横綱審議委員会

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横綱審議委員会(よこづなしんぎいいんかい)は、日本相撲協会理事長の諮問機関。略して横審(よこしん)と呼ばれる。

概要

設立のきっかけは、1950年1月場所、3日目までに東冨士照國羽黒山の3横綱が途中休場したため横綱の格下げが論議され、場所中に協会は「2場所連続休場、負越しの場合は大関に転落」と決定、発表した。しかし、粗製濫造した協会が悪いと世間の反発をくらい、決定を取り消すことになった(ただし、東富士・照國・羽黒山はいずれもこの時点ですでに一時代を築いた名横綱で、彼らの昇進自体が不当だったとする見解は存在しない)。そこで、横綱の権威を保つためにも横綱免許の家元である吉田司家ではなく、相撲に造詣が深い有識者によって横綱を推薦してもらおうということとなり、1950年4月21日に横綱審議委員会が発足した。初代委員長は好角家として有名だった元伯爵貴族院議員の酒井忠正

委員会は相撲を最も愛好し、相撲に深い理解を有する各方面の良識者をもって構成される、とされ[1]、その委員は好角家・有識者のうちから協会が委嘱する[2]。なお協会員は委員となることはできない[3]。現在の委員の定数は7名以上15名以内、任期は1期2年、最長で5期10年まで。委員長は、委員の互選によって選出する[4]。委員長の任期は1期2年、最長で2期4年まで。過去の委員は新聞社の社長やNHK会長など、マスコミのトップが多い。これは八百長問題など大相撲に批判的な報道を封じ込める作戦であるとしてしばしば批判の対象となっている。

委員就任に対する報酬はなく、定例会や稽古総見、場所総見後に食事の接待ぐらい。稽古総見以外での観覧は各自切符を購入する。国技館では正面審判長のすぐ後ろに溜席があるため、テレビ放送にしばしば映る。近年の制度改正により、就任時期にかかわらず委員の改選時期は、委員本人が自己都合により途中退任する場合を除き任期完了となる年の1月であることが明確化されたようである。

定例会

横審の定例会は、毎本場所番付発表後と千秋楽後番付編成会議前に行うとされ[5]、通常毎場所千秋楽の翌日に開催される。協会からの求めに応じて、委員会は横綱推薦、その他横綱に関する諸種の案件につき協会の諮問に答申し、又はその発議に基き進言する[6]。協会員も会議に出席し発言することができ[7]、理事長以下諸役員が出席する。

定例会における最大の議題は、横綱推薦にある。番付編成を所管する審判部が、ある力士を横綱に昇進させたいと判断した場合、理事長は審判部長からの要請を受けて横審に当該力士の横綱推薦について諮問する。横審は諮問を受けて審議し、出席委員の3分の2以上の賛成があれば横綱推薦を理事長に答申する。理事長は答申を受けて臨時理事会を招集し、理事会において横綱昇進について決議し、正式に昇進の可否を決定する。当初、理事会は横審の決議に拘束されないとされていたが、現行規則では理事会は横審の「決議を尊重する」となっている[8]。これまで理事会が横審の答申を覆した例はないため、横審が横綱昇進の事実上の最終審査権を持っていると見られている。

しかしながら、横審が横綱昇進に関する全権を委任されているわけではない。理事長からの諮問がない(=審判部が横綱に昇進させないと判断した)場合、横審は力士の横綱推薦について審議することができない。そのため、横綱昇進に値する成績を残したと見られる力士の横綱昇進が見送られた場合に横審が批判されることがあるが、理事長が諮問をしなければそもそも横審で審議できないのである。

実際に理事長が横綱推薦を諮問しながら、横審により横綱推薦が否決され横綱に昇進できなかったのは次の4例がある。もっとも4人とも、その後の活躍により再度の諮問をうけて全員横綱に昇進している。

  • 1954年(昭和29年)5月場所後の栃錦(すでに4人横綱がいて、「5横綱」は前例がない)
  • 1968年(昭和43年)5月場所後の玉乃島大関昇進後の成績が物足りない)
  • 1969年(昭和44年)11月場所後の北の富士(「稽古嫌い」の評あり)
  • 1994年(平成6年)9月場所後の貴ノ花(7月場所が「優勝に準ずる成績」でない)

横綱力士に対する監視も重要な議題であり、成績不振の横綱に対する勧告として、「激励」「注意」「引退勧告」を行う。また横綱力士以外の事項についても、好角家・有識者の立場から協会や各力士に対して提言をすることが多々ある。2009年に当時の鳴戸親方が弟子の稀勢の里に出稽古を禁止させていることに、澤村田之助が苦言を呈したり[9]千代大海に石橋義夫や内館が引退勧告を行ったり[10][11]している。また、力士による野球賭博問題に関して2010年NHKの生中継中止を「判断ミス」と批判している[12]。なお、野球賭博問題では横審は完全に蚊帳の外に置かれ、改革等の委員会への参加・出席を依頼されることはおろか、意見などを求められることすらなかった。

