日本プロ野球名球会
日本プロ野球名球会 | |
---|---|
正式名称 | 一般社団法人日本プロ野球名球会 |
日本語名称 | 日本プロ野球名球会 |
英語名称 | Golden Players Club |
略称 | 名球会、GPC |
組織形態 | 一般社団法人 |
所在地 |
日本 東京都中央区京橋 |
理事長 | 山本浩二 |
目的 | 社会の恵まれない人達への還元と日本プロ野球界の底辺拡大 |
活動内容 | 野球普及/青少年育成 |
活動領域 | 日本・アジア |
設立年月日 | 2010年10月15日 |
ウェブサイト | http://meikyu-kai.org/ |
一般社団法人日本プロ野球名球会(にっぽんプロやきゅうめいきゅうかい、英名: Golden Players Club)は、日本のプロ野球でプレーした選手および元選手による法人格をもった団体である。通称:名球会(めいきゅうかい)。現在の理事長は山本浩二、顧問は長嶋茂雄と王貞治。
1978年7月24日に設立された。当初の入会条件の中に昭和生まれであることが規定されていたため「昭和名球会(しょうわめいきゅうかい)」とも呼ばれていたが、現在は記録と実績で入会資格の条件を満たせば平成生まれも入会が認められる。1926年12月24日(大正15年12月24日)以前に生まれた元選手は入会が認められない。
2009年11月に金田正一が代表から退き、金田のワンマン運営と金銭関係の不透明さに不満を感じた一部会員のクーデターと報じられた[1]。金田の退陣後、名球会事務所は金田の個人事務所「カネダ企画」内から東京都中央区京橋のビルに移転した[2]。
Contents
概要
1978年7月24日に、任意団体として発足。発足時の会員は18名。投手は稲尾和久、梶本隆夫、金田正一、小山正明、鈴木啓示、皆川睦雄、村山実、米田哲也。野手は江藤慎一、榎本喜八、王貞治、高木守道、土井正博、長嶋茂雄、野村克也、張本勲、広瀬叔功、山内一弘。その後1981年9月8日、税法上の理由から株式会社として法人化し、「株式会社日本プロ野球名球会」に改組(代表取締役は金田正一、取締役は王貞治、長嶋茂雄)。その後2010年10月15日に一般社団法人として現組織を設立(理事長は王貞治、副理事長は柴田勲、理事は鈴木啓示、長嶋茂雄、東尾修、山田久志、山本浩二)。株式会社としての法人は、2011年2月12日の株主総会で解散した[3]。2014年12月、新理事長に山本浩二、副理事長に柴田勲と古田敦也、顧問に長嶋茂雄と王貞治の新体制が発足[4]。
「社会の恵まれない人達への還元と日本プロ野球界の底辺拡大に寄与する」ことを目的に、国内外で少年野球指導や支援をはじめとする野球の普及促進および社会貢献、講演などに積極的に取り組んでいる。
入会資格
名球会は、以下の入会資格を満たした上で、入会の意思を表示すれば入会が認められる。参加はあくまで任意で、入会するかどうかは本人の意思による。国籍は問わず[5]、入会資格を満たして入会の意思を示せば外国人選手・元選手も入会できる。
2017年現在の入会資格は以下の通りである。
MLBの成績は、NPBの球団に入団する以前の成績は合算されず、NPBの球団を退団して以降の成績は合算される。韓国プロ野球や台湾プロ野球、日米の独立リーグなど、NPB・MLB以外の記録は含まない。
例えば、2012年にアレックス・ラミレスが、2013年にアンドリュー・ジョーンズがそれぞれ日米通算2000安打(正確には米日通算)を記録したが、これらはNPBに入団する以前のMLBの記録を合算したもので、入会資格と認められなかった。ラミレスは2013年にNPB通算2000安打を達成して、外国人選手として初めて入会が認められた。
投手の入会条件は通算200勝もしくは通算250セーブとなっているが、それらの合計が入会資格となることはない。そのため大野豊(148勝138セーブ)、斉藤明夫(128勝133セーブ)、小林雅英(日米通算40勝234セーブ)、斎藤隆(日米通算112勝139セーブ)、藤川球児(日米通算48勝225セーブ、2016年終了時点)、上原浩治(日米通算131勝126セーブ、2016年終了時点)は、勝利数とセーブを合算すると250以上となるが、入会資格は与えられていない。
2010年代半ばに入ってから、特に「通算200勝」の達成が困難と指摘されている[7][8][9]。2018年に「(NPBのみでの)通算200勝は『絶滅危惧種』」と言及する記事が書かれている[10]。
2018年4月、名球会理事長の山本浩二は「通算100勝・通算100ホールド・通算100セーブ」のすべてを達成した投手に名球会への入会資格を与えることが協議されていることを明かした。
入会資格の変遷
1978年の創設当初の入会資格は以下の通りだった。
