尾張国

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尾張国(おわりのくに/をはりのくに)

現在の愛知県西半部。東海道の一国。上国。もと吾湯市 (あゆち) 県主,尾張国造が支配。国府,国分寺ともに稲沢市。『延喜式』に愛智 (あいち) ,知多 (ちた) ,春部 (かすがへ) ,山田 (やまた) ,丹羽 (には) ,葉栗 (はくり) ,中島 (なかしま) ,海部 (あまへ) の8郡がみえ,『和名抄』には郷 70,田 6820町余。ただし『拾芥抄』では1万 1930町余。「記紀」神話の日本武尊の伝説にみえる熱田神宮は古来,大社として聞え,源頼朝の母が大宮司家の娘であったため,鎌倉時代初期には権勢を誇った。鎌倉時代の守護には小野氏,中条氏に続き正和~元弘年間 (1312~34) は北条氏の一族名越氏が任じられた。南北朝時代には高師泰が支配,室町時代には斯波氏が守護となったが,斯波義将は足利義満に仕えて管領となり,都にいることが多く,家臣織田氏を守護代とした。応仁の乱後,斯波氏の勢力が弱まるや織田氏は勢力を伸ばして尾張国を押え,信長は三河,美濃を攻略し,永禄3 (1560) 年には駿河の今川義元を愛知郡の桶狭間の戦いに破り,さらに近江に進出して京都に入って天下を掌握した。江戸時代には徳川家康の4男忠吉が入国したが,没後慶長 12 (1607) 年,9男の義直が封じられ,尾張徳川家で御三家の一つとして 53万 9500石,のち 61万 9500石を領して幕末にいたった。明治4 (1871) 年7月の廃藩置県には名古屋県と犬山県,同年 11月には合併して名古屋県となり,同5年愛知県となる。




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