鹿児島交通枕崎線

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停車場・施設・接続路線(廃止当時)
HST
鹿児島駅
eABZgl exSTR+r
国鉄鹿児島本線
0.214 伊集院駅
STRr exSTR
国鉄:鹿児島本線
exTUNNEL1
大田トンネル 352m
exBHF
4.424 上日置駅
exBHF
7.878 日置駅
exBHF
10.646 吉利駅
exBHF
12.765 永吉駅
exBHF
16.114 吹上浜駅
exBHF
17.005 薩摩湖駅
exBHF
18.155 伊作駅
exBHF
19.986 南吹上浜駅
exBHF
22.675 北多夫施駅
exBHF
24.603 南多夫施駅
exBHF
26.676 阿多駅
exABZgl
知覧線-1965
exWBRÜCKE
万之瀬川
exABZg+r
万世線-1962
BUILDING exBHF
28.961 加世田駅
exTUNNEL1
加世田トンネル 322m
exBHF
31.035 上加世田駅
exBHF
32.393 内山田駅
exBHF
33.818 上内山田駅
exBHF
36.385 干河駅
exBHF
38.925 津貫駅
exBHF
40.335 上津貫駅
exBHF
41.515 薩摩久木野駅
exBHF
44.288 金山駅
exBHF
47.638 鹿籠駅
49.568 枕崎駅
STR
国鉄:指宿枕崎線

枕崎線(まくらざきせん)は、かつて鹿児島県日置郡伊集院町(現・日置市)の伊集院駅から同県枕崎市枕崎駅までを結んでいた鹿児島交通鉄道路線である。1984年(昭和59年)に廃止された。南薩線(なんさつせん)と呼ばれ親しまれていた。枕崎線からは、支線として万世線および知覧線が分岐していた。

路線データ

  • 路線距離(営業キロ):伊集院 - 枕崎間 49.6km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:23駅(起終点駅含む。廃止時点)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化
  • 閉塞方式:タブレット閉塞式(末期の加世田 - 枕崎間はスタフ閉塞式)

概要

1914年(大正3年)に南薩鉄道によって開業して以来、薩摩半島の重要な交通機関として役割を果たしてきたが、1960年代に入ると南薩鉄道は経営難に陥り、1964年(昭和39年)9月に大隅半島でバスを営業していた三州自動車に合併され鹿児島交通が成立した。以降も鉄道部門は貨物輸送の廃止などの合理化を進めたが、沿線人口の減少や自動車の普及に加えて、沿線から鹿児島に向かう客も同社のバスに流れるようになった。

1970年代に入ると車両や設備の老朽化も著しくなり、1982年(昭和57年)12月には会社も鉄道廃止の方針を打ち出した。労働組合や地元は廃止に反対したものの、1983年(昭和58年)6月の豪雨で大きな被害を受けたことがとどめを刺す形になった。同年7月に日置 - 加世田間は運行を再開したものの、伊集院 - 日置間と加世田 - 枕崎間は復旧しないまま1984年(昭和59年)3月18日の廃止を迎えた。

加世田駅の跡にできた鹿児島交通加世田バスセンター内に、石造りの元倉庫を利用した南薩鉄道記念館の建物がある。2005年(平成17年)から2006年(平成18年)頃にかけて隣接する商業施設の拡張工事のために休館していたが2007年(平成19年)現在は再開されている。ただし、この休館に際して往時の車両を展示していた建物が解体され、車両は隣接するバスの整備工場内に移動して保存されており、近くから見ることはできない。また、DD12と2号機関車(現在は4号機関車に置き換え)は屋外に展示されている。このほかにも、伊集院 - 枕崎のバスに乗ると、至るところで当時の遺構を車窓から見ることができる。

ファイル:Nansatsu DD12 1.jpg
南薩鉄道DD12(加世田バスセンター)

運行形態

末期は、1日10往復程度、日中は2時間に1本が運転されていた。すべて普通列車で、一部は加世田駅折り返し。1日3往復が、伊集院駅から国鉄西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)へ直通運転していた。その他、朝ラッシュ時に加世田 - 薩摩湖間、夜間に伊集院 - 日置間の区間運転列車が各1往復ずつ運転されていた。

1983年(昭和58年)の豪雨災害後は、日置 - 加世田間折り返し運転となり、廃止までその状態だった。この際、西鹿児島直通列車のうち、国鉄線内の区間については、しばらくの間鹿児島交通の車両により運転が継続された。伊集院 - 日置の大田トンネルは漏水のためバス代行となっていたが、国鉄線内に使用する車両の保守の際は、この区間を回送扱いで運転していた[1]

