復活の日

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復活の日』(ふっかつのひ)は、小松左京1964年に書き下ろしで発表した日本のSF小説である。また、同作を原作に、(旧)角川春樹事務所とTBSの製作により、1980年6月に東宝系で公開されたSF映画である。英題は“Virus”。

概要

殺人ウイルスと核ミサイルの脅威により人類死滅の危機が迫る中、南極基地で生き延びようとする人々のドラマを描いた作品。バイオテクノロジーによる破滅テーマの本格SFとしては日本ではこれが嚆矢こうしになった。執筆当時の香港かぜの流行、東昇の『ウイルス』、カミュの『ペスト』『戒厳令』、南極には風邪がないと記された岩波新書の『南極越冬記』、また冷戦時代の緊張下で同じく人類滅亡を扱ったネビル・シュートの『渚にて』を下敷きとしている[1]。本作で地震について調べたことが、代表作『日本沈没』にもつながったという[2]。そして、福島正実の企画による早川書房の初の日本人SF作家による長編シリーズ「日本SFシリーズ」の第1巻となった[3][4]

小松にとっては『日本アパッチ族』(光文社)に次ぐ長編第2作であり、ハードSFの書き下ろしとしては第1作といえる[5]。題名は当初は考えておらず[註 1]、掲載するに当たって急遽思いついたのだという。

SF作家の堀晃は、日本のSFのレベルを引き上げたと高く評価した[6]。評論家の石川喬司は、細菌兵器による終末テーマのSFの代表的な作品の一つとして扱っている[7]

2009年には、新井リュウジ[註 2]による児童向けのリメイク作品として、『復活の日 人類滅亡の危機との闘い』がポプラ社から出版された(ISBN 978-4-591-11137-6)。時代を2009年以降の21世紀初頭に移しており、それに伴うものや児童向けを理由とする改変がされているが、大筋では原作のストーリーそのままである。新井は「児童向けの翻訳」であるとうたっている。

小説あらすじ

1969年(小説上では196X年とされている)2月、イギリス陸軍細菌戦研究所で試験中だった猛毒の新型ウイルス「MM-88」が職業スパイによって持ち出される。スパイの乗った小型飛行機は吹雪のためアルプス山中に墜落し、ウイルス保管容器は砕け散る。春が訪れ気温が上昇すると「MM-88」は大気中で増殖を始め、全世界に蔓延まんえんした。はじめは家畜の疫病や新型インフルエンザと思われたが、心臓発作による謎の突然死が相次ぐ。おびただしい犠牲者を出してなお、病原体や対抗策は見つからず、人間社会は壊滅状態に陥る。半年後、夏の終わりには35億人の人類を含む地球上の爬虫類両生類魚類円口類を除く脊椎動物(ただしごく一部の哺乳類鳥類といった温血動物クジラアザラシオットセイなどの海棲哺乳類・一部の陸棲哺乳類〈齧歯類の一部など〉、ペンギンなどの一部の海棲鳥類と一部の陸棲鳥類〈一部の野鳥のみ〉はほとんど生き残った)はほとんど絶滅してしまう。

わずかに生き残ったのは南極大陸に滞在していた各国の観測隊員約1万人と、海中を航行していて感染を免れた原子力潜水艦[註 3]「ネーレイド」号や「T-232」号の乗組員たちだけであった。過酷な極寒の世界がウイルスの活動を妨げ、そこに暮らす人々を護っていたのである。隊員らは国家の壁を越えて「南極連邦委員会」を結成し、絶望の中から再建の道を模索する。27名の女性隊員は種の存続のため、妊娠・出産が義務化される。また、アマチュア無線で傍受した亡き医学者の伝言からウイルスの正体を学び、ワクチンの研究が始まる。

