新庄市

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ファイル:Shinjo city center area Aerial photograph.1976.jpg
新庄市中心部の空中写真。1976年撮影の6枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

新庄市(しんじょうし)は山形県の北東にある人口約3万6千人のである。

概要

江戸時代新庄藩が置かれ、戸沢氏6万石の城下町であった。一方で羽州街道の宿場町でもあり、市南部の本合海集落は最上川水運の主要積出港であった。磐根街道が開削される明治時代初頭までは庄内町清川まで道路がなかったため、本合海河港からの舟運が唯一の交通手段であった。

雪深い地域に属し、雪害救済運動発祥の地でもある。そのため「独立行政法人防災科学技術研究所 雪氷防災研究センター新庄支所」が置かれ雪氷防災実験棟で雪崩の発生メカニズムの解明などが行われており、「雪の里情報館」という雪についての学習施設がある。豪雪地域で四方の山に囲まれた土地であるため日本一日照時間が短い町(市町村単位で)とされている。

また山形新幹線の終着駅である新庄駅があり、最上地方の中心都市としての役割を担う。近年では、最上地方の自治体として自然と人間の共生を主題に最上エコポリス構想が推進されている。

このほか岩手県遠野市と並ぶ東北地方随一の民話の宝庫としても知られ多くの民話の語り部による民話の伝承、記録が盛んに行われており毎年「みちのく民話まつり」が開催される。

近年では早稲田大学玉川大学バイオマス研究施設、山形大学の自然に関する教育研究活動や講座を行う「エリアキャンパスもがみ」が開設されるなど研究施設の進出も行われている。

地理

山形県の北東、山形市の北に位置し最上川中流域の新庄盆地に位置する都市である。市域の東側は神室山を主峰とする神室連峰がある。市街地付近に升形川(戸前川)が流れ、市域の南西部で最上川に合流する。

市の東側に横たわる陣ヶ峰、大森山杢蔵山八森山と続く神室連峰の美しい山塊は比較的低標高に高山性植物が植生し神室山へと続く縦貫登山路として整備されており比較的軽装備で気軽に登れる登山ルートとなっている。この山塊の麓にあることから、葛麓(かつろく)とも呼ばれている。新庄市からはこの他、鳥海山月山葉山を眺めることが出来る。

位置的に南北の交通と東西の交通が交わる要衝で道路網では国道13号国道47号が交差し、鉄道では奥羽本線が南北に縦断し陸羽西線陸羽東線が東西に横断する。また山形新幹線の終点である。地理的な特性から最上郡全体からの交通路も新庄市内に集中する構造になっており、最上地方は新庄市への一極集中型である。新庄市は最上郡の消費活動全体を支えていると言え、4万人弱の都市規模の割には国道13号新庄バイパス沿いに大型スーパーマーケットや大手量販店が進出している。

気候

1月の平均気温は-1.3℃、8月の平均気温は23.9℃、年間平均気温は10.5℃、年間降水量は1842.6mmである。

  • 最高気温極値(1957/9〜)37.4℃(1978年8月3日)
  • 最低気温極値(1957/9〜)-20.2℃(1976年2月14日)[1]

歴史

新庄の歴史は、15世紀に新庄盆地の中央部に土豪により沼田城(新庄城)が築かれたことに始まる(新庄の名もこれに由来している)。しかし湿地帯の中にあったため中世には城として不適であり最上地方は大蔵村にあった「清水城」、真室川町にあった「鮭延城」、最上川の要衝であった本合海集落にあった「八向楯」等山城により経営されていた。戦国時代には最上義光によりその領地に編入された。

新庄市が最上地方の中心として発達を始めるのは、新庄藩が作られ羽州街道沿いにあった沼田城周辺が城下町として開発されてからである。元和8年(1622年)、戸沢氏が常州松岡(現在の茨城県高萩市)から転封。同9年(1623年)に鮭延城に入るが狭小のため、翌寛永元年(1625年)3月に新庄に城を築く。この時より、250余年に渡る戸沢氏の藩政が始まる。江戸時代を通じて戸沢氏は領国経営に熱心であり、表高6万8200石を実高8万石にまで増やすことに成功した(民謡『新庄囃子』には「昔ゃ戸沢の8万石よ」の文句がある)。宝暦6年(1756年)、前年の大凶作に喘いだ新庄藩は5代藩主・正諶(まさのぶ)が領民に活気と希望を持たせると共に豊作祈願をするため氏神である天満宮の祭典を行った。これが今日まで続く新庄祭の始まりと伝えられる。

戊辰戦争においては奥羽越列藩同盟を離れ新政府軍についた。明治元年7月に庄内藩の攻撃を受けて藩主戸沢正実は秋田藩領内に逃亡し、新庄城は陥落し、城下町は戦火に大半が焼失した。明治元年9月に庄内藩が新政府に降伏するまでしばらく間庄内藩の管理下に置かれた。