昭和期には特に議題が無ければ10分程度で定例会が終了することは珍しくなかったが、守屋委員長時代に議論の活性化を目的に定例会に先立ち30分間の「予備会」が導入されている。

稽古総見

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稽古総見での大鵬親方(2011年12月23日撮影)
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横審の稽古総見の模様(2011年12月23日撮影)
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稽古総見での白鵬と雅山の対戦(2011年12月23日撮影)

東京・両国国技館で行われる本場所(初・夏・秋場所)の直前に、横審が主催して関取衆を集めて、稽古の様子を見守る恒例行事である。以前はすべて非公開(報道陣には公開)で春日野部屋(理事長が春日野の時期)や相撲教習所の稽古用土俵で行われていたのを、2000年から夏場所前についてはゴールデンウィークが近く多くのファンが参加しやすいと見込んで、国技館本土俵を使用しての一般公開を開始。NHKによる稽古総見の中継も行われた。2010年からは秋場所・初場所の総見についても同様に公開することになった。各力士にとっても、自身や他の力士の調整状況を本場所直前に確認できる数少ない機会である。

2011年初場所前(2010年12月23日)の稽古総見では、終了後、館内のエントランスホールで見学に訪れたファンとの握手会を開催した。また入口でのクジに当選した入場者には、通常一般のファンが行き来できない花道を通り、行司部屋前で横綱・大関陣からのサイン入り手形贈呈と握手というサービスも実施された。

2011年5月の技量審査場所前(4月29日)という角界が不安定な情勢の中でも公開を続けてきたが、入場者の減少もあり[13]2012年7月15日の理事会で、同年9月場所前の稽古総見を一般公開せず、相撲教習所での実施に戻すことを決定した。協会広報部長の八角は「話し合った結果。違う形でのファンサービスを考えている」とした。[14][15]この時点で次の一般公開開催は未定であったが、翌2013年夏場所前(4月27日)に一般公開を再度実施した。稽古終了後には人気力士との握手会も行われている。

横綱推薦の内規

横綱審議委員会が定める横綱推薦の内規は次の通りである。

  1. 横綱に推薦する力士は品格、力量が抜群であること。
  2. 大関で2場所連続優勝した力士を推薦することを原則とする。
  3. 第2項に準ずる好成績を挙げた力士を推薦する場合は、出席委員の3分の2以上の決議を必要とする。
  4. 品格については、日本相撲協会の確認に基づき審議する。

「品格」については、次の内規を基準として判断する。

  1. 横綱に推薦する力士の品格は、次の事項を基準としてその良否を判断して行う。
    • 相撲に精進する気迫。
    • 地位に対する責任感。
    • 社会に対する責任感。
    • 常識ある生活態度。
    • その他横綱として求められる事項。
  2. 品格の確認は、上記基準につき当該力士の日常生活の観察および師匠の証言等により判断して行う。
  3. 協会は、確認にあたり判断した状況を添えて、委員会に横綱推薦を諮問する。

内規の運用状況

1986年(昭和61年)7月場所後に横綱推薦を答申した第60代横綱・双羽黒が翌年トラブルを起こし、幕内での優勝がないまま廃業したことにより、以降の審判部は横綱推薦の諮問について極めて慎重な姿勢をとるようになった。第63代横綱・旭富士がそれ以前の横綱と比較して高いレベルの成績を挙げ続けながら何度も諮問を見送られ、1990年(平成2年)5月場所、7月場所を連続優勝してようやく横綱昇進を果たしたことが前例となり、旭富士以降第70代横綱・日馬富士までは全て2場所連続優勝の成績で昇進している。この間、連続優勝でなければ諮問さえされず、唯一2場所連続優勝でない成績で諮問された貴ノ花は横審で推薦を否決された。

2014年(平成26年)3月場所後、鶴竜の横綱昇進に際して、優勝同点→優勝と、久しぶりに連続優勝以外での昇進を推薦した。2017年(平成29年)1月場所後の稀勢の里は星2つ差の優勝次点→優勝という、以前なら多数決での否決や諮問見送りにもなりかねない成績にもかかわらず推挙されており、「2場所連続優勝に準じる成績」であっても、そのうちの1場所は優勝していなければならないという新たな基準が事実上確立したのではないかとみられている。