「災厄の年」から4年後の1973年、日本観測隊の地質学者、吉住(よしずみ)は旧アメリカアラスカ地域への巨大地震の襲来を予測する。その地震をホワイトハウスに備わる「ARS(自動報復装置)」が「敵国」の核攻撃と誤認すると、旧ソ連全土に核弾頭付きICBMが撃ち込まれること、更には、これを受けてソ連の「ARS」も作動し、南極基地も標的になりうることが判明する。ARSを停止するため決死隊が選抜され、吉住と米軍のカーター少佐はワシントンへ送られる。吉住とカーター少佐はホワイトハウス地下の大統領危機管理センターへ侵入するが、ARSにたどり着く寸前に地震が発生し、スイッチ停止に失敗する。核ミサイルの自動発射システム同士による報復合戦で世界は2度目の死を迎える。しかし、幸いにも南極へはミサイルが飛来せず、その上、中性子爆弾の爆発によってMM-88から無害な変種が生まれ、皮肉にも生き残っていた人類を救う結果となる。

それから6年後、南極の人々は南米大陸南端への上陸を開始し、小さな集落を構えて、北上の機会を待っていた。ある日、服は千切れ、髪やはボサボサ、今にも倒れ果てそうな放浪者が現れる。それは、核攻撃を生き延び、ワシントンから徒歩で大陸縦断を敢行してきた吉住だった。精神を病みながらも、仲間のもとへ帰ろうとする一念で生還した吉住を、人々は歓呼で迎えるのだった。