明治4年(1871年)、廃藩置県により新庄県が設置、同9月に山形県に合併。明治時代に奥羽本線が開通し大正時代に陸羽西線、陸羽東線が開通すると「鉄道の町」として隆盛を極め物資の集積地、養蚕の町、大日本帝国陸軍軍馬も生産する馬産地、豊富な森林資源を活用した木材加工業・家具工業の町としても知られるようになった。昭和時代初頭には近代農業の実験場として新庄市北部の広大な原野を開墾し、当時の最先端の農業技術で農耕を行う国家事業、「昭和開拓」が行われた。

太平洋戦争中には神町海軍飛行場の補助飛行場として新庄市西郊に升形飛行場(600m×30m)、竹形飛行場(800m×60m)と2つの大日本帝国海軍飛行場が存在した。市内の木材加工場では、弾薬箱の製造が行われた。アメリカ軍空襲が1回あり、6名の犠牲者を出している。

戦後は昭和30年代に周辺の町村を合併し、昭和40年代初頭には人口49,000人に達した。しかし戦後の産業構造の激変により馬産、養蚕・製糸、木材加工といった産業が軒並み崩壊し農業生産も厳しい状況が続いている。鉄道も施設の合理化や自動化が進み、人員削減が進んだ。そうした中で、新庄市の人口は漸減を続けているのが現状である。その一方、工場の誘致も行われており市内には山形航空電子(日本航空電子工業の子会社)などが進出している。

行政区域変遷

行政

歴代市長

行政機構

  • 市長
    • 副市長
      • 総務課
      • 総合政策課
      • 税務課
      • 市民課
      • 福祉事務所
      • 神室荘
      • 環境課
      • 健康課
      • 農林課
      • 商工観光課
      • 都市整備課
      • 上下水道課
    • 会計管理者
      • 会計課
  • 教育委員会
      • 教育総務課
      • 学校教育課
      • 生涯学習課
  • 監査委員

市議会

新庄市議会の定数は20名

  • 会派
  • 組織
    • 常任委員会
      • 総務常任委員会
      • 文教厚生常任委員会
      • 産業建設常任委員会
    • 特別委員会
      • 最上広域市町村圏事務組合
      • 議会報編集委員会
      • 議会図書室運営委員会


行政機関

特殊法人および独立行政法人の施設

友好都市

[注 1]

司法

郵便

  • 新庄郵便局(集配局)
  • 泉田郵便局(集配局)
  • 本合海郵便局(集配局)
  • 新庄金沢町郵便局
  • 新庄大町郵便局
  • 新庄駅前郵便局
  • 新庄大手町郵便局
  • 鳥越簡易郵便局
  • 角沢簡易郵便局
  • 茶屋町簡易郵便局
  • 高壇簡易郵便局
  • 升形簡易郵便局


地域

人口

新庄市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

健康

食べ物

伝統工芸

  • 新庄亀綾織  この織物の最大の特徴は、「縦糸を仕掛ける綜絖(そうこう)と呼ぶ枠を、通常の織物では2枚のところを最低でも4枚組み合わせること」および「通常は糸の段階で染色するが、亀綾織は反物にしてから色を付ける」こと、この2点である。日本経済新聞2014年10月24日の最終面文化欄でとりあげられた。寄稿者は新庄亀綾織伝承協会前会長の中部道子。
  • 東山焼天保12年(1841年)より続く)
  • 隠明寺凧

民謡

方言

新庄市を中心とした最上地方では新庄弁が話されているが、最上郡内であってもその方言には多かれ少なかれ違いが存在する。新庄市内においても「旧家中」「町方」「在方」で違いがあり、特に旧家中で話された「家中言葉」は他と比してかなりの違いがある。

教育

大学
専修学校
高等学校
中学校
小学校
小・中一貫校

平成18年(2006年)3月をもって、角沢小学校は日新小学校と合併を行い廃校となり、 平成22年(2010年)3月をもって、山屋小学校も閉校し新庄小学校に吸収された。 平成27年(2015年)3月をもって、萩野中学校、萩野小学校、泉田小学校及び昭和小学校が統合し、萩野学園となった。

