西白河郡

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福島県西白河郡の範囲(1.西郷村 2.泉崎村 3.中島村 4.矢吹町 水色:後に他郡から編入した区域 薄黄:後に他郡に編入された区域)

西白河郡(にししらかわぐん)は福島県にある。本項では1878年明治12年)までの名称である白河郡(しらかわぐん)についても述べる。

人口48,680人、面積306.81km²、人口密度159人/km²。(2018年4月1日、推計人口

以下の1町3村を含む。

郡域

1878年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町3村から矢吹町の一部(境町・田内・馬場・本郷町・南町および子ハ清水・東の内の各一部)を除き、白河市および石川郡浅川町の一部(小貫・大田輪)を加えた地域である。

歴史

西白河郡の旧称である白河郡は、『先代旧事本紀』中の「国造本紀」では、白河国造の支配下にあったとされている。

律令制下で白河国造の所領は郡へと変更され、陸奥国への入口として白河関が置かれた。関和久官衙遺跡(泉崎村関和久)が古代の郡衙と推定されている。養老2年(718年)、陸奥国の三分割にともない、白河・石背会津安積信夫の5郡は石背国として分立したが、10年ほどで陸奥国に復帰している。

10世紀前半に著された『和名類聚抄』には「之良加波(しらかは)郡」とあり、大村・丹波・松田・入野・鹿田・石川・長田・白川・小野・駅家・松戸・小田・藤田・屋代・常世・高野・依上の17が載せられている。17という郷数は陸奥国の中では最多であり、その範囲も後世の西白河郡東白川郡石川郡の全部に加え、田村郡および常陸国久慈郡の一部にまで及ぶ広大なものであった。

ただし高野・入野・鹿田・常世・依上の5郷てついては、「国、分ちて高野郡と為す」と注記されており、この頃には既に高野郡として分立済みであったと見られている。また石川・長田・藤田の3郷は、康平6年(1063年)に前九年の役の軍功により石川郷一帯を拝領した源有光陸奥石川氏の祖)が同地に土着して石川荘を開き、この石川荘のちにが白河郡から分離して、石川郡という独立した郡として扱われるようになった。

白河郡は文治5年(1189年)の奥州合戦で軍功を挙げた結城朝光に与えられた。朝光への恩賞に白河郡が宛てられたのは、久安6年(1150年)に朝光の父・小山政光が白河荘金山預所職を得ていたことが関係しているという。のち朝光の孫・結城祐広が分家し(白河結城氏)、結城氏による支配は天正18年(1590年)の奥州仕置結城義親が改易されるまで続いた。

江戸時代寛文年間(1661年1673年)に白河・高野・石川の三郡を統合し白川郡としたが、元禄年間(1688年1704年)に、白河・白川(元の高野)・石川の三郡に再分割され、以後若干の郡境変更を経て、明治12年(1878年)の郡区町村編制法の際に白川郡との区別のため、「西」の字を冠して西白河郡へと改称され、現在に至っている。