用語

MM-88
MMはMartian Murderer(マーシアン・マーダラー、「火星の殺人者」の意)の頭文字、88は継代改良した88代目の菌種を意味する。
アメリカの人工衛星が宇宙空間から持ち帰った微生物をもとに、フォート・デトリック(メリーランド州フレデリックにある陸軍感染症医学研究所の通称)で生物兵器として使える可能性が研究されていた。その原種「RU-308」がイギリスへ持ち出され、ポーツマス近郊の英国細菌戦研究所にてグレゴール・カールスキィ教授が改良を行った。カールスキィは職業的倫理観や良心の咎め、MM-88が万が一にも外に漏れた場合の人類滅亡の可能性を思ううちにノイローゼとなり、MM-88株をチェコスロヴァキアのライザネウ教授に送り、東西合同で対抗薬品を研究・開発させることを思い立つ。しかし職業スパイに騙され、CIAへ横流しされそうになったところ、スパイたちの乗る連絡機がイタリアのアルプス山中に墜落し、MM-88菌は世界にばら撒かれる。
絶対低温・絶対真空の宇宙空間に存在していたMM-88は、地球上の環境では強烈な増殖率を持つ。摂氏マイナス10度前後から萌芽状態にもかかわらず増殖し、マイナス3度以上で100倍以上、摂氏5度以上で毒性を持ち始めるが、その段階の増殖率は、マイナス10度段階の20億倍。増殖率・感染率・致死率が高すぎるため、弱毒化したうえでの実用化を目指していたが、MM-88はレガシーのMM-87比で2000倍の毒性を獲得してしまった。
MM-88は増殖・感染する核酸のみの存在[註 4]で、ブドウ球菌に似た特定の球菌を媒介としてインフルエンザウイルスを含むミクソウイルス群に寄生し、宿主となるウイルスの増殖力・感染力を殺人的に増加することで、大規模な蔓延を引き起こす。体内に侵入すると神経細胞染色体に取り付き、変異を起こした神経細胞は神経伝達物質の生成と伝達を阻害され、感染者は急性心筋梗塞のような発作を起こして死亡するか、急性全身マヒに陥って死亡する。
発熱・咳・頭痛・関節の痛みといった諸症状から、世間では新型インフルエンザ「チベット風邪」の大流行と思われていた。しかし、細菌でもウイルスでもないMM-88にはワクチン抗生物質も効果がなく、ウイルスに寄生するメカニズム、増殖・感染する核酸という理論すら知られないまま、防疫体制は崩壊する。フォート・デトリックでRU-300系列を研究していたマイヤー博士は、世界をMM-88の惨禍が襲う中でその正体がRU-308であることに気づいたが、世界の破滅を食い止めることはできなかった。
唯一感染を免れた南極では、病原体の性質を突き止めたアメリカの医学者A・リンスキイがアマチュア無線で伝えた情報を元にMM-88の分離に成功し、それを記念してMM-88を「リンスキイ・バクテリオウィルス」と命名した。南極の科学ブレーンの一員であるド・ラ・トゥール博士により、半ば偶然に発見された唯一の対抗手段は、原子炉内での中性子線照射によって生まれた人体には無害な変異体[註 5]によって、MM-88の増殖を抑えることだけであった。しかし、ARSの存在によって、MM-88は予想外の運命を迎える。
ARS(Automatic Reaction (Revenge) System)
米国の狂信的な反共軍人・ガーランド中将(映画での階級は統合参謀本部議長)が反共主義のシルヴァーランド前大統領[註 6]と共に造り上げた「全自動報復(または「反応」)装置」。相互確証破壊戦略の確度を上げるため、軍の施設がソ連の攻撃を受けて破壊された場合、その施設と一定時間の通信を行い、応答が無い場合はソ連へ向けて報復の全面核攻撃を全自動で実行する。ホワイトハウスイーストウイング大統領危機管理センターにある切り替えスイッチにより作動する。
反動政治家シルヴァーランドの時代は恐怖政治が猛威を振るい、米ソは全面戦争の一歩手前まで行っていたという[註 7]。そのため、対抗上ソ連側もまったく同じARSシステムを保有せざるを得なかった[註 8]。そしてシルヴァーランドは南極にも極秘で軍事基地を建設しており、これを知ったソ連側も南極を核ミサイルの射程に置かざるを得なかった。
後任のリチャードソン大統領はARSシステムを廃棄しようとしたが、ガーランド以下軍内部の反共勢力の強硬な反対により果たせず、全面軍縮を実現させてからARSを無用の長物と化してしまおうと目論んでいた。その矢先に世界はMM-88によって滅亡したが、ガーランドはMM-88の蔓延をソ連の生物兵器による攻撃とかたくなに信じ込み、死の直前にシステムを起動させる。
ワシントンを訪れた吉住とカーター少佐の目的は、起動している可能性のある[註 9]ARSが、大地震によるアラスカ方面の軍事施設の破壊を核攻撃と誤認して作動することを防ぐため、スイッチを切ることにあった。だが、2人が停止スイッチを押そうとした瞬間にARSは作動してしまい、無人のソ連本土へ全面核攻撃を始めてしまう。
WA5PS
病原体の性質を突き止めたアメリカの医学者A・リンスキイが使用する、アマチュア局コールサイン。エンドレステープを使い、ウイルス解析のヒントを放送し続けた。この情報が南極を守ることとなり、これを記念してMM-88を媒介する球菌に「WA5PS」の名が付けられた。
小松左京の没後、このコールサインが指定されていないことが判明し、小松左京事務所に許可を求めたうえで「小松左京記念局」として免許された[9]。2012年10月26日の夜より、WA5PS/KH0(メキシコ国境地域で免許され、マリアナへ移動している扱い)として運用されている。