- NPBの選手または元選手
- 昭和生まれ
- NPBで以下のいずれかを達成
- 通算200勝利以上
- 通算2000安打以上
外国人選手もこの条件を満たして入会の意思を表示すれば入会を認めることを当時から公表していた。
しかし、投手の分業化やメジャーリーグに入る日本人選手が増えたことを受け、2003年12月の総会で、通算250セーブ以上でも入会を認めることと、記録は日米通算(NPBとMLBの成績を合算)とするという入会資格の拡張が決定した。
この規約改正は、MLBに移籍する日本人選手の入会を意図していたが、ウィリー・デービスやリッチ・ゴセージなどMLBで2000安打や250セーブなどを達成したのちに来日した外国人選手も入会資格に合致した。これらの外国人選手は入会の意思表示をせず、特に問題とならなかったが、当初の意図を明確化するために日本プロ野球での記録をスタート地点とするとの条件が2012年に明文化された。そのため、現行の規約では日本プロ野球での成績、所属年数についての規定はないため、アルフォンソ・ソリアーノは、日本では通算2安打ながら広島東洋カープ退団後にMLBで1998安打を記録して2013年に日米通算2000安打を達成し入会資格を得た。ソリアーノ本人も入会に前向きな姿勢を見せている[11]。ソリアーノの扱いに関しては同年12月の総会で話し合われることとなっていたが、2016年12月現在、名球会公式ホームページの会員紹介にソリアーノの名はない。また当初は昭和生まれが条件だったが、平成生まれのプロ野球選手の誕生により、昭和以降生まれという条件も同時に明文化された。
また、プロ野球マスターズリーグが行われていた2007年までは、マスターズリーグでの記録がNPB通算記録と合算され、入会資格を得れば「名誉会員」として会員に準ずる扱いをされると規定されていた。実際にマスターズリーグで99安打を記録しNPBと合算して通算2003安打となった松永浩美が「名誉会員」として表彰されたが、2009年のマスターズリーグ中断や名球会の改組等によりこの規定は消えており、松永の「名誉会員」としての表彰も公式ホームページ上では謳われていない。
現在は物故した会員が事実上の「名誉会員」に分類され、2018年4月末現在で鬼籍に入っている稲尾和久・村山実・梶本隆夫・皆川睦雄・衣笠祥雄・山内一弘・大杉勝男・江藤慎一(順不同)の8名が公式ホームページで「名誉会員」として紹介されている[12]。
この他、THE ALFEEは単独有料コンサート通算2000回達成を記念して、2005年に名球会より特注ブレザーを贈呈されている。野球選手以外で名球会ブレザーが贈呈された例は現在までTHE ALFEEのみである。
会員
新たに入会した選手に、歓迎の意を込めて先輩会員が名球会ブレザーを着せる「名球会ブレザー贈呈式」が行われている。以前は記録達成時の試合終了後に記者会見して行われていたが、現在は試合開始前の連盟表彰時などに行われる。
会員の構成と通算成績は次の通り。備考を除くデータはいずれも2017年シーズン終了時。勝利数及び安打数は入会資格判定に用いられる日本プロ野球での記録をスタート地点とする分のみを表示。最終所属球団はNPB及びMLBの球団のうちでの選手としての最終所属球団(マイナーリーグやその他のリーグの球団を含まない。またイベントのための1日契約などの実働性のない特殊な事例も含まない)。
太字は現役選手。◎は発足時からの会員。△は日米通じての達成者。☆は日本野球殿堂入り。◇は永久欠番保持者。★は名誉会員(故人)。□は現役時代同じ球団に一貫して所属した人物(現役選手も含む)。#はNPBの一軍監督経験者。○は一軍監督としてのリーグ優勝経験者。●は現在NPBに監督またはコーチ(選手兼任含む)として在籍する人物。
投手
- 勝利(資格:通算200勝以上)
選手名 | 投打 | 最終勝数 | 達成日 | 達成時年齢 | 最終所属球団 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
米田哲也 | 右右 | 350 | 1966年8月14日 | 28歳 | 5か月近鉄 | ◎☆ |
小山正明 | 右右 | 320 | 1964年8月13日 | 30歳 | 0か月大洋 | ◎☆ |
鈴木啓示 | 左左 | 317 | 1977年4月26日 | 29歳 | 6か月近鉄 | ◎□☆◇[13]# |
山田久志 | 右右 | 284 | 1982年4月29日 | 33歳 | 9か月阪急 | □☆# |
稲尾和久 | 右右 | 276 | 1962年8月25日 | 25歳 | 2か月西鉄 | ◎□☆◇#★[14] |
梶本隆夫 | 左左 | 254 | 1967年6月6日 | 32歳 | 1か月阪急 | ◎□☆#★[15] |
