッスールがいる。
  4. (1800または1803-36)実在の人物。獄中から新聞などに投稿、また、本を上梓するなどの執筆活動を行い独自の「悪人(ピカレスク)文学」を確立した。実際にギロチンで処刑された。
  5. (1897年10月8日-1953年6月11日)。戦前戦後にかけて数多くの映画に助演し、中でも『花咲ける騎士道』での助演は有名だった。
  6. (1922年11月21日-1996年2月11日)スペインから亡命したスペイン系フランス人。パリ音楽院に学び、初期はオペラ歌手として活躍。以後、生涯を通じ、数多くの舞台・映画・テレビに出演し、フランスの国民的大女優のひとりであった。
  7. (1902年4月23日-1948年10月12日)映画、舞台で活躍し、冷徹な二枚目、敵役を得意とし、将来のフランスの演劇界を担うと期待を集めていた矢先に自殺した。
  8. (1885年3月21日-1952年3月11日)フランス印象派の巨匠オーギュスト・ルノワールの長男。弟は映画監督のジャン・ルノワール。舞台、映画と長年にわたり活躍した。二枚目から名脇役の系譜は、同作で共演したピエール・ブラッスールに引き継がれた。
  9. (1887年12月30日-1970年2月24日)ルイス・ブニュエル監督の映画『黄金時代 (映画)』の主演俳優であり、スペインからフランスに亡命し、舞台と映画に出演する。『巴里の屋根の下』『大いなる幻影』などなど名脇役として知られる。フランス映画をサイレントの時代を経て戦後、現代と長年支え続けた俳優。54年に渡る俳優生活で一切テレビに出演する事はなかった。
  10. バチストの父親。実在の人物。
  11. (1898年7月19日-1991年3月19日)演じたドゥクルーは本業はパントマイム俳優であった。バチストの孫弟子にあたり、一旦下火になったパントマイムの中興の祖として語られる人物である。ジャン=ルイ・バローは彼の門下で、他に高名な弟子にマルセル・マルソーがいて、ヨネヤマママコは孫弟子にあたる。その長い生涯で普及のために数多くの映画・テレビに出演し、俳優としても活躍を続けたが、晩年はマントマイムに生涯を捧げた。
  12. (1898年1月24日-1974年6月28日)、映画デビューは古く、1927年のアベル・ガンス監督の意欲作『ナポレオン』に出演。以後、数多くの監督に信頼、重用される名脇役俳優としてテレビでも活躍。中でも、ほとんどのカルネ監督作に出演していた。
  13. (1883年11月3日-1966年8月13日)、1909年に映画デビューを果たし以来、映画・テレビに数多く主演、脇役の別なく活躍を続けた名優であった。
  14. (1895年1月13日-1976年12月1日)1912年に映画女優としてデビュー。後、連続活劇のヒロインとして活躍を続け人気を得た。その後、トーキーを経てもヒロインを、中年以降はテレビ番組でも主人公を演じ続けた。
  15. (1906年9月29日-1979年9月7日)元々は有名プロボクサーだったが、引退後に、彼のファンだったジャン・ルノワールとカルネに勧められて俳優に転向した。
  16. 鹿島茂著:文学は別解で行こう 『天井桟敷の人々』と、その時代の巴里

外部リンク