映画

復活の日
監督 深作欣二
脚本 高田宏治
深作欣二[10]
グレゴリー・ナップ
原作 小松左京
製作 角川春樹
出演者 草刈正雄
ボー・スヴェンソン
オリヴィア・ハッセー
夏木勲
グレン・フォード
多岐川裕美
ロバート・ヴォーン
千葉真一
チャック・コナーズ
渡瀬恒彦
ジョージ・ケネディ
緒形拳
音楽 テオ・マセロ
羽田健太郎
主題歌 ジャニス・イアン
「You are love」
撮影 木村大作
編集 鈴木晄
製作会社 角川春樹事務所/TBS
配給 東宝
公開 日本の旗 1980年6月28日
上映時間 156分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
英語
ドイツ語
配給収入 24億円[11]
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角川春樹事務所とTBSが共同製作し、東宝が配給した1980年の日本映画。アメリカ大陸縦断ロケや南極ロケを敢行し、総製作費は25億円とも32億円ともいわれたSF大作映画である[12][13]。本来は1980年の正月映画として封切り予定だったが、製作の遅れから公開に間に合わなくなり、『戦国自衛隊』が正月作品として取って代わり、本作は半年遅れで公開された[14]

映画版あらすじ

1983年、米ソ冷戦は雪解けに向いつつあり、タカ派のランキン大佐にとって面白くない。一方、細菌学者のマイヤー博士はある懸念で頭を抱えていた。自分が作成に携わったMM-88というウイルスが東側に渡ったというのだ。ランキンの来訪にマイヤーはウイルス奪還が出来たかと問う。だが、CIAはMM-88をまだ奪還できていなかった。MM-88は極低温下では活動を休止しているが気温が上がると活発化し、爆発的に増殖するモンスターウイルスだった。マイヤーは元々毒性がなかったMM-88にランキンが各大学で作らせた研究成果を合わせ耐性や毒性をつけBC兵器として完成させていたことを問い詰める。その事実をマイヤーが告発しようとしている事を知ったランキンは、軍の息のかかった精神病院にマイヤーを隔離する。

日本では南極観測隊に志願した地震予知学者の吉住が、恋人の則子から別れを切り出されていた。一方、東ドイツの科学者は米国から盗み出した研究中のMM-88の毒性と脅威を知り、CIAを通じてサンプルをウイルス学の権威に渡しワクチン開発を依頼しようとしていた。だが、博士がCIAだと信じてサンプルを渡した相手はマフィアであった。セスナ機で逃走していた彼らはMM-88もろともアルプス上空で墜落事故を起こした。直後、周辺の地域で異常な現象が相次ぐ。カザフスタンでは放牧中の牛が大量死し、イタリアでは嬰児と幼児を中心に感染が広まっていた。かつてのスペイン風邪に倣い「イタリア風邪」と通称された疾患は全世界に広まりつつあった。米国大統領リチャードソンは事態を重く見て閣僚たちと対応策を練るが、爆発的な感染にワクチン精製が追いつかず、世界各国では暴動にまで発展していた。バークレイはこの事態がBC兵器によるものではないかと指摘し、監禁中のマイヤーを救出。マイヤーは早速ワクチン精製に取りかかり、ランキンを拘束に追い込む。一方、タカ派のガーランド将軍は示威目的で自動報復システムの起動を進言するが、リチャードソンにはねつけられる。

日本国内でも感染は拡大しつつあった。看護師として患者対応に追われていた則子は、過労が祟り密かに身籠っていた吉住との子を流産してしまう。恐るべき致死率の「イタリア風邪」は、各国主要都市を次々に壊滅させていた。

「イタリア風邪」の猛威の状況は南極にいる吉住たちの許にも届いていた。隊長の中西は各国の観測所と連絡を取りあい事態の把握に努める。家族を日本に残す隊員たちの動揺は増すばかりで、日本に妻子を残す辰野は焦りを隠せない。そんな中、ニューメキシコ州から1人の少年の通信が昭和基地に届いた。だが、無線機の扱いを知らぬ少年は父親の銃で自殺する。辰野の動揺は頂点に達し、妻子の写真を抱えた辰野は南極の大地に姿を消した。

遂にウイルスはソ連指導者をも死に至らしめ、リチャードソンの妻も命を落とす。リチャードソンは政敵バークレイと昔語りをする中で、南極にあるアムンゼン・スコット基地の存在を思い出す。基地の健在ぶりを知ったリチャードソンは最後の大統領令として南極に残る各国基地の越冬隊だけが最後に残された人類であると語り、決して外に出たり外から侵入者を許してはいけないと命令した。