東尾修 | 右右 | 251 | 1984年9月15日 | 34歳 | 3か月西武 | □☆#○ |
工藤公康 | 左左 | 224 | 2004年8月17日 | 41歳 | 3か月西武 | ☆#○● |
村山実 | 右右 | 222 | 1970年7月7日 | 33歳 | 6か月阪神 | ◎□☆◇#★[16] |
皆川睦雄 | 右右 | 221 | 1968年10月6日 | 33歳 | 3か月南海 | ◎□☆★[17] |
山本昌広 | 左左 | 219 | 2008年8月4日 | 42歳11か月 | 中日 | □ |
村田兆治 | 右右 | 215 | 1989年5月13日 | 39歳 | 5か月ロッテ | □☆ |
北別府学 | 右右 | 213 | 1992年7月16日 | 35歳 | 0か月広島 | □☆ |
江夏豊 | 左左 | 206 | 1982年7月2日 | 34歳 | 1か月西武 | ⏎ |
黒田博樹 | 右右 | 203 (日124/米79) |
2016年7月23日 | 41歳 | 5か月広島 | △◇ |
平松政次 | 右右 | 201 | 1983年10月21日 | 36歳 | 1か月大洋 | □☆ |
野茂英雄 | 右右 | 201 (日78/米123) |
2005年6月15日 | 36歳 | 9か月ロイヤルズ | △☆ |
- 救援(資格:通算250セーブ以上)
選手名 | 投打 | 最終セーブ数 | 達成日 | 達成時年齢 | 最終所属球団 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
岩瀬仁紀 | 左左 | 404 | 2010年6月16日 | 35歳 | 7か月中日 | □ |
佐々木主浩 | 右右 | 381 (日252/米129) |
2000年7月16日 | 32歳 | 4か月横浜 | △☆ |
高津臣吾 | 右右 | 313 (日286/米27) |
2003年8月16日 | 34歳 | 8か月ヤクルト | △◇● |
野手
- 安打(資格:通算2000安打以上)
選手名 | 投打 | 通算安打数 | 達成日 | 達成時年齢 | 最終所属球団 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
鈴木一朗 (イチロー) |
右左 | 4358 (日1278/米3080) |
2004年5月21日 | 30歳 | 6か月マリナーズ | △ |
張本勲[18] | 左左 | 3085 | 1972年8月19日 | 32歳 | 2か月ロッテ | ◎☆ |
野村克也 | 右右 | 2901 | 1970年10月18日 | 35歳 | 3か月西武 | ◎☆#○ |
王貞治 | 左左 | 2786 | 1974年8月4日 | 34歳 | 2か月巨人 | ◎□☆◇#○ |
松井稼頭央[19] | 右両 | 2699 (日2084/米615) |
2009年8月15日 | 33歳 | 9か月西武 | △● |
松井秀喜 | 右左 | 2643 (日1390/米1253) |
2007年5月 | 6日32歳10か月 | レイズ | △☆ |
門田博光 | 左左 | 2566 | 1987年8月26日 | 39歳 | 6か月ダイエー | ☆ |
衣笠祥雄 | 右右 | 2543 | 1983年8月9日 | 36歳 | 6か月広島 | □☆◇★[20] |
福本豊 | 左左 | 2543 | 1983年9月 | 1日35歳 | 9か月阪急 | □☆ |
金本知憲 | 右左 | 2539 | 2008年4月12日 | 40歳 | 0か月阪神 | #●☆ |
立浪和義 | 右左 | 2480 | 2003年7月5日 | 33歳10か月 | 中日 | □ |
長嶋茂雄 | 右右 | 2471 | 1971年5月25日 | 35歳 | 3か月巨人 | ◎□☆◇#○ |
土井正博 | 右右 | 2452 | 1977年7月5日 | 33歳 | 6か月西武 | ◎● |
石井琢朗[21] | 右左 | 2432 | 2006年5月11日 | 35歳 | 8か月広島 | ● |
山本浩二[22] | 右右 | 2339 | 1984年5月5日 | 37歳 | 6か月広島 | □☆◇# |
高木守道 | 右右 | 2274 | 1978年4月5日 | 36歳 | 8か月中日 | ◎□☆# |
山内一弘 | 右右 | 2271 | 1967年10月14日 | 35歳 | 5か月広島 | ◎☆#★[23] |
井口資仁[24] | 右右 | 2254 (日1760/米494) |
2013年7月26日 | 38歳 | 7か月ロッテ | △#● |
大杉勝男 | 右右 | 2228 | 1981年7月21日 | 36歳 | 4か月ヤクルト | ☆★[25] |
