親富祖弘也

提供: miniwiki
移動先:案内検索

親富祖 弘也(おやふそ こうや、1972年8月29日 - )は、沖縄県浦添市出身の元プロ野球選手捕手)。

来歴・人物

沖縄・宜野湾高から1990年ドラフト4位指名西武入団[1](背番号は61)。高校時代は無名選手であった[1] 。1996年に現役引退[1] 。引退当時は24歳とまだ若かったが、任意引退の手続きを取った理由としては、自身によれば第二の人生を考えていたためであったと言う[2]。引退後は、沖縄に戻る。浦添市公共施設管理公社に勤めていた時は、沖縄県クラブチーム儀間組の立ち上げに携わり[1] 内野手として所属した[3]。2013年3月現在は浦添市教育委員会に勤めながら、浦添ボーイズの監督を務めている[1]

100mを11秒で駆け抜ける俊足[1] を持つ左打ち捕手との触れ込みで入団。守備だけなら1軍レベルと評されるも、2軍打率.213という打撃[1] に課題があり伊東勤の第2捕手となることはできなかった。

詳細情報

年度別打撃成績

  • 一軍公式戦出場なし

背番号

  • 61 (1991年 - 1996年)

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 週刊ベースボール2013年3月11日号 P61
  2. 週刊ベースボール2013年3月11日号 P60
  3. チーム情報 2005年 登録・変更情報 日本野球連盟(JABA)”. . 2012閲覧.

関連項目

テンプレート:西武ライオンズ1990年ドラフト指名選手