新たに発足した南極政府の会議に赴くため、中西隊長と吉住はアムンゼン・スコット基地を目指す途中、ノルウェー基地で臨月間近の女性隊員マリトを保護した。基地内では口論の果てに銃撃戦が発生し、彼女だけが惨劇を免れたのだった。米軍のコンウェイ提督とソ連のボロジノフ博士は互いの遺恨を忘れて南極会議の中心に立つが、そんな中、ノルウェー基地の吉住から無事に子供が産まれたという連絡が入った。

しかし、男性に対する女性の割合があまりにも少なすぎるためレイプ事件が起き、女性は貴重な資源として南極政府は性交渉を管理することとなる。更にソ連の原子力潜水艦が救助を求めて寄港。だが、船内に感染者を抱えていた。ボロジノフ博士は寄港を許可できないと退けるが艦長のネフスキー大佐は上陸を強行しようとする。その窮地を救ったのは英国の原子力潜水艦ネレイド号だった。ネレイド号はソ連原潜を撃沈し、感染者が出ていないことを確認されて入港を許可される。こうして新たにネレイド号の乗員が南極政府に加わった。南極最初のクリスマスを迎え、マリトと再会した吉住は彼女への好意を意識するが、マリトはクジで選ばれた別の男性と一夜を過ごすのだった。

ウイルスの脅威はなおも健在であった。ラトゥール博士はウイルスのサンプルと格闘を続けていた。そんな中、吉住が新たな脅威の種を発見する。近くワシントンD.C.の近郊で巨大地震が発生するというものだった。遠く離れた南極とは無関係と思われたが、自動報復装置が作動していた場合、核攻撃と誤認して報復用のICBMが発射される。マクラウドは自動報復装置の作動を確認していた。米ソは互いの南極基地をも照準していた。一刻も早く装置を解除しなければ南極を核ミサイルが襲うことになる。ネレイド号と行動を共にする決死隊の人選が行われ、カーターはこんなものは馬鹿げているとして自ら志願。吉住は自分が選ばれたと嘘をついて同行を申し入れる。カーターは吉住の理解しがたい行動に暴力をもって説得しようとするが吉住の決意は変わらなかった。

2人の任務はホワイトハウス地下にある自動報復装置の停止だった。万一の場合に備えて女性を中心とした一団は砕氷船で避難することになり、ラトゥールが開発したワクチンのサンプルが2人に渡される。こうして大西洋に向かったネレイド号から二人がポトマック川をさかのぼりホワイトハウスに潜入する。だが、既に前震が始まっていた。カーターと吉住は決死の行動で装置作動を食い止めようとするが時既に遅く、核ミサイルは発射されてしまう。

世界は二度死んだ。ラトゥールの作成したワクチンは有効だった。ただ1人生き残った吉住はアメリカ大陸を徒歩で縦断する。精神を病み死者の声を聞いても吉住は歩みを止めようとはしない。やがて吉住はチリ南端にある湖畔へたどり着く。そこは核攻撃から避難したマリトやラトゥールたちの作った集落だった。

キャスト

(括弧内=TBS放送時の吹替)

南極日本隊
南極アメリカ隊
南極ソ連隊
南極ノルウェイ隊
各国南極観測隊
ネレイド号乗組員
T232号乗組員
日本本土
アメリカ本土
その他吹替


スタッフ


企画

本作より以前、1965年に映画化企画があがっていたが、合作でないと日本では無理との東宝の判断で英訳され、20世紀フォックスへ渡されている。その後、当時フォックスに出入りしていたマイケル・クライトンが4年後の1969年に類似テーマの『アンドロメダ病原体』を出版。ベストセラーとなり、映画化(邦題『アンドロメダ…』)もされ小松を驚嘆させた[15][16]

