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(ごう、きょう、さと)

令制での下におかれた行政区画。郡の下には古くがあったが霊亀1 (715) 年郷に代った。その後,郷 (さと) の下に里 (こさと) 2~3里がおかれた時期もあった。郷の数は奈良時代の『古律書残編』には 4012郷,平安時代初期の『倭名類聚抄』 20巻本 (高山寺本) には 3715郷とある。

50戸を1郷とし,それに満たない場合は余戸 (あまりべ) と称した。郷には郷長がおかれた。律令の崩壊によって郷は次第に崩れ,荘園制に移ってくると,荘,村,が末端組織として現れた。しかし,郷の名称は,中世の郷村制や近世の郷士郷倉などとして,後代までも根強く残った。




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