石渡荘太郎

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ファイル:Appointment of Imperial Police Guard Officer.jpg
宮相の身分の時、石渡が発行した禁衛府衛士監の辞令

石渡 荘太郎(いしわた そうたろう、明治24年(1891年10月9日- 昭和25年(1950年11月4日)は東京都出身の官僚政治家。位階・勲等は正三位勲一等[1]

人物

旧幕臣で第一次西園寺公望内閣内閣書記官長を務めた石渡敏一の長男。

自身も大蔵大臣内閣書記官長宮内大臣などを歴任。近衛文麿の学友であり、税務・経済のスペシャリストとして各政権で重用された。

平沼騏一郎内閣の大蔵大臣時代、外相有田八郎海相米内光政とともに日独伊三国同盟に反対を貫いた。

太平洋戦争終結後、公職追放中に病を得て死去。享年59。

略歴

司税官・税務監督局事務官・国税課長・主税局長などを経て、
賀屋興宣青木一男とともに「大蔵省の三羽烏」と謳われたが、内閣調査局に事実上の左遷となる。

栄典

出典


公職
先代:
賀屋興宣
日本の旗 大蔵次官
1937 - 1939年
次代:
大野龍太


テンプレート:財務事務次官 テンプレート:宮内庁長官