大島康徳 | 右右 | 2204 | 1990年8月21日 | 39歳10か月 | 日本ハム | # |
福留孝介 | 右左 | 2190 (日1692/米498) |
2016年6月25日 | 39歳 | 1か月阪神 | △ |
新井貴浩 | 右右 | 2178 | 2016年4月26日 | 39歳 | 2か月広島 | |
若松勉 | 右左 | 2173 | 1985年10月9日 | 38歳 | 5か月ヤクルト | □☆#○ |
稲葉篤紀 | 左左 | 2167 | 2012年4月28日 | 39歳 | 8か月日本ハム | |
広瀬叔功 | 右右 | 2157 | 1972年7月1日 | 35歳10か月 | 南海 | ◎□☆# |
秋山幸二 | 右右 | 2157 | 2000年8月18日 | 38歳 | 4か月ダイエー | ☆#○ |
宮本慎也 | 右右 | 2133 | 2012年5月4日 | 41歳 | 5か月ヤクルト | □● |
清原和博 | 右右 | 2122 | 2004年6月4日 | 36歳 | 9か月オリックス | |
小笠原道大 | 右左 | 2120 | 2011年5月5日 | 37歳 | 6か月中日 | ● |
前田智徳 | 右左 | 2119 | 2007年9月1日 | 36歳 | 2か月広島 | □ |
谷繁元信 | 右右 | 2108 | 2013年5月6日 | 42歳 | 5か月中日 | # |
中村紀洋 | 右右 | 2106 (日2101/米5) |
2013年5月1日 | 39歳 | 9か月DeNA | △ |
古田敦也 | 右右 | 2097 | 2005年4月24日 | 39歳 | 8か月ヤクルト | □☆# |
松原誠 | 右右 | 2095 | 1980年4月23日 | 36歳 | 3か月巨人 | |
山崎裕之 | 右右 | 2081 | 1983年9月18日 | 37歳 | 8か月西武 | |
藤田平 | 右左 | 2064 | 1983年5月3日 | 35歳 | 6か月阪神 | □# |
青木宣親 | 右左 | 2058 (日1284/米774) |
2017年6月11日 | 35歳 | 5か月ヤクルト | △ |
有藤通世 | 右右 | 2057 | 1985年 | 7月11日38歳 | 6か月ロッテ | □# |
江藤慎一 | 右右 | 2057 | 1975年9月6日 | 37歳11か月 | ロッテ | ◎☆#★[26] |
加藤秀司 | 左左 | 2055 | 1987年5月7日 | 38歳11か月 | 南海 | |
和田一浩 | 右右 | 2050 | 2015年6月11日 | 42歳11か月 | 中日 | |
小久保裕紀 | 右右 | 2041 | 2012年6月24日 | 40歳 | 8か月ソフトバンク | |
新井宏昌 | 右左 | 2038 | 1992年7月8日 | 40歳 | 2か月近鉄 | |
阿部慎之助 | 右左 | 2036 | 2017年8月13日 | 38歳 | 4か月巨人 | □ |
荒木雅博 | 右右[27] | 2023 | 2017年6月3日 | 39歳 | 8か月中日 | □ |
野村謙二郎 | 右左[27] | 2020 | 2005年6月23日 | 38歳 | 9か月広島 | □# |
柴田勲 | 右両 | 2018 | 1980年8月7日 | 36歳 | 5か月巨人 | □ |
アレックス・ラミレス | 右右 | 2017[28] | 2013年4月6日 | 38歳 | 6か月DeNA | #● |
鳥谷敬 | 右左 | 2015 | 2017年9月8日 | 36歳 | 2か月阪神 | □ |
田中幸雄 | 右右 | 2012 | 2007年5月17日 | 39歳 | 5か月日本ハム | □ |
駒田徳広 | 左左 | 2006 | 2000年9月6日 | 37歳11か月 | 横浜 |
退会者
- 投手(通算200勝以上)
選手名 | 投打 | 最終勝数 | 達成日 | 達成時年齢 | 最終所属球団 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
金田正一 | 左左 | 400 | 1958年6月6日 | 24歳10か月 | 巨人 | ☆◎◇#○ |
堀内恒夫 | 右右 | 203 | 1980年6月2日 | 32歳 | 4か月巨人 | □☆# |
- 野手(通算2000安打以上)
選手名 | 投打 | 最終安打数 | 達成日 | 達成時年齢 | 最終所属球団 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
榎本喜八[29] | 左左 | 2314 | 1968年7月21日 | 31歳 | 7か月西鉄 | ◎□☆ |
