日立造船

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日立造船株式会社(ひたちぞうせん、英称:Hitachi Zosen Corporation)は、環境装置工場設備産業機械発電設備などを製造している機械・プラントメーカーである。現在の主力事業は環境・プラント事業であり、造船事業は既に行っていない。

概要

商号に「造船」の文字が含まれるが、2002年(平成14年)に日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)との合弁で両社の船舶・海洋部門を切り離して統合した持分法適用会社ユニバーサル造船(現・ジャパン マリンユナイテッド、現在は持分法適用会社ではない)を設立したことで、本社から主要事業だった造船事業を手放した。ただし船舶用のディーゼルエンジンなどの製造は継続している。2006年(平成18年)に子会社の内海造船の株式を売却したことにより2007年(平成19年)度決算から連結決算においても造船事業が無くなった状態になっていたが2009年(平成21年)に再び連結対象になった。

また、かつて日立製作所の傘下にあったために「日立」の名を冠した商号であるが、戦後の財閥解体によって現在では日立グループからは離脱している。もっとも、日立製作所とは完全に絶縁したわけではなく、日立製作所は2009年(平成21年)3月31日時点では日立造船の第9位の大株主でもあり、両社とも旧日産コンツェルン(日産・日立グループ、春光グループ)の主要20社で組織する春光会、及び旧三和銀行(現・三菱UFJ銀行)の融資系列で組織する三水会及びみどり会三和グループ)の会員企業である[1][2]

造船不況の打開策として手掛けた事業の多角化によって、一時期は造船会社のイメージとはかけ離れた杜仲茶の製造や旅行予約ウェブサイト「旅の窓口」の運営を行っていたこともあったが、杜仲茶は小林製薬へ、「旅の窓口」は楽天へ事業売却した。また、子会社に東証二部上場の日立造船富岡機械があったが、今後の事業展開が見込めないとして2004年(平成16年)に通常清算(経営破綻していない会社の資産を売却し残余金を株主に分配し解散させること)している。上場会社の通常清算はきわめて珍しいケースである。

株式は、東京証券取引所に上場しており(証券コード:7004)、日経平均株価採用銘柄の1つである。

沿革

明治・大正

ファイル:Edward Hazlett Hunter.jpg
創業者E.H.ハンター
  • 1881年(明治14年)4月1日 - イギリス実業家E.H.ハンターにより、大阪鐵工所Osaka Iron Works)として創業。
  • 1900年(明治33年)4月 - 桜島工場が操業開始。
  • 1907年(明治40年) - 日本初の洋式捕鯨船「第二捕鯨丸」を建造。
  • 1908年(明治41年) - 日本初のタンカー虎丸」を建造。(スタンダード石油向け)
  • 1911年(明治44年)9月 - 因島船渠株式会社を買収し、因島工場とする。
  • 1914年(大正3年)3月 - 株式会社大阪鐵工所に改組。代表者は、E.H.ハンターの子である範多龍太郎
  • 1920年(大正9年)12月 - 株式会社田原造船所より築港工場を買収。
  • 1924年(大正13年)6月 - 彦島船渠株式会社を買収し、彦島工場とする。

昭和

  • 1927年(昭和2年) - 堂島大橋(大阪市)を建設。
  • 1930年(昭和5年) - 日本郵船向け氷川丸型貨客船「平安丸」を建造。
  • 1934年(昭和9年)
    • 5月29日 - 現在の日立造船となる存続会社にあたる株式会社日本産業大阪鐵工所が新たに発足。
    • 7月1日 - 株式会社大阪鐵工所は日本産業に吸収され解散。
    • 8月1日 - 日本産業大阪鐵工所が株式会社大阪鐵工所に社名変更。
  • 1936年(昭和11年)3月23日 - 大阪鐵工所の全株式を日立製作所が取得し、同社の傘下に入る。
  • 1943年(昭和18年)
    • 3月11日 - 「主力を造船に注ぐため従来の名称ではあらゆる部面で不完全であり、また日立系の旗幟を明確にする」という理由から、日立造船株式会社に社名変更。
    • 9月 - 向島船渠株式会社と原田造船株式会社を合併し、向島工場・大浪工場とする。
    • 12月 - 彦島工場を三菱重工業に譲渡。
  • 1944年(昭和19年)
    • 6月 - 神奈川造船所(後の神奈川工場)操業開始。
    • 9月 - ミツワ製材工業株式会社を買収し、小林工場とする。
  • 1945年(昭和20年)3月 - 大淀工場操業開始。
  • 1946年(昭和21年)12月7日 - 財閥解体の第2次指定に該当。日立製作所グループから離脱。
  • 1949年(昭和24年)
    • 5月 - 東京・大阪証券取引所に株式上場。
    • 9月 - 大浪工場閉鎖。
  • 1950年(昭和25年)9月 - 小林工場閉鎖。
  • 1951年(昭和26年)1月 - 大淀工場閉鎖。
  • 1963年(昭和38年) - 飯野重工業(旧・舞鶴海軍工廠)を傘下とし、舞鶴重工業とする。
  • 1965年(昭和40年)
    • 日付不明 - 東洋運搬機(現在のロジスネクストユニキャリア)に資本参加(ただし、その後2003年(平成15年)に日立建機ローダ(日立建機の子会社)へ持株を譲渡し、現在は資本参加していない)。
    • 7月 - 堺工場が操業開始。
  • 1966年(昭和41年) - 桜島工場の造船事業を廃止、機械工場に特化。
  • 1971年(昭和46年)4月 - 舞鶴重工業を合併し、日立造船舞鶴工場として発足。
  • 1973年(昭和48年)4月 - 有明工場が操業開始。
  • 1986年(昭和61年)7月 - 築港工場閉鎖。
  • 1987年(昭和62年)1月 - 堺工場閉鎖。

平成

事業拠点

創業以来の拠点であった桜島工場(大阪市此花区)は、1997年(平成9年)に閉鎖された後、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン™の敷地として使用されている。

主要製品

  • 発電設備付き機械式ごみ焼却炉
  • フラップゲート式可動防波堤
  • 橋梁
  • シールド掘進機
  • LaRWS(ラーズ)工法用プラント
  • 水処理システム

戦前建造された主な艦艇・船舶

  • 小艦艇を中心に受注した。

桜島工場

戦後建造された主な艦艇・船舶

日立造船系列

Hitz日立造船グループ

環境事業グループ

機械事業グループ

社会インフラ事業グループ

その他

脚注・出典

  1. 六大企業集団の無機能化 - 同志社大学学術情報検索システム内にあるPDFファイル。筆者は経済学者の田中彰。
  2. メンバー会社一覧 - みどり会

関連項目

外部リンク