藤原仲麻呂

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藤原 仲麻呂(ふじわら の なかまろ)

奈良時代の廷臣。藤原南家の祖武智麻呂の次男。一名,恵美押勝。天平6 (734) 年従五位下,同 12年の藤原広嗣の乱後,政界へ進出,同 15年従四位上,参議。以後光明皇后,皇太子阿倍内親王の信任を得て,大仏の造立や平城還都を推進し,天平勝宝1 (749) 年には大納言。左大臣橘諸兄の勢力をしのぐようになった。同8 (756) 年,養老律令の施行を強行するとともに全軍事権を掌握し反対派を一斉に摘発,独裁体制を確立した。天平宝字2 (758) 年太保 (右大臣) となり,同4年従一位大師 (太政大臣) ,同6年正一位となって,唐制を採用した極端な儒教的政治形態を推し進める一方,歴史編纂など文化的事業も企図した。しかし,孝謙上皇が道鏡と結ぶようになると,前途に不安をいだき,同8年道鏡を除こうとして謀反を起そうとしたが,発覚し近江に逃れた。その地で追撃を受け,激戦の末,捕えられ妻子とともに斬られた。



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