しかし、外国人大関に対しては賜杯を獲得できたとしても粗捜しをして「もっと高いレベルでの優勝」などと無理難題を突き付ける発言も問題視されている。日馬富士は2009年(平成21年)5月場所で14勝1敗、しかも白鵬を優勝決定戦で破り、14日目には朝青龍に勝っているにもかかわらず、立合いの変化を糾弾された末次の名古屋場所で14勝以上の優勝と相撲内容の充実を絶対条件とした。その名古屋場所では9勝6敗と期待に応えられず、昇進を勝ち得るのは昭和以降の大関史上3人目となる2場所連続全勝を果たした2012年(平成24年)秋場所後と、3年も遅れる結果になった。

琴欧洲については、2008年5月場所で日馬富士と同じ14勝1敗で優勝したにもかかわらず、やはり過去2場所の成績を批判し、「高いレベルでの優勝(このときは相撲内容が低ければ13勝で優勝しても横綱昇進は見送ると付け足している)」が条件だと厳しく指摘した[16]。なお、琴欧洲は次の7月場所は9勝6敗、9月場所・11月場所はともに8勝7敗に終わって綱とりを果たすことはできなかった。

逆に日本人大関には、「次の場所は優勝せずとも、勝利数次第では昇進の話が出てくる」など大きく内容が異なる(魁皇栃東等)。このような背景から、外国人に比べ日本人が優遇されていることへの一般のファンからの疑問[17]も存在する。

歴代委員長

代目 氏 名 在任期間
初代 酒井忠正 1950年5月 - 1969年1月
2代 舟橋聖一 1969年1月 - 1976年1月
3代 石井光次郎 1976年1月 - 1981年9月
4代 高橋義孝 1981年10月 - 1990年10月
5代 上田英雄 1990年11月 - 1993年5月
6代 渡辺誠毅 1993年7月 - 1997年1月
7代 坂本朝一 1997年1月 - 1999年1月
8代 一力一夫 1999年3月 - 2001年1月
9代 渡邉恒雄 2001年1月 - 2003年1月
10代 石橋義夫 2003年1月 - 2007年1月
11代 海老沢勝二 2007年1月 - 2009年1月
12代 鶴田卓彦 2009年1月 - 2013年1月
13代 内山斉 2013年1月 - 2015年1月
14代 守屋秀繁 2015年1月 - 2017年1月
15代 北村正任 2017年1月 -

歴代委員長の職歴

職 歴 人 数 氏 名
メディア 9人 石井光次郎(朝日新聞社)、渡辺誠毅(朝日新聞社)、坂本朝一(NHK)、一力一夫(河北新報社)、渡邉恒雄(読売新聞社)、
海老沢勝二(NHK)、鶴田卓彦(日本経済新聞社)、内山斉(読売新聞社)、北村正任(毎日新聞社)
学者 3人 高橋義孝(ドイツ文学者)、上田英雄(医学者)、守屋秀繁(医学者)
小説家 1人 舟橋聖一
その他 2人 酒井忠正(貴族院議員)、石橋義夫(共立女子学園長)

現任委員

2017年1月現在、9名。

氏 名 役 職 就任年月
岡本昭 岡安証券最高顧問 2010年3月
勝野義孝 弁護士 2013年3月25日
北村正任 毎日新聞社会長 2009年1月
高村正彦 政治家自由民主党副総裁 2013年3月25日
杉田亮毅 日本経済新聞社社長 2013年3月25日
都倉俊一 作曲家日本音楽著作権協会会長 2015年3月23日
宮田亮平 東京芸術大学学長 2010年3月
矢野弘典 中日本高速道路顧問 2012年7月
山内昌之 東京大学名誉教授 2015年3月23日

