羽咋郡

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石川県羽咋郡の範囲(1.志賀町 2.宝達志水町 水色:後に他郡から編入した区域 薄黄:後に他郡に編入された区域)

羽咋郡(はくいぐん)は、石川県能登国)の

人口32,013人、面積358.28km²、人口密度89.4人/km²。(2018年4月1日、推計人口

以下の2町を含む。

郡域

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町のほか、下記の区域にあたる。

  • 羽咋市の大部分(大町・四柳町・酒井町・金丸出町・下曽弥町・鹿島路町・西潟町を除く)
  • 七尾市の一部(中島町大平・中島町古江・中島町上畠・中島町河内・中島町鳥越・中島町北免田・中島町西谷内・中島町町屋・中島町藤瀬)
  • かほく市の一部(箕打・元女・黒川・瀬戸町・八野・野寺・夏栗・二ツ屋・中沼と学園台の一部)
  • 河北郡津幡町の一部(牛首・瓜生・上河合・下河合・上大田)

歴史

元は越前国の一郡であったが、養老2年5月2日718年6月4日)に能登郡(現・鹿島郡)・鳳至郡珠洲郡とともに分立して能登国となった。天平13年12月10日742年1月20日)から天平宝字元年(757年)までは越中国に属した。

近世以降の沿革

  • 明治2年6月17日1869年7月25日) - 版籍奉還により加賀藩(通称)の正式名称が金沢藩となる。
  • 明治3年5月22日1870年6月20日) - 幕府領・旗本領が高山県の管轄となる[11]
  • 明治4年
  • 明治5年9月27日1872年10月29日) - 石川県の管轄となる。
  • 明治初年 - 吉田村(現・宝達志水町)が南吉田村に、小室村(現・志賀町東小室)が東小室村にそれぞれ改称。
  • 明治8年(1875年)(1町232村)
    • 太田村のうち旗本領が分立して東太田村となる。
    • 当ノ熊村が新宮村に合併。
  • 明治9年から17年の間に中山村が改称して上中山村となる。
  • 明治11年(1878年
    • 12月17日 - 郡区町村編制法の石川県での施行により、行政区画としての羽咋郡が発足。郡役所を羽咋村に設置。
    • 太田村が西太田村に、吉田村(現・志賀町)が北吉田村にそれぞれ改称。
  • 明治16年(1883年) - 免田村(現・七尾市)が改称して北免田村となる。
  • 明治20年(1887年) - 羽咋村が羽咋町に、大念寺新村が高浜町にそれぞれ改称。

町村制以降の沿革

ファイル:Ishikawa Hakui-gun 1889.png
1.羽咋町 2.高浜町 3.南大海村 4.北大海村 5.河合谷村 6.北荘村 7.中荘村 8.末森村 9.柏崎村 10.粟ノ保村 11.樋川村 12.志雄村 13.南志雄村 14.北志雄村 15.富永村 16.南邑知村 17.北邑知村 18.中邑知村 19.若部村 20.一ノ宮村 21.越路野村 22.上甘田村 23.中甘田村 24.下甘田村 25.志加浦村 26.堀松村 27.加茂村 28.東土田村 29.西土田村 30.上熊野村 31.熊野村 32.富来村 33.稗造村 34.釶打村 35.東増穂村 36.西増穂村 37.西海村 38.西浦村 39.塵浜村 40.福浦村(紫:羽咋市 桃:かほく市 水色:七尾市 緑:志賀町 黄:宝達志水町 橙:河北郡津幡町)
  • 明治24年(1891年7月1日 - 郡制を施行。
  • 大正8年(1919年9月1日 - 富来村が町制施行して富来町となる。(3町37村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和2年(1927年)9月1日 - 塵浜村が改称して千里浜村となる。
  • 昭和8年(1933年
    • 5月1日 - 樋川村・志雄村・南志雄村・北志雄村・南邑知村が合併し、改めて志雄村が発足。(3町33村)
    • 5月15日 - 北邑知村・中邑知村・若部村が合併して邑知村が発足。(3町31村)
  • 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は489.07平方km、人口は67,877人(男32,403人・女35,474人)[12]
  • 昭和11年(1936年2月1日 - 志雄村が町制施行して志雄町となる。(4町30村)
  • 昭和15年(1940年
  • 昭和23年(1948年)4月1日 - 釶打村の所属郡が鹿島郡に変更。(5町27村)
  • 昭和29年(1954年
    • 5月16日 - 河合谷村が河北郡津幡町に編入。(5町26村)
    • 7月15日 - 南大海村が河北郡高松町と合併し、改めて河北郡高松町が発足。(5町25村)
    • 10月1日 - 志加浦村・堀松村・加茂村・上熊野村・土田村が合併して志賀町が発足。(6町20村)
    • 11月3日(7町2村)
      • 羽咋町・富永村・粟ノ保村・一ノ宮村・越路野村・上甘田村・千里浜村および下甘田村の一部(上中山)が合併し、改めて羽咋町が発足。
      • 富来町・熊野村・稗造村・東増穂村・西増穂村・西海村・西浦村・福浦村が合併し、改めて富来町が発足。
      • 柏崎村・末森村・中荘村・北荘村・北大海村が合併して押水町が発足。
  • 昭和30年(1955年
    • 4月1日 - 下甘田村が志賀町に編入。(7町1村)
    • 4月28日 - 高浜町・中甘田村が合併し、改めて高浜町が発足。(7町)
    • 10月1日 - 押水町の一部(敷波・敷浪)が志雄町に編入。
  • 昭和31年(1956年9月30日 - 羽咋町・邑知町が鹿島郡余喜村鹿島路村と合併し、改めて羽咋町が発足。(6町)
  • 昭和33年(1958年7月1日 - 羽咋町が市制施行して羽咋市が発足し、郡より離脱。(5町)
  • 昭和45年(1970年11月1日 - 高浜町・志賀町が合併し、改めて志賀町が発足。(4町)
  • 平成17年(2005年
    • 3月1日 - 押水町・志雄町が合併して宝達志水町が発足。(3町)
    • 9月1日 - 志賀町・富来町が合併し、改めて志賀町が発足。(2町)


変遷表

脚注

  1. 旧高旧領取調帳」は能登国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書13 旧高旧領取調帳 中部編」(近藤出版社、1977年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
  2. 下記のほか、加賀藩領として《兵庫村/立開村/土橋村/粟生村/粟原村/新保村/二口村/柳瀬村/羽咋村》請新田、《稲敷村/相神村/八幡村/中浜村/給分村》請新田、《紺屋町村/冬野村/東間村/御館村/正友村/北川尻村/坪山村》請新田、《森本村/中沼村/免田村/八野村/二屋村/野寺村》請新田、《東間村/坪山村/紺屋町村/冬野村/正友村/北川尼村》請新田が記載されている。
  3. 記載は志雄町。
  4. 記載は富木村。
  5. 犱谷村・宿女村・坪野村・岩田村の総称だが、犱谷村は別掲。本項では3村として数える。
  6. 太田村のうちに含まれると見られる。
  7. 白瀬村のうちに含まれると見られる。
  8. 8.0 8.1 尾長村・志々見村・本江村のうちに含まれると見られる。
  9. 仏木村・米町村・小室村のうちに含まれると見られる。
  10. 「旧高旧領取調帳データベース」に記載なし。石高がどの村に合算されているかは不明。
  11. 石川県史 第四編,p.3. 近代デジタルライブラリー
  12. 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可能。

参考文献

外部リンク

テンプレート:能登国の郡