1970年代角川春樹が社長に就任した角川書店では角川文庫を古典中心からエンターテインメントに路線変更を図り、特に日本のSF小説に力を入れていた。本作も早川書房から刊行されていたものを、1975年に角川文庫から再刊した[15]。また当時、角川は映画製作事業も開始しており、いわゆる角川映画の一作として白羽の矢が立った。角川春樹は社長に就任するとすぐ小松に文庫化を依頼し、映画化の際には小松に「これを映画化するために会社を継いだ」と語ったという。角川春樹は自著でも「映画製作を行うようになったのは『復活の日』がきっかけ」[17][18][19]、「この作品を作ることができれば、映画作りを辞めてもいいと。それくらいの想いがありました」[20]と述べている。

企画開発は1974年に始まる。海外展開を視野に原作を英訳し、ジョン・フランケンハイマージョルジ・パン・コストマスらパニック映画の監督にシノプシスを送ったが関心を得られず[21]。角川春樹はヤクザ映画を多く撮ってきたからミスマッチという周囲の猛反対の声をおして、深作欣二を監督に起用[22]。撮影監督は東宝専属だった木村大作。小松左京の『日本沈没』を監督した森谷司郎も『復活の日』をやりたがっていたが、「監督は深作欣二か。大作と合うよ」と、『動乱』『漂流』で起用予定だった木村を送り出した[23]。その他、深作監督の下、日活と東宝と東映からなる日本人スタッフとカナダ人の混成チームが組まれた[24]

キャスティングもジョージ・ケネディオリヴィア・ハッセーら外国人俳優が共演したため、英語の台詞が多用された。

撮影

1978年冬に90日間、5千万円をかけたロケハンを敢行。撮影には1年以上をかけ、日本国外のロケに費やした日数は200日、移動距離14万km、撮影フィルム25万フィートを数えた。撮影隊はアメリカ大陸の北はアラスカから南はチリまで移動し、マチュ・ピチュ遺跡でも撮影を行った。

35mmムービーカメラで南極大陸を撮影したのはこの映画が世界初である。南極ロケについては40日をかけて、それだけで6億円の予算がかかった[10][25]。当初は、日本の北海道ロケで済まそうという話もあったが、木村大作はそれなら降りると主張し、深作欣二のこだわりもあって、南極ロケが実施された[13][26]。小松でさえ、映画化の話を聞いたときはアラスカグリーンランドでロケをするのだろうと思っていたという[27]

南極ロケではチリ海軍から本物の潜水艦シンプソン哨戒艦ピロート・パルドをチャーターした[28]。1979年12月末、撮影スタッフや観光ツアー客の住まいとなった耐氷客船リンドブラッド・エクスプローラー号 (MV Explorer (1969)が座礁・浸水し、チリ海軍に乗員が救出されるという事故が発生[28]共同通信の記者が乗り込んでいたことから一般ニュースとして日本で報道され[29]、『ニューヨーク・タイムズ』の1面でも報じられるなど、話題には事欠かなかった[30][31]。世界各地の様子を知るために、昭和基地アマチュア無線で情報収集をする様子が描かれている。

壮大なスケールの原作の映像化にふさわしく、当初14億円から15億円の予定だった製作費は、南極ロケの実施により18億円になり、最終的には25億円に達した[13]

反響・評価

1980年の邦画興行成績では黒澤明監督作品『影武者』に次ぐ24億円の配給収入[32]を記録するヒット作となるものの、製作費が巨額だったため、宣伝費等を勘案すると赤字であったとされる。本作がきっかけとなって、角川映画は1970年代の大作志向から、1980年代薬師丸ひろ子ら角川春樹事務所の所属俳優が主演するアイドル路線のプログラムピクチャーに転換した[33][34][35]。アメリカ人スタッフによる編集で海外版を制作したものの、海外セールスは好調とはいかなかったとされる。