車両

末期の使用車両は以下のとおり。

  • キハ100形 - 国鉄キハ42600形と準同型の自社発注車。1952年に兵庫県の川崎車輌にてキハ101 - キハ106の6両が一挙に新造された。なお、国鉄キハ42000形系統の準同型車は、戦前に台湾総督府鉄道、戦後はここ南薩鉄道と北海道の夕張鉄道の2社が発注したのみで、少数派であった。エンジンは当初DMH17を搭載し、変速機は機械式とキハ42600形と同等だが、最終減速機の歯数比が低く勾配線での使用に備えている。台車はオリジナル同様TR29菱枠台車を装着する。1970年にエンジンをDMH17Cに換装し、さらに変速機をTC2液体式変速機に交換して液体式に改造された。ただし、電磁リンクによる総括制御機能は搭載されず従前通りのペダル操作による変速操作であったため、2両編成以上の連結運転時には運転手が各車両に乗り込んでブザーを合図に操作していた。また、ATSが設置されていなかったため国鉄乗り入れは不可能だった。車体は概ねキハ42600形の設計を踏襲した20m級3扉構成であるが、妻部が雨樋を屋根上部に張り上げ屋根構造となり、側扉は手動でホーム高さが低かったにもかかわらず車体にはステップを設けず裾下がりもなく停車時には床下に設置した空気圧作動の踏み板を側面にせり出す構造として乗降の便を図るなど、原設計とは異なる部分が散見される。座席は長距離運転に備え全てクロスシートであり、キハ42600形よりも座席定員が8人多く80人となっている。書類上1972年にキハ101・キハ105の2両を郵便荷物車のキユニ100形キユニ101・キユニ105に改造し、車内に郵便物仕分け作業のための設備を設けた。もっとも1975年3月10日に枕崎線での郵便物輸送は廃止されたため、これら2両は改番されなかったものの以後は実質的に荷物車として使用された。
  • キハ300形 - 国鉄線乗り入れによる西鹿児島駅直通列車の運転に備え、国鉄キハ16形の両運転台化バージョンとして1954年に川崎車輌でキハ301 - キハ303の3両が新造された。同じく両運転台の国鉄キハ10形やキハ11形よりも約1年先行して設計製作され、そのためこれらよりも車体寸法が30mm短く、車内各部の設備や窓などの配置・寸法も微妙に異なる。台車は同時代の私鉄向け国鉄気動車準同型車の多くがDT18以降の国鉄気動車用台車の乗り心地の悪さなどを忌避してキハ42000系と共通のTR29相当品を採用する中で、DT19・TR49と国鉄車と同一品を採用している。もっとも、エンジンは自社バスとの保守部品備蓄や調達の共通化を目論んでか三菱重工業製のDH2L-Pと呼ばれるアンダーフロアバス用180PS級エンジンを搭載し、変速機も新潟DB115で国鉄車とは異なっていた。また本形式はラジオ受信機能を備えており、そのための受信アンテナを屋根上に設置していたことも国鉄車にない特徴である。西鹿児島駅直通列車には本形式が限定的に使用された。国鉄に直通するため、国鉄線のATS整備にあわせて1965年にATS-S型の車上子など各種対応機器が搭載され(鹿児島交通線内では不使用)、さらに1968年にはエンジンを国鉄車と同じDMH17Cに換装、恐らくはこれと同時期に変速機もTC2に換装し国鉄車相当となっている。

いずれの形式も新造時は上半分クリームで下半分がブルーのツートンカラーで、1964年から1965年にかけてオレンジの地色に紺色の帯を巻いた新塗色に変更された。 現在はキハ100形1両(キハ103)が南薩鉄道記念館近くのバスの整備工場内に保存されている。

また、ディーゼル機関車として以下の形式が在籍していた。

  • DD1200形(正式には36BBH)(1201・1202) - 1961年から1962年に新三菱重工で2両が製造された。先述の通り正式には36BBHという形式であり、昭和「36」年式車軸配置「BB」型8気筒を意味するとされる。1971年の貨物列車廃止後は時々工事列車に使用された。[2]

その他廃線時に在籍した車両は、客車ホユニ66(1923年岡部鉄工所製)、ホユニ67(1929年日本車両製)、貨車ト1、5、11-15(無蓋車)、エ4(救援車、1933年元薩南中央鉄道キハ4)[3]。ただしこれらのうち客車とエ4は休車状態で、特にホユニ66に至っては廃止前の時点で外板の一部が剥がれ落ちている写真が確認されている[4]

廃止前の車両(1981年8月頃)

保存車両(2013年8月撮影)