近代以降の沿革

知行 村数 村名
幕府領 幕府領 30村 郷渡村、新郷渡村、高萩新田村、社仁井田村、小松新田村、松原新田村、金山村、関場村、高木村、若栗新田村、嘉左衛門新田村、大田輪村、川原田村、二子塚村、滑津村、小田川村、太田川村、踏瀬村、踏瀬新田村、大和久村、須乗村、須乗新田、上新城村、中新城村、下新城村、町屋村、十軒新田村、七軒新田、二子塚新田村、山崎新田村
藩領 陸奥白河藩 7町
45村
本町、中町、天神町、新町、横町、田町、桜町、学田新田、奉公人新田、大村、本沼村、久田野村、大和田村、泉崎村、松倉村、北平山村、北平山新田、関和久村、蕪内村、借宿村、田島村、船田村、板橋村、双石村、十文字村、泉田村、新小萱村、根田村、米村、柏野村、長坂村、上羽太村、下羽太村、真船村、鶴生村、小田倉村、小田倉新田村、小田新田村、折口新田村、真名子新田、熊倉村、熊倉新田村、白坂村、皮籠村、夏梨村、旗宿村、油田新田、大谷地村、三城目村、増見村、飯土用村、三城目新田
越後高田藩 24村 釜子村、中寺村、堀ノ内村、河東田村、深渡戸村、小貫村、宮村、小松村、内松村、中野村、番沢村、梁森村、三森村、下羽原村、栃本村、千田村、形見村、上野出島村、深仁井田村、吉岡村、下野出島村、大竹村、細倉村、二枚橋村[1]
  • 慶応2年6月19日1866年7月30日) - 白河藩主阿部正静陸奥棚倉藩転封され、白河藩領は二本松藩の預地となる。
  • 慶応4年2月1日1868年2月23日) - 阿部正静の白河藩復帰が決定。
  • 慶応4年8月8日(1868年9月23日) - 幕府領・旧白河藩領が白河民政局の管轄となる。
  • 明治元年12月7日1869年1月19日
    • 陸奥国が分割され、本郡は磐城国の所属となる。
    • 白河藩領が磐城守山藩取締地となる。
  • 明治元年12月24日(1869年2月5日) - 阿部氏の白河藩復帰が取り止めとなり、棚倉藩に戻される。
  • 明治2年8月7日(1869年9月12日) - 白河民政局が白河県に改称。守山藩の管轄が終了。
  • 明治4年7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が高田県となる。
  • 明治4年11月2日(1871年12月13日) - 第1次府県統合により、全域が二本松県の管轄となる。
  • 明治4年11月14日(1871年12月25日) - 二本松県が福島県に改称。
  • 明治8年(1875年) - 石川郡のうち阿武隈川以西の11村(矢吹村、矢吹新田、中畑村、中畑新田、大畑村、堤村、神田村、松崎村、中野目村、明岡村、明岡新田)の所属郡が当郡に変更[2]。(7町110村)
  • 明治9年(1876年)(1町99村)
    • 踏瀬新田村・十軒新田村が合併して踏瀬村となる。
    • 本町・中町・天神町・新町・横町・田町・桜町・奉公人新田・十文字村・夏梨村および学田新田の一部が合併して白河町となる。
    • 皮籠村および学田新田の残部が白坂村に、七軒新田が松倉村に、二子塚新田村が二子塚村に、北平山新田が北平山村に、三城目新田が三城目村に、矢吹新田が矢吹村にそれぞれ合併。
  • 明治10年(1877年)(1町79村)
    • 郷渡村・新郷渡村・二枚橋村が合併して関辺村となる。
    • 高萩新田村・社仁井田村が合併して社田村となる。
    • 関場村・宮村が合併して八幡村となる。
    • 新小萱村・根田村が合併して萱根村となる。
    • 上羽太村・下羽太村・真名子新田が合併して羽太村となる。
    • 大谷地村・飯土用村が合併して豊地村となる。
    • 松原新田村・山崎新田村が番沢村に、小松新田村が小松村に、若栗新田村・嘉左衛門新田村が釜子村に、小田倉新田村・小田新田村が小田倉村に、折口新田村が真船村に、熊倉新田村が熊倉村に、油田新田が旗宿村に、大竹村が上野出島村に、細倉村が借宿村にそれぞれ合併。
  • 1879年明治12年)1月27日 - 郡区町村編制法の福島県での施行により、白河郡の区域をもって行政区画としての西白河郡が発足。郡役所が白河町に設置。(1町79村)
  • 1886年(明治19年) - 明岡村・明岡新田が合併して明新村となる。(1町78村)