金融機関

交通

鉄道路線

バス

道路

空港

観光ほか

イベント
  • 新庄カド焼きまつり(4月下旬~5月上旬 最上公園にて開催)
桜を眺めながらカドを焼いて食べて、雪深い地の遅い春の訪れを祝う行事である。
カドとは、「(ニシン)」のこと。 東北地方では、産卵のために押し寄せるニシンを門口で獲れたことからカドと呼ぶようになったと言われ、春の産卵期に北方の海に現れることから「春告魚(はるつげうお)」とも呼ばれている。
新庄は、豪雪地帯ため、冬期間は鮮魚の入手が困難であったの。そのため雪解けと共に入荷するカドを焼いて酒を酌み交わし、春の到来を喜んだ。
宝暦6年(1756年)より始まったと伝えられる祭り。毎年8月24日26日にかけて行われる山車である。
昭和9年に建てられた登録有形文化財である新庄市エコロジーガーデン-原蚕の杜-(旧農林省蚕糸試験場新庄支場)を会場に行っている手づくり市。経済社会の中で失われつつあるながりを再生し、相互理解のもとでよりよい新庄最上の生活を楽しめるようになることを目指し市民団体が主催となって開催。毎年5月〜11月の第三日曜日に開催。
  • 新庄そばまつり(11月第一日曜開催)
  • 新庄雪まつり(2月第二土曜・日曜開催)
  • 新庄100円商店街
名所、旧跡など
新庄城は寛永2年(1625年)より243年ものあいだ新庄藩の象徴であり中心としてあったが、戊辰戦争時に庄内藩の猛攻によって市街地と共に焼失した。
現在は本丸の部分が「最上公園」として整備されており、公園内には戸沢神社、天満神社、新荘護国神社の3つの神社が並んでいる。このうち天満神社の本殿及び拝殿は、県指定文化財(昭和63(1987年)年8月25日指定)になっている。
また、最上地方随一の桜の名所として知られ、毎年4月20日前後に見頃を迎える
新庄城の堀は現在は1つだが3つ存在したとされる。現在でも最上公園の周囲に残る堀は「一の堀」であり、他2つは埋め立てられている。「二の堀」は新庄市民文化会館付近から新庄市老人センターを通って新庄南高付近まであり、新庄市老人センター横には空堀の遺構がある。現在の大町~本町にあたる旧羽州街道に沿ってあったのが「三の堀」、ここまでが新庄城であった。二の堀と三の堀の間は旧武家町、羽州街道を隔てた反対側が旧下級武士・町人町である。当時の都市防衛方法の一つであろう。
新庄市指定史跡になっている。
市東南の鳥越楯跡に位置する。社殿は本殿・拝殿・幣殿から成る。本殿は新庄藩祖戸沢政盛の養子戸沢定盛が造営したもので新庄最古の建造物。造営当時は丹や黒漆で彩色されていたようであるが、現在は一部にその面影を残すのみとなっている。拝殿は2代藩主戸沢正誠の造営。ともに国の重要文化財(建造物 昭和61年(1986年12月20日指定)
境内には七所明神の1つ、大山守命の左手が祀られている。
応神天皇の第二皇子・大山守命庄内田川郡で捕らえられ、斬られたという。その際、皇子は遺言を遺す。「我思うところあり。我を七つに切りて、最上鮭延庄に持ち行き七ヶ所に奉祀すべし」。しかし、誤って8つに分けられてしまう。遺体は舟に乗せられ最上川を遡り、舟形に着岸した際8つのうち1つが投げ捨られてしまう。この地は「投げ沢」と呼ばれた。現在の尾花沢市名木沢(なぎさわ)である。新庄を中心にして七ヶ所に、それぞれ大山守命を祀る神社があり、これを七所明神と言う。新庄市宮内に首、新庄市升形に胴、新庄市鳥越(鳥越八幡神社)に左手、新庄市角沢に右手、大蔵村合海に男根、鮭川村京塚に左足、戸沢村松坂に右足が奉祀される。
捕らえられ討たれた地・庄内田川郡では皇子の血が赤く広がったことから「血ヶ原」とよぶようになり、現在の庄内町千河原のもととなったと言われている。この千河原地区では大山守命を安産の神とし、毎年1月に「やや祭り」を行っている。皇子を討った連臣は悔やみ、都へは帰らず最上において一生を終えたという。死後、連臣は祠に祀られており新庄の関屋地区にある濫番連臣堂がこれである。
松尾芭蕉陶像、黛まどか句碑などがある。
松尾芭蕉は、新庄に逗留中「水の奥氷室尋ぬる柳哉」「風の香も南に近し最上川」の句を詠む。その後、当地から最上川で出羽三山に向かう。新庄市内には、金沢の「柳の清水跡」にも芭蕉句碑がある

マスコット

かむてん
同市出身の漫画家、冨樫義博によるデザイン[6]。新庄市出身の同作者ファンからの聖地巡礼を見越して制作された[7]

出身有名人

事件


脚注

注釈

  1. 1990年代前半、当時プロ野球阪神タイガースに在籍していた新庄剛志選手の人気にあやかり村おこしの一環として、当時の高橋榮一郎市長が主導して新庄市・新庄町(当時)・新庄村とで友好自治体共同事業協議会「新庄会」が創設され、新庄選手を1993年11月より2006年の現役引退まで公式に応援した[2][3]。同会は創設を記念する阪神の公式戦「新庄ナイター」を阪神甲子園球場にて開催して(新庄剛志#阪神時代・1994年の項を参照)入場者への物産品の配布なども行うなど、球場での応援活動も行った[4]

出典

  1. 気象庁(新庄の観測史上1〜10位の値)
  2. 新庄剛志選手の黄金バット山形県新庄市 新庄話題鍋)2015年8月1日閲覧。
  3. 『新庄剛志PART2 (ベースボールアルバムNO.116)』(ベースボール・マガジン社 1993年8月)
  4. 夫人同伴で入団した銀行員 ― 猛虎人国記.スポニチ Sponichi Annex 野球 猛虎人国記.2016年4月22日閲覧。
  5. 旧矢作家住宅(国指定重要文化財)
  6. かむてんとは”. 新庄市公式ホームページ. 2013年9月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2015閲覧.
  7. 今、なぜ「かむてん」?”. 新庄市公式ホームページ (2014年3月3日). . 2015閲覧.

外部リンク