角川春樹は「配収は自分が予想したよりも全然少なかった。それに海外マーケットが成立しませんでした」「自分の夢は一旦成立し、これで勝負は終わったんだと。ここから先は、利益を上げる映画作りへシフトしようと考え方を変えたんです」と振り返っている[36]

これまでに『日本沈没』『エスパイ』などが映画化されている小松であるが、本作を非常に気に入っており、自作の映画化作品で一番好きだという[37][38]。映画評論家の白井佳夫は、1980年の日本映画のワーストテンとして本作を選出[39]。深作ファンだった井筒和幸は作品の出来に落胆し[40]押井守は「小松左京は『日本沈没』を除けば映画化に恵まれなかった」との感想を述べている[41]

角川と共同製作したTBSは、1980年4月から放送した連続テレビドラマ『港町純情シネマ』の第10回「復活の日」(1980年6月27日放送)で、西田敏行演じる映写技師が本作の場面を流すタイアップを行なった。放送日は映画公開前日だった。

2011年3月16日と3月20日にV☆パラダイスで放送予定していたが、直前に起こった東日本大震災への考慮で放送中止となった。

2012年に「角川ブルーレイ・コレクション」の一作品としてブルーレイディスク化。

受賞歴等

脚注

  1. 小松は題名を考えずに小説を書く。小松は後に、自身が題名を考えずに小説を書いたために時空がゆがんでしまうという内容のSF長編『題未定』を発表している。
  2. 本作がペンネームを「あらいりゅうじ」から変更して初の作品である。
  3. 原子力潜水艦は通常の潜水艦と異なり、艦内の空気を長期間自己完結させるほか、海水電解で空気を精製させることができるため。詳しくは同項目を参照。
  4. 小説発表時にはこのようなものは知られていない、空想上の病原体であったが、後に高等植物に感染するウイロイド細菌に感染するプラスミドなどの「増殖・感染する核酸」の実在が知られるようになった。
  5. 映画版ではワクチンとして扱われている。
  6. 『復活の日 人類滅亡の危機との闘い』では1980年代の元大統領となっており、ガーランドの死後にARSは存在すら忘れられかけていたと言及されている。
  7. 原作では、「ケネディの選んだ道を強引に引き返した」とされ、保守的な軍人でさえも「アメリカの後進性に絶望」した。観測隊員には、「20世紀のアッティラ」「ホワイトハウスのネロ」とまで評されている。
  8. 細部が異なるが「自動報復装置」として実在する。相互確証破壊#旧ソビエト連邦の自動報復システムを参照。
  9. 映画ではネレイド号が通信によって作動を確認し、マクラウド艦長が不審に思ったと語っている。