町村制以降の沿革

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1.白河町 2.西郷村 3.白坂村 4.古関村 5.金山村 6.社村 7.小野田村 8.釜子村 9.五箇村 10.大沼村 11.関平村 12.中畑村 13.三神村 14.矢吹村 15.信夫村 16.川崎村 17.小田川村 18.吉子河村 19.滑津村(紫:白河市 赤:泉崎村 橙:中島村 桃:矢吹町 黄:石川郡浅川村 青:合併なし)
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町18村)
    • 白河町(単独町制。現・白河市)
    • 西郷村 ← 米村、長坂村、柏野村、羽太村、熊倉村、鶴生村、真船村、小田倉村(現存
    • 白坂村(単独村制。現・白河市)
    • 古関村 ← 旗宿村、中野村、内松村、番沢村、社田村、関辺村(現・白河市)
    • 金山村 ← 金山村、梁森村、高木村、三森村、下羽原村(現・白河市)
    • 社村 ← 小松村、八幡村、中寺村、堀ノ内村、河東田村、深渡戸村(現・白河市)
    • 小野田村 ← 小貫村、大田輪村(現・石川郡浅川町)、下野出島村、上野出島村(現・白河市)
    • 釜子村 ← 釜子村、千田村、形見村、栃本村、深仁井田村(現・白河市)
    • 五箇村 ← 蕪内村、借宿村、田島村、船田村、板橋村、双石村(現・白河市)
    • 大沼村 ← 大村、久田野村、大和田村、本沼村(現・白河市)
    • 関平村 ← 関和久村、北平山村(現・泉崎村)
    • 中畑村 ← 松倉村、中畑村、大畑村(現・矢吹町)
    • 三神村 ← 三城目村、須乗村、須乗新田、神田村、堤村、中野目村、明新村(現・矢吹町)
    • 矢吹村 ← 矢吹村、中畑新田村、大和久村(現・矢吹町)
    • 信夫村 ← 下新城村、中新城村、上新城村、町屋村、増見村、豊地村[飯土用](現・白河市)
    • 川崎村 ← 踏瀬村、太田川村、泉崎村(現・泉崎村)
    • 小田川村 ← 小田川村、泉田村、萱根村、豊地村[大谷地](現・白河市)
    • 吉子川村 ← 川原田村、二子塚村、吉岡村(現・中島村)
    • 滑津村 ← 滑津村、松崎村(現・中島村)
  • 1897年(明治30年)10月1日 - 郡制を施行。
  • 1903年(明治36年)12月1日 - 矢吹村が町制施行して矢吹町となる。(2町17村)
  • 1907年(明治40年)4月1日 - 五箇村の一部(大字蕪内)が釜子村に編入。
  • 1923年大正12年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 1926年(大正15年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 1949年昭和24年)4月1日 - 白河町・大沼村が合併して白河市が発足し、郡より離脱。(1町16村)
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 岩瀬郡大屋村の所属郡を当郡に変更。(1町17村)
  • 1954年(昭和29年)
    • 3月31日 - 白坂村が白河市に編入。(1町16村)
    • 10月1日(1町14村)
      • 川崎村・関平村が合併して泉崎村が発足。
      • 小田川村が白河市に編入。
  • 1955年(昭和30年)
    • 1月1日 - 滑津村・吉子川村が合併して中島村が発足。(1町13村)
    • 2月1日 - 金山村・古関村・社村が合併して表郷村が発足。(1町11村)
    • 3月1日(1町9村)
      • 小野田村・釜子村が合併して東村が発足。
      • 五箇村を白河市に編入。
    • 3月31日 - 矢吹町・中畑村・三神村および岩瀬郡広戸村の一部(大字柿之内および小川・高林の一部)が合併し、改めて矢吹町が発足。(1町7村)
    • 4月10日 - 大屋村と信夫村が合併して大信村が発足。(1町6村)
    • 8月1日 - 表郷村の一部(大字関辺・旗宿)が白河市に編入。
    • 8月20日 - 東村の一部(大字小貫・大田輪)が石川郡浅川町に編入。
  • 2005年平成17年)11月7日 - 表郷村・大信村・東村が白河市と合併し、改めて白河市が発足。(1町3村)

変遷表

脚注

  1. 記載は管轄不明となっており、〔本文ノ廉辛未年間新規高受相成候分〕と付記されている。
  2. 1879年とする資料もあり。
  3. 阿弥陀石地区は白坂村へ編入
  4. 4.0 4.1 豊地村は、飯土用村と大谷地村の合併により成立。明治22年(1889年)解村し、旧・飯土用村域は信夫村へ、旧・大谷地村域は小田川村へと編入された。
  5. 5.0 5.1 明治19年(1886年)、明岡村と明岡新田村が合併し、明神村となった。

参考文献

関連項目

テンプレート:磐城国の郡