谷沢健一 | 左左 | 2062 | 1985年10月23日 | 38歳 | 1か月中日 | □ |
入会資格を有する未入会者
- 野手(通算2000安打以上)
選手名 | 投打 | 最終安打数 | 達成日 | 達成時年齢 | 最終所属球団 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
落合博満 | 右右 | 2371 | 1995年4月15日 | 41歳 | 4か月日本ハム | ☆#○ |
アルフォンソ・ソリアーノ | 右右 | 2097 (日2/米2095) |
2013年8月7日 | 37歳 | 7か月ヤンキース | △ |
2018年度入会資格到達者
- 野手(通算2000安打以上)
選手名 | 投打 | 開幕前時点の安打数 | 達成日 | 達成時年齢 | 現在の所属球団 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
内川聖一 | 右右 | 1975 | 2018年5月9日 | 35歳 | 9か月ソフトバンク |
活動
1978年の設立以来の「社会の恵まれない人達への還元とプロ野球の底辺拡大に寄与する」という目的に向かって、「野球振興」と「社会貢献」という2つの分野において、継続した活動とともに社会情勢に対応した新しい活動に積極的に取り組んでいる。
野球振興
「プロ野球の底辺拡大に寄与する」ことを目的とする分野では、子どもの頃から野球に親しみ自らプレーを楽しむ人々を増やし、プロ野球ファンの拡大と惹いてはプロ野球選手を目指す人々のモチベーションアップに繋がるべく、会員の影響力が強くおよぶ少年野球への指導・支援に力を入れている。
全国各地で、自治体、教育委員会、少年野球チーム、企業などからの依頼に応じて、まず野球に興味を持ってもらうために、野球に親しみ体験できる「名球会ベースボールフェスティバル」を行っている。そこでは、会員が体験指導する投球や打撃、守備に真剣に向き合っている子どもとともに、応援にきた兄弟、両親、祖父母が、それぞれの時代のヒーローに会える場としても楽しまれている。野球がうまくなりたい少年少女に、会員が直接指導する「名球会野球教室」が行われている。そこでは、投球、打撃、守備のエキスパートが、子ども一人ひとりに声をかけ、コミュニケーションをとりながら指導が行われている。最近では、グローバル化の進展にともない、海外で野球を楽しみ普及活動をしている方々からの依頼もあり、現在はアジアの国々(台湾、韓国、フィリピン)に会員が出向いて、現地で少年少女への指導・支援も行われている。このほかにも、「名球会杯」と名前の入った少年野球大会の開催支援や野球用具の不足している地域の子ども達への用具の寄贈。また、グランド以外でも児童生徒、少年野球チーム、少年刑務所受刑者などの方々へ、会員自らの経験にもとづいた講演を行い夢にチャレンジする勇気を伝えている。
社会貢献
「社会の恵まれない人達への還元」を目的とする分野では、誰もが安全に安心して野球を楽しめる、よりよい社会づくりへの貢献を目指し、社会的弱者の方々への支援活動を中心にしながら更に幅を拡げた活動を行っている。
設立当初より、名球会と会員の抜群の知名度を活かして、チャリティイベントを行い、集められた浄財を寄付している。よく知られているイベントとしては、年末テレビでも放送される「名球会チャリティゴルフ大会」があり、そこで集められた浄財は地元の社会事業団へ寄付されている。最近では、2011年3月11日に起きた東日本大震災の被災者支援のためのトークショーや講演会を開催し募金活動を行っている。これら以外にも多くのチャリティイベントを行い、点字図書館や日本赤十字社などへの寄付活動を継続的に行っている。直接的な支援活動として、2012年5月から、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の被災者の暮らす仮設住宅を会員が訪ね、交流を図る“心のケアー”活動を国連の友Asia-Pacificと共同で継続して行っている。2012年7月に、国際親善という観点から韓国において、韓国プロ野球OB会「一球会」と共同で、聴力障害を持つ少年達への野球クリニックと日・韓プロ野球レジェンドマッチを行い韓国の野球ファンを楽しませている。また、記念事業や研修時の要望に応じ、地域住民、自衛隊員、企業人の方々へ、選手、監督として経験した記録や勝負、采配にまつわる話など多くの講演を行い教訓を伝えている。
脚注
- ↑ “カネやんを追い落とした名球会“クーデター”の裏側”. 夕刊フジ (2009年12月4日). 2010年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2016年12月26日閲覧.
