柳橋 (台東区)

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柳橋
—  町丁  —
柳橋の位置
柳橋
柳橋の位置
座標: 東経139度47分13.3秒北緯35.6963583度 東経139.787028度35.6963583; 139.787028
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 25px 台東区
地域 浅草地域
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 - 計 3,053人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 111-0052[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 足立

柳橋(やなぎばし)は、東京都台東区町名。現行行政地名は柳橋一丁目及び柳橋二丁目。郵便番号は111-0052[2]

地理

台東区の南端に位置する。北で蔵前、東で隅田川を跨いで墨田区横網両国、南で中央区東日本橋日本橋馬喰町、西で浅草橋と接する。沖積平野にあたり地形は平坦であり、東を隅田川、南を神田川が流れる。墨田区側には鉄道橋総武線隅田川橋梁)以外に直接渡る手段がない。南西に一丁目、北東に二丁目が配される。国道6号沿いにあたり、主に商業地として利用される。

河川

歴史

柳橋は1630年江戸時代徳川幕府が設置した米蔵「浅草御蔵」の一部として指定されており、現在の柳橋2丁目には三河岡崎藩邸や信濃上田藩邸などの武家屋敷が置かれており官有地となっていた。浅草御蔵は隅田川の西岸、神田川北側の一画に、南は現在の柳橋2丁目より、北は蔵前3丁目にかけて位置していた[4]。浅草御蔵は幕府の米蔵であり、地租が金納となったのちは米廩(べいりん)、または米蔵と呼ばれ、1878年明治11年)以降は大蔵省内において大阪など全国の米蔵を掌握し、米価の調節など貯蓄米にかかわる事務を行った常平局が管理し、浅草御蔵の地に本局をおいた。柳橋1丁目は浅草旅籠町などが中心に江戸前料亭が軒を連ね、特に柳橋芸妓で知られた。

関東大震災後の復興区画整理にともない、1934年昭和9年)に町名が変更され、従前の下平右衛門町の大部分・新森田町・新片町・旅籠町の大部分が浅草区柳橋1丁目、旅籠町の一部・旅籠町2丁目・瓦町東部・須賀町東部・御蔵前片町東部が浅草区柳橋2丁目となった。1947年昭和22年)3月15日下谷区と浅草区が合併し台東区柳橋1丁目及び2丁目となり、1964年(昭和39年)に住居表示が実施され現行の柳橋1丁目・2丁目となっている。

旧町名

  • 浅草新森田町
松平市正邸跡であった。享保3年、蔵前の森田町が延焼し、御蔵火除地として一部公収された関係で翌年ここに代地を給された。そこで森田町代地といった。町屋は代地となって以来開かれた。その後明治2年、森田町代地が改められ新森田町となった。 
  • 浅草新片町
江戸時代御蔵前片町代地と言った。享保3年12月上野からの出火で蔵前通りの片側町屋も延焼した。その際一部が上地された。翌年に松平市正邸跡のこの地に代地を給された。ついで文化9年隅田川の河岸地を合わせ、明治2年浅草新片町に至った。新片町にはかつて島崎藤村が住んだ。彼の著作「新片町だより」は本町を題材にしている。
  • 浅草旅籠町
元禄元年以前から存在し1丁目と2丁目に分かれていた。寛文図では幕府米蔵の北西部と奥州街道との間に「はたこ丁」と記入されている。町名の由来は奥州街道の地で旅館街で賑わったことに因んだらしい。

地名の由来

名称は神田川隅田川の合流点近くに「柳橋」と称する橋があったのにちなんだ。

世帯数と人口

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
柳橋一丁目 693世帯 1,124人
柳橋二丁目 1,227世帯 1,929人
1,920世帯 3,053人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

丁目 番地 小学校 中学校
柳橋一丁目 全域 台東区立台東育英小学校 台東区立浅草中学校
柳橋二丁目 全域

交通

鉄道

道路

脚注

  1. 1.0 1.1 町丁名別世帯・人口数”. 台東区 (2017年12月5日). . 2017閲覧.
  2. 2.0 2.1 郵便番号”. 日本郵便. . 2017閲覧.
  3. 市外局番の一覧”. 総務省. . 2017閲覧.
  4. 敷地はおよそ3万6000坪で東京ドーム2個分の敷地。
  5. 区立小学校・中学校の通学区域”. 台東区 (2016年9月5日). . 2017閲覧.

関連項目

  • 柳橋 (花街) - 江戸時代から20世紀末までの花街。隅田川の船遊び客の船宿が多く花街として新橋と共に江戸・東京を代表する場所になった。柳橋芸者は遊女と違い唄や踊りで立つ事を誇りとし、プライドが高かったと言われている。
  • 柳橋 (神田川) - 神田川隅田川に流入する河口部に位置する第一橋梁で、その起源は江戸中期、当時は下柳原同朋町(中央区)と対岸の下平右衛門町(台東区)とは渡船で往来していたものの不便な為元禄10年(1697年)に架橋を願い出て許可され翌11年に完成。明治20年(1887年)に鋼鉄橋になり、その後の関東大震災にて焼失したため震災復興事業として昭和4年(1929年)に現在の橋が完成。永代橋のデザインを取り入れたといわれている。平成11年に中央区区民有形文化財として登録。
  • 柳橋

外部リンク