徳川斉昭

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徳川 斉昭(とくがわ なりあき)

江戸時代後期の水戸藩主。治紀の3男。幼名は虎三郎,敬三郎。字は子信。号は景山,潜龍閣。諡は烈公。少年時代に会沢正志斎 (会沢正) などの指導を受け,文政 12 (1829) 年水戸藩主となる。朱子学的,尊攘的行動が多かった。藤田東湖らを登用して藩政の刷新をはかり,藩校弘道館を設立したほか,反射炉を那珂湊に設けて鉄砲を鋳造するなど藩政改革に努力した。しかしこれら斉昭の活動は尊攘的行動とみなされ,幕臣鳥居耀蔵 (ようぞう) らの排撃にあって,弘化1 (44) 年5月隠居謹慎を命じられ一時幽閉された。嘉永2 (49)年3月幽閉を解かれ幕政に参与してからは将軍継嗣問題で大老井伊直弼と対立し,安政6 (59) 年8月水戸に永蟄居を命じられた。



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