歴史

  • 1912年(明治45年)4月12日 南薩鉄道に対し鉄道免許状下付(日置郡中伊集院村徳重-川邊郡東南方村枕崎間)[5]
  • 1914年(大正3年)
  • 1915年(大正4年)5月1日 吹上浜駅開業[8]
  • 1916年(大正5年)7月25日 毘沙門駅、入来駅開業[9]
  • 1925年(大正14年)
    • 2月26日 鉄道免許失効(川邊郡加世田村-同郡東南方村間)[10]
    • 7月1日 入来駅を入来ノ浜駅に改称[11]
  • 1928年(昭和3年)
    • 6月1日 入来ノ浜駅を南吹上浜駅に改称。
    • 8月30日 鉄道免許状下付(川邊郡加世田村-枕崎町間)[12]
  • 1931年(昭和6年)3月10日 加世田 - 枕崎間が開業[13]。伊集院 - 枕崎間全通。
  • 1934年(昭和9年)6月1日 毘沙門駅を上日置駅に改称。
  • 1949年(昭和24年)2月19日 伊集院駅から国鉄鹿児島駅まで直通運転開始。
  • 1954年(昭和29年)11月11日 鹿児島直通列車を3往復に増発。
  • 1955年(昭和30年)1月1日 薩摩湖駅開業。
  • 1964年(昭和39年)9月1日 南薩鉄道が三州自動車と合併し、鹿児島交通に社名変更。同社の枕崎線となる。
  • 1971年(昭和46年)4月1日 貨物営業廃止。
  • 1982年(昭和57年)12月13日 鉄道廃止発表。
  • 1983年(昭和58年)
    • 6月21日 豪雨災害のため全線不通となる。
    • 7月1日 一部区間(日置 - 加世田間)で運行再開。
  • 1984年(昭和59年)3月18日 伊集院 - 枕崎間全線廃止。

新線・高速化構想

南薩鉄道の会社発足50周年を記念して、1961年(昭和36年)2月、会社の重役会にて途中から分岐して西鹿児島駅に直接乗り入れる新線建設を含めた枕崎線の高速化構想が打ち出された。当時の新聞報道によると、西鹿児島駅と日置駅または永吉駅を結ぶほぼ直線ルートの新線の建設と、枕崎線のレール交換やカーブの補正、橋梁の掛け替えなどにより、西鹿児島駅と枕崎駅の間を最速で50分内外で結ぶ構想だった。線路改修には2億9千万円、新線建設には10億円が必要と試算され、開発銀行融資を受けることが計画された[14]

鹿児島市街地は地下化することも考えられていた。しかし、融資面での条件が折り合わず、構想は実現しなかった。

駅一覧

接続路線の事業者名・駅の所在地は枕崎線廃止時点のもの[15]。全駅が鹿児島県内に所在。

駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 所在地
伊集院駅 - 0.0 日本国有鉄道鹿児島本線 日置郡伊集院町(現・日置市
上日置駅 4.4 4.4   日置郡日吉町(現・日置市)
日置駅 3.5 7.9  
吉利駅 2.7 10.6  
永吉駅 2.2 12.8   日置郡吹上町(現・日置市)
吹上浜駅 3.3 16.1  
薩摩湖駅 0.9 17.0  
伊作駅 1.2 18.2  
南吹上浜駅 1.8 20.0  
北多夫施駅 2.8 22.8   日置郡金峰町(現・南さつま市
南多夫施駅 1.8 24.6  
阿多駅 2.1 26.7 (1965年までは鹿児島交通知覧線が接続)
加世田駅 2.3 29.0 (1962年までは南薩鉄道万世線が接続) 加世田市(現・南さつま市)
上加世田駅 2.0 31.0  
内山田駅 1.4 32.4  
上内山田駅 1.4 33.8  
干河駅 2.6 36.4  
津貫駅 1.6 38.0  
上津貫駅 2.3 40.3  
薩摩久木野駅 1.2 41.5  
金山駅 2.8 44.3   枕崎市
鹿籠駅 3.3 47.6  
枕崎駅 2.0 49.6 日本国有鉄道:指宿枕崎線

脚注

  1. http://www.geocities.jp/red50kei/kagosima/kagosima-siryo-2.html
  2. 寺田裕一『ローカル私鉄車輌20年 西日本編』pp.157-158
  3. 井上広和・高橋摂『日本の私鉄中国・四国・九州』保育社、1983年、141頁
  4. 寺田裕一『ローカル私鉄車輌20年 西日本編』p.158
  5. 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1912年4月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年4月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年6月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1915年5月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. 「軽便鉄道停留場設置」『官報』1916年8月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. 「鉄道免許失効」『官報』1925年2月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. 「地方鉄道駅名改称並貨物運輸開始」『官報』1925年7月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. 「鉄道免許状下付」『官報』1928年9月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. 「地方鉄道運輸開始」『官報』1931年3月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. 鹿児島毎日新聞(後の鹿児島新報)1961年2月10日付[1]
  15. 『日本鉄道旅行地図帳 12 九州沖縄』 p.50 - 新潮社

参考文献

  • 谷口良忠 (1965). “鹿児島交通・南薩鉄道”. 鉄道ピクトリアル 1965年7月臨時増刊号(No. 173):私鉄車両めぐり6: 83-98, 104-106. (再録:『私鉄車両めぐり特輯』2、鉄道ピクトリアル編集部、鉄道図書刊行会、東京、1977年。
  • 種村直樹 (1983). “存亡の淵に立つ南九州の鉄道をめぐる”. 鉄道ジャーナル 1983年4月号. 

関連項目