出典

  1. 小松左京 『SFへの遺言』 光文社、1997年。ISBN 4334971423。
  2. 小松左京 『小松左京のSFセミナー』 集英社集英社文庫〉、1982年。
  3. 小松左京 2008, pp. 63, 130-134
  4. 福島正実 『未踏の時代』 早川書房、1977年、136-145。
  5. 小松左京 1998, 巻末インタビュー
  6. 「堀晃「復活の日 作者と作品」」『世界のSF文学・総解説』 自由国民社、1992年、増補版。ISBN 4426611059。
  7. 石川喬司 『IFの世界』 毎日新聞社、1978年。
  8. JK1FNL (2012年10月26日). “WA5PS”. PaperDXers. . 2017閲覧.
  9. 「小松左京マガジン第45巻」(角川春樹事務所発売、2012年4月発行、ISBN 978-4-7584-1196-7)に取得に関する[8]が掲載されている。
  10. 10.0 10.1 『昭和55年 写真生活』 ダイアプレス〈DIA Collection〉、2017年。ISBN 978-4802302524。
  11. 構文エラー: 認識できない区切り文字「[」です。
  12. 「永塚敏「'80日本映画界トピックス」『シネアルバム 1981 1980年日本公開外国映画+TVシリーズ全集』 日野康一 編、芳賀書店〈シネアルバム 83〉、1981年。ISBN 4826100833。
  13. 13.0 13.1 13.2 生江有二「阿修羅を見たか 角川春樹と日本映画の20年 第8回 白夜の中で」、『週刊ポスト』1998年5月22日号、小学館、 159頁。
  14. 「邦画新作情報」、『キネマ旬報』1979年5月下旬号、キネマ旬報社、 180頁。
  15. 15.0 15.1 小松左京 1998, pp. 442-443
  16. 小松左京 2006, p. 141
  17. 小松左京 2006, p. 141
  18. 角川春樹 『試写室の椅子』 角川書店、1985年、126, 137。ISBN 4048831895。
  19. 小松左京 2006, p. 159
  20. 角川 & 清水 2016, p. 105
  21. 角川 & 清水 2016, pp. 105-106
  22. 「FRONT INTERVIEW NO.157 角川春樹」、『キネマ旬報』2008年6月下旬号、キネマ旬報社、 6頁。
  23. 木村大作 『誰かが行かねば、道はできない 木村大作と映画の映像』 キネマ旬報社、2009年、78-79。ISBN 978-4873763132。
  24. 木村 & 金澤 2009, p. 82
  25. 生江有二「阿修羅を見たか 角川春樹と日本映画の20年 第8回 白夜の中で」、『週刊ポスト』1998年5月22日号、小学館、 160頁。
  26. 金澤誠(聞き手・文)「「風にふかれて気のむくままに 木村大作「劔岳 点の記」への道、」第5回「復活の日」篇1」、『キネマ旬報』2009年1月上旬号、キネマ旬報社、 。
  27. 角川書店版「あとがき」より
  28. 28.0 28.1 角川 & 清水 2016, pp. 110-111
  29. 富山省吾「プロデューサー・田中友幸の思い出」」『ゴジラ 東宝特撮未発表資料アーカイヴ プロデューサー・田中友幸とその時代』 木原浩勝、志水俊文、中村哲 編、角川書店、2010年。ISBN 978-4048544658。
  30. 深作欣二 『映画監督深作欣二』 ワイズ出版、2003年、374-384。
  31. 金澤誠(聞き手・文)「「風にふかれて気のむくままに 木村大作「剣岳 点の記」への道、」第6回「復活の日」篇2」、『キネマ旬報』2009年1月下旬号、キネマ旬報社、 。
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  33. 樋口尚文 『『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画』 筑摩書房、2004年、223-230。ISBN 4480873430。
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  35. 「磯田勉「角川映画のアイドル戦略」」『アイドル映画30年史』 洋泉社〈別冊映画秘宝VOL.2〉、2003年。ISBN 4896917642。
  36. 角川 & 清水 2016, pp. 116-117
  37. 小松左京 2008, p. 330
  38. 小松左京 2006, p. 148
  39. 松浦総三 『スキャンダラスな時代 80年代の週刊誌を斬る』 幸洋出版、1982年。
  40. 井筒和幸 『ガキ以上、愚連隊未満。』 ダイヤモンド社、2010年。ISBN 978-4478013533。
  41. 小松左京 ほか 『完全読本 さよなら小松左京』 徳間書店、2011年。ISBN 978-4198633035。

参考文献

  • 角川春樹 『いつかギラギラする日 角川春樹の映画革命』 角川春樹事務所、2016年。ISBN 978-4758412957。
  • 小松左京 『復活の日』 角川春樹事務所ハルキ文庫〉、1998年。ISBN 4894563738。
  • 小松左京 『SF魂』 新潮社新潮新書〉、2006年。ISBN 4106101769。
  • 小松左京 『小松左京自伝 実存を求めて』 日本経済新聞出版社、2008年。ISBN 978-4532166533。

関連項目

外部リンク

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