日向国

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日向国(ひゅうがのくに)

現在の宮崎県。西海道の一国。中国。日向は「ひむか」で日に向う意。「記紀」の神話ではニニギノミコトが高天原からこの地に降臨したと伝えるが,考古学的には肯定できない。「記紀」にみえる熊襲 (くまそ) の居住地であったとみられる。日向という地名は,古くは,のちの薩摩,大隅をも含む南九州の総称として用いられた時代もあったらしい。『続日本紀』和銅6 (713) 年4月の条には当国の4郡をさいて大隅国をおくとある。国府,国分寺ともに西都市三宅。『延喜式』には臼杵 (うすき) ,児湯 (こゆ) ,宮崎などの5郡,『和名抄』では 28郷,田 4800町を載せている。鎌倉時代初期,建久8 (1197) 年の『建久図田帳』には 8064町の田を載せているが,その大部分は荘園であり,特に近衛家の島津荘,宇佐八幡宮領,八条女院領国富荘はそれぞれ 1000町をこえる大規模なものであった。鎌倉時代の守護としては初め島津氏が任じられたが,中期以降には北条氏がこれに代った。南北朝時代には畠山氏,一色氏が守護に任じられたが,室町時代には再び島津氏の支配が続いた。その後地頭から台頭した伊東氏が勢力を有したが,やがて豊臣秀吉の勢力のもとに島津氏も屈した。江戸時代には佐土原に島津氏,高鍋に秋月氏,延岡に内藤氏,飫肥 (おび) に伊東氏,宇土に細川氏が封じられて,幕末にいたった。明治4 (1871) 年の廃藩置県後,美々津県,都城県となり,1873年宮崎県に統合された。その後,76年鹿児島県に併合,83年宮崎県を分置した。





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