貝塚

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貝塚(かいづか)は、古代の人類のゴミ捨て場のうち当時の人々が捨てた貝殻が積み重なったもののことである。貝塚には、貝殻の骨など食料の残滓だけでなく、破損した土器石器骨角器などの道具類、さらには焼土や灰なども一緒に捨てられている。貝塚は、それらの中の貝殻が占めている堆積層(貝層)を指すのが普通である。ただし、純粋に貝殻だけで堆積層をつくっている貝塚もみられる。

概説

地球環境が温暖化へと移り変わっていくにつれて、その影響は人類にも及んできた。その影響の一つに食糧資源にもあらわれ、ナウマンゾウオオツノシカなどの大型獣が滅んでいった。その新しい環境に即し、人類は生活様式を変革していかねばならなかった。その一つが海産資源の活用であり、結果、ゴミ捨て場である貝塚が形成されるようになった。

生活遺構であるため貝塚からは貝殻のほかに土器石器なども出土する。貝塚では、貝殻の炭酸カルシウム成分のために酸性土壌が中和され、土壌が有機物由来の考古遺物を保護する作用を持つため、人骨や獣骨、魚骨、骨角器などが多く出土する。貝塚は文字を持たなかった社会を研究する上で重要視されている。

貝塚の研究は19世紀後半にデンマークで始められた[1]。貝塚は世界の各地で発見されており、それまでは自然堆積で作られていたものと考えられていたが、貝殻のほかにも動物の骨や石器・土器が発見されたため、人間の食物の残骸が集積したものと認められるようになった。世界的には、日本をはじめ、カナダブリティシュコロンビアを中心とした北西海岸、アメリカメイン州を中心とした大西洋岸、デンマークを中心としたヨーロッパ地域のほぼ同緯度で氷河期が終わった以降に貝塚が出現している。

中国・朝鮮半島・極東ロシア・日本列島の東アジアの沿岸海域は世界的に見ても貝塚が濃密に分布する地域である。[2]

貝塚研究

  • 地形と貝塚分布との関係
  • 貝層形成の時期と貝層の形成過程
  • 貝種組成と貝の規模
  • 貝層内に形成された遺構
  • 出土遺物と出土状況
  • 貝塚の道具と装身具
  • 動物遺存体
  • 植物遺存体
  • 人骨
  • 貝塚と集落
  • 製塩土器

日本の貝塚

縄文時代の貝塚は、日本列島ではおよそ2500個所発見されており、その4分の1近くが東京湾の東沿岸一帯に残されている。中でも千葉県下に集中しており、とりわけ千葉市内は分布密度が高く世界最大の貝塚密集地帯になっている。このほか貝塚が集中して分布している地域としては、太平洋沿岸の大きな内湾であり干潟がよく発達した仙台湾大阪湾などをあげることができる。

東京湾岸にも集中している貝塚であるが、作られ方は時期によって違う。縄文早期では、竪穴住居や小さな調理施設である炉穴の中に捨てられている場合が多く、縄文前期にも早期と同様の貝塚が形成されている。縄文中期になると、住居がムラのほぼ中程の広場を囲んで配置されていて、それらの住居に貝塚が残されたので、結果として環状の貝塚の並びが形成されたように見える。加曽利貝塚などがこれに類する。

日本列島は酸性土壌であり、骨などの有機物が残り難い。しかし、貝塚は大量の貝殻に由来する炭酸カルシウムが豊富なために土壌をアルカリ性に保ち、鳥獣や魚などの骨格(動物遺体)がよく保存されているので、当時の生産や海辺の生活を知る動物考古学の観点から貴重な遺跡となっている。

貝塚が太古の人々の遺したものであるという考えは奈良時代に既にあり、『常陸国風土記』には、大櫛という地にかつて巨人が住んでいて、貝を食べ散らかした跡が岡になったという話が見える。なおこの跡は、現在の大串貝塚に比定される。日本における本格的な貝塚研究の端緒は、1877年アメリカ動物学者エドワード・S・モース東京都大田区大森貝塚を発見し発掘調査したものである。

最古とされている貝塚は、千葉県の西之城貝塚神奈川県夏島貝塚であり、紀元前7500年頃の縄文時代早期前半の土器が両貝塚から出土している。

日本人によって初めて本格的な発掘調査・報告が行なわれた貝塚は、茨城県稲敷郡美浦村の陸平貝塚である。1905年(明治38年)には、横浜に居留していたイギリス人医師ニール・ゴードン・マンロー[注 1]によって、縄文時代後期から弥生時代前期の貝塚である「三ツ沢貝塚」(横浜市神奈川区沢渡ほか)が発見される。

貝塚によっては、貝殻がきれいに整列されているところもある。久米島町の貝塚では、貝札などが同時に発見され、単なる「貝塚=ゴミ捨て場」説に一石を投じる発見がなされた。

貝塚一覧

日本

日本にある貝塚の一覧については、日本の貝塚一覧Category:日本の貝塚を参照。

脚注

注釈
  1. 日本で最初に「地層塁重の法則」を適用して土層単位での発掘を導入した。
出典
  1. 19世紀後半、ヨーロッパ先史考古学の指導的位置にあったデンマーク国立博物館長ヴォーソーは、動物学者スティーンストラブや、地質学者フォルヒハマーとともに貝塚が自然堆積ではなく人造であることを明らかにした(佐原真「日本近代考古学の始まるころ」金関恕・春成秀爾編『佐原真の仕事1 考古学への案内』岩波書店 2005年)236ページ
  2. 「貝塚-狩猟と漁労」樋泉岳二 『日本の考古学』奈良文化財研究所編集 2007年4月

関連項目

外部リンク