- ↑ 「週刊ポスト」2009年12月4日号掲載記事(34-38ページ)では、11月12日に旧事務所からの移転作業を開始したこと、および、11月15日に会員や関係者へ移転通知が届けられたことを報じた。
- ↑ 2011年(平成23年)3月7日『官報』号外第44号87ページ「解散公告」
- ↑ “名球会 新理事長に山本浩二氏「国内で全員が参加する野球教室を」”. スポーツニッポン (2014年12月18日). . 2016年12月26日閲覧.
- ↑ 名球会創設時の会員に、王貞治や張本勲など日本国籍を有さない者がいる。
- ↑ “名球会ブレザー授与式|名球会とは|日本プロ野球名球会公式ホームページ”. . 2013年10月17日閲覧.
- ↑ “2000安打より200勝が難しすぎ! エース級のMLB流出で絶滅の危機。”. Number Web. . 2018閲覧.
- ↑ “神の領域?NPB通算200勝は達成可能なのか”. SPAIA. . 2018閲覧.
- ↑ “投手には厳しすぎ?名球会の入会資格は妥当といえるか”. Basseball Crix. . 2018閲覧.
- ↑ “現役最多はヤクルト石川の158勝 今やNPB通算200勝投手は“絶滅危惧種“”. Full-Count. . 2018閲覧.
- ↑ “ソリアーノ、名球会入り「喜んで」日米2000H”. サンケイスポーツ (2013年8月9日). . 2013閲覧.
- ↑ “名誉会員|会員選手名鑑|日本プロ野球名球会公式ホームページ”. . 2018閲覧.
- ↑ 近鉄球団がオリックスへの統合で消滅した際、本人の申し出もあり、永久欠番は失効している。
- ↑ 2007年11月13日、悪性腫瘍のため70歳で死去。
- ↑ 2006年9月23日、呼吸器不全のため71歳で死去。
- ↑ 1998年8月22日、直腸癌のため61歳で死去。
- ↑ 2005年2月6日、敗血症のため69歳で死去。
- ↑ 本名は韓国名の「張 勲(チャン・フン)」だが、日本名かつ登録名の「張本勲」で登録されている。
- ↑ 本名は「和夫」だが、登録名の「稼頭央」で登録されている。
- ↑ 2018年4月23日、上行結腸癌のため71歳で死去。
- ↑ 本名は「忠徳」だが、登録名の「琢朗」で登録されている。
- ↑ 本名は「浩司」だが、登録名の「浩二」で登録されている。
- ↑ 2009年2月2日、肝不全のため76歳で死去。
- ↑ 本名は「忠仁」だが、登録名の「資仁」で登録されている。
- ↑ 1992年4月30日、肝臓癌のため47歳で死去。
- ↑ 2008年2月28日、肝臓癌のため70歳で死去。
- ↑ 27.0 27.1 両打登録の経験あり。
- ↑ 日本球界に入団する以前にMLBで86安打を記録。
- ↑ 2012年3月14日、大腸癌のため75歳で死去。
関連項目
- 500本塁打クラブ
- 3000本安打クラブ
- 300勝クラブ
- 野球殿堂 (日本)
- 日本名輪会 - 競輪版名球会ともいえる組織。
- 日本サッカー名蹴会 - サッカー版名球会ともいえる組織。2010年9月発足。
- プロボクシング・世界チャンピオン会 - ボクシング版名球会ともいえる組織。2010年5月19日に発足。