過去の委員

  • 五十音順
氏 名 役 職 在任期間 備 考
東龍太郎 茨城大学学長 1956年2月 - 1958年5月 東京都知事選に立候補のため辞任。
阿部真之助 毎日新聞主筆 1950年5月 - 1964年7月
池田弥三郎 慶大教授 1977年7月 - 1982年7月
石井鶴三 画家 1950年5月 - 1973年3月
石井光次郎 衆議院議長 1950年5月 - 1981年9月 3代委員長
石橋義夫 共立女子学園理事長 2000年9月 - 2010年1月 10代委員長
一力一夫 河北新報社社主会長 1988年 - 2001年1月 8代委員長
井手正敬 JR西日本会長 2005年3月 - 2010年3月 JR福知山線脱線事故による強制起訴決定に
合わせて辞任。
稲葉修 法相、元衆議院議員 1973年5月 - 1992年8月
(在任中死去)
双羽黒の横綱昇進に最後まで反対
上田英雄 東大医学部教授 1966年1月 - 1993年10月 5代委員長
内館牧子 脚本家小説家 2000年9月 - 2010年1月 女性唯一の横綱審議委員経験者
在任中朝青龍に手厳しく対処
内山斉 読売新聞グループ本社社長 2005年5月 - 2015年1月 13代委員長
海老沢勝二 NHK会長 1999年5月 - 2009年1月 11代委員長
大島寅夫 中日新聞社代表取締役社長 2007年3月 - 2017年1月
大島宏彦 中日新聞社社長 1997年3月 - 2007年1月
小笠原道生 文部省厚生振興会会長 1950年5月 - 1955年11月
尾崎士郎 作家 1950年5月 - 1964年2月
加藤巳一郎 元中日新聞社社長 1988年3月 - 1995年6月
狩野近雄 スポーツニッポン新聞社社長 1976年1月 - 1977年3月
川崎春彦 日本画家 1990年 - 2003年
児島襄 作家、戦史研究家 1987年3月 - 1999年9月 在任中「文藝春秋」に「外人横綱反対」を寄稿
酒井忠正 農相、元貴族院議員 1950年5月 - 1969年1月 初代委員長
坂本朝一 元NHK会長 1982年4月 - 7代委員長
六代目澤村田之助 歌舞伎俳優、人間国宝 2003年7月 - 2013年1月
鈴木俊一 東京都知事 1986年6月 - 1999年1月
鈴木勝 日大総長 1976年1月 - 1987年8月
高橋義孝 ドイツ文学者 1964年5月 - 1990年10月 4代委員長
田崎勇三 医学博士 1958年5月 - 1963年5月
辰野隆 東大名誉教授 1950年5月 - 1964年2月
鶴田卓彦 日本経済新聞社相談役 2003年3月 - 2013年1月 12代委員長
成瀬無極 京都大学文学部長 1950年5月 - 1958年1月
西野忠次郎 慶大医学部教授 1950年5月 - 1958年5月
野間省一 講談社社長 1969年1月 - 1979年5月
平井義一 元衆議院議員
平岡敏男 毎日新聞社社長 1980年1月 - 1986年8月
福地茂雄 日本放送協会会長 2009年3月 - 2010年8月
舟橋聖一 作家 1950年5月 - 1976年1月 2代委員長
船村徹 作曲家 2003年5月 - 2013年1月
前田和三郎 慶大名誉教授 1959年1月 - 1979年8月
松家里明 日本弁護士連合会副会長 2005年3月 - 2015年1月
三重野康 日本銀行総裁 1991年1月 - 2005年1月
御手洗辰雄 東京新聞主筆 1964年5月 - 1975年9月
務台光雄 読売新聞社長 1976年1月 - 1991年4月
(在任中死去)
守屋秀繁 千葉大学大学院医学薬学府長 2007年3月 - 2017年1月 14代委員長
山内大介 元毎日新聞社社長 1986年12月 - 1987年12月
山田洋次 映画監督脚本家 2004年1月 - 2014年1月
渡辺誠毅 朝日新聞社社長 1993年7月 - 1997年1月 6代委員長
渡邉恒雄 読売新聞グループ本社会長 1991年1月 - 2005年1月 9代委員長
渡辺襄 元毎日新聞社社長 1988年5月 - 2001年1月

出典

  1. 横綱審議委員会規則第4項
  2. 横綱審議委員会規則第6項
  3. 横綱審議委員会規則第5項
  4. 横綱審議委員会規則第10項
  5. 横綱審議委員会規則第9項
  6. 横綱審議委員会規則第2項
  7. 横綱審議委員会規則第11項
  8. 横綱審議委員会規則第3項
  9. 「稀勢の里に横審が異例の注文」 日刊スポーツ2009年3月31日紙面
  10. 「大海に横審が引退勧告、負け越しで休場発表」 デイリースポーツ2009年9月22日紙面
  11. 「大相撲:内館委員、大関陥落・大海に「物言い」--横綱審議委員会」 毎日新聞2009年12月1日 東京朝刊
  12. “相撲協会:NHKの生中継中止を批判 横審・鶴田委員長”. 毎日新聞. (2010年8月25日). http://mainichi.jp/enta/sports/general/sumo/news/20100826k0000m050062000c.html 
  13. “無料なのに 横審総見、国技館はガラガラ…内容も低調”. スポーツニッポン. (2011年4月29日). http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/04/29/kiji/K20110429000722950.html 
  14. 「横審稽古総見は一般公開せず」 日刊スポーツ2012年7月16日
  15. この一方で、東京場所初日の前日に行われる「土俵祭」の公開や、その終了後に親方衆を講師とした「相撲寺子屋」「相撲塾」の開催などは続いている。
  16. 読売新聞社東京本社刊 『大相撲』 2008年7月号(名古屋場所展望号) 2頁
  17. 高槻ご意見番:外国人力士に負けるより、ルールを曲げるほうが恥。北岡隆浩高槻市市議会議員2